宗教学講座 初級コース 第102回 大乗仏教(唯識説:数々の矛盾)

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概要

今回は唯識説の2回目で、テキストは 横山 紘一著「唯識思想入門」を用い、阿頼耶識の転換・五位・善悪の種子(しゅうじ)などの概念を見ていく。前回も説明したが唯識説は本当に支離滅裂なものであり、今回は特にたくさん支離滅裂な部分が出てくる。

目次

1.唯識とは (00:00:00)

唯識とは「あらゆる存在は、ある根源的なもの(阿頼耶識)によって表されたもの、生み出されたものである」という意味だが、阿頼耶識は実体ではないと仏教徒は主張する。このような理論が概念的に成立するのだろうか。

2.唯識思想の目指すところ (00:15:35)

唯識思想が目指す3つの段階は、1.客観としての対象は精神の外には存在しないと悟り、2.外界の事物を実在と見る主観の誤認識とそれに伴う苦悩を滅し、3.最終的に、自己の根源体である阿頼耶識を本来の状態に転換せしめること、である。これらの意味するところと誤りを解説する。

3.五位説:唯識と説一切有部の比較 (00:29:43)

説一切有部は、色法・心法・心所法・心不相応行法・無為法の五位による、存在の分類法を説いた。唯識派もこの五位説をそのまま取り入れてはいるが、実在の捉え方が有部とは大きく異なっている。

4.真如とは何? (00:50:55)

唯識の五位百法を見ると無為法の中の一つに真如とある。ここで仏教に止めを刺すと思われる疑問を提出する。また余談になるが、宗教・仏教の論争を私(以下竹下氏)の高校のときの実話に譬えてみる。

5.善悪の種子(しゅうじ) (01:04:21)

阿頼耶識の中に善悪の種子があるという唯識の思想を見ていき、ナーガルジュナの空の思想や般若経の思想との矛盾点を指摘する。最後に、唯識論に批判的なのは私だけではないことを示すために、定方晟氏の文章を紹介する。

終わり(01:28:09)

※詳しい目次は、映像を購入してログインすると見ることができます。

参考文献

  • 「唯識思想入門」 横山 紘一著、第三文明社レグルス文庫
アートマン、チッタ・心(大+覚)、ヴァスミトラ、主体、光り輝く心、刹那滅、前五識、唯心論、唯我論、客体、心、心素、意識、意識と心の混同、択滅無為、末那識、清澄、滅びた宗教、無伺サマーディ、無伺定、無為法は識の実性、無自性・無我へのこだわり、煩悩、物、精神活動・識は存在する、自己・プルシャ、自性、般若の智慧、識という免罪符
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3件のコメント

  1. 参考になった(1)

    「みかんの上と下は、どちらがうまいか。」のエピソードは大変おもしろいし、早く意見の相違の理由に気づかなければいけないという教訓になりました。
    他の仏教シリーズはもう視聴しなくてもいいかなと思い始めたところだったのですが、例え話が興味深く、聞き逃すわけにはいかないと感じました。

  2. 参考になった(2)

    唯識説は外界や自己の存在を否定し、精神活動(識)だけが存在すると言うが、自己を否定したら唯識説は成立しないとのこと。デカルトの方が論理的ですね。

  3. 参考になった(3)

    唯識論における真如の位置づけが3タイプも出てきており、これでは訳がわからなくなりますね。
    アビダルマも中論もちゃんと理解しておらず、ただのごった煮と言われても仕方が無いと思います。
    それでも、中論のように全ては空で、善悪も何も無いと言い切るより、
    阿頼耶識という究極的実在を置き、そこに善の種子を満たせば救われると考える唯識論の方が、
    布教活動や信仰の強い動機づけになると思います。方便の説だと言われるかもしれないのも頷けます。
    (大乗仏教自体が方便なんでしょうが)

    心素を貯める場所はずーっと後に教えていただけるそうなので、楽しみにしています。