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概要
前回に続き、「唯識思想入門」をテキストとして唯識思想の基本的な概念を説明していく。これまで折に触れ、ある程度は唯識思想を説明してきたが、特に梶山雄一氏の著作をテキストとした、宗教学講座 88、89回において認識論を詳しく解説したので、今回の講義はかなり分かり易いと思う。
目次
1.八識説 (00:00:00)
唯識論の八識とサーンキヤ哲学の諸原理との対応関係や、主観も客観も阿頼耶識から表れたものと考えられていることなど、前回の復習をして唯識論の要点をまとめる。
2.輪廻の主体 (00:17:12)
全ては心・識の表象(イメージ)であるとする唯識の立場から、輪廻(の主体)・因果応報を説明するために考え出されたのが、八識論や種子(しゅうじ)の概念である。唯識による生まれ変わりの理論を、私見を交えながら見ていく。
3.阿頼耶識縁起 (00:33:40)
種子としての潜在的エネルギーが顕在的活動エネルギーに変化したものが日常の諸経験(活動)であり、全ての諸活動をまとめて現行(げんぎょう)または現行識という。種子と現行の相互因果関係について見ていく。
4.唯識論者の認識構造 (00:48:12)
唯識派は外界の存在を認めなくても、全ては表象として説明できると考えた。実際に業や輪廻に関する彼らの理論は取りあえずの説明にはなっている。しかし・・・
5.哲学的視点から (01:00:00)
本題から少しそれるが「大乗仏典〈15〉世親論集 」より、「世界はただ心の表象に過ぎない」という大乗の教えに関する文章を紹介する。最後に、哲学は分かり易い方が良いという立場から、唯識論へ批評を加える。
終わり(01:13:42)
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参考文献
- 「唯識思想入門」 横山 紘一著、第三文明社、レグルス文庫66
5件のコメント
わかりやすいです。
頭がよくなっている気がしま~す。
ありがとうございます。
先生がず~っと説明されている意識の展開図(夫婦)、この人はここの意識で言っているということが理解できれば、憎んだりすごく嫌ったりがなくなり正しくいきていけるのではないでしょうか。
本当に真実を知ったら、みんな心がきれいであることを一番の目標にするのだろうと思います。あたりまえのことなのですが…がんばります。
子供たちには、真実を知る正しい教育が受けられる環境が早く整えばいいなと思います。
教育シリーズで、人類を導いてくださっていた偉大な方々が消滅してしまったことを知りました。
その後の視聴なので、もっと明快に本当の教えがもたらされていればよかったのにと思いました。
夢は何度も同じものを見ないが、現実は何度も同じものを見るのが、夢と現実の決定的違いとのこと。心が作り出した夢と幽体による別の次元の体験を区別できないと、この違いはあまり意味がありません。
阿頼耶識が全てを作ったのなら唯我論、唯心論にならないのか? それを否定して、”一人に一つずつ阿頼耶識がある”とするならば”あなたと私の生み出した自然界はどうリンクして干渉し合っているのか?”という竹下先生のご指摘に、もうお手上げです。哲学って大変です。私だったら唯識論捨てます。
実体を認めない仏教が、輪廻を説明するために、刹那滅する究極的実在=阿頼耶識というものを考え出したが、結局、それって実体を認めた方がラクじゃないですか! と思ってしまう内容でした。
唯識の第一人者が一般人の人間関係の悩みを唯識という観点から解決するという番組を視たところ。
全ては自分の心が創り出していて「実体のない物や事柄」を自分が意識して言葉にすることでその言葉に捉われているという事を仰っておられたのですが。
外界も他人も阿頼耶識が創る表象なら唯我論なのに「一人一宇宙」の謂いって?
世界中の「一人一宇宙」の他人同士が、それぞれの創り出す外界をどうやって共通の外界に創り相互に干渉し合ってるのか? ・・・人間関係の悩み?
それって阿頼耶識は「唯一神のものか」?
阿頼耶識しかなくて他人も外界も全て自分が創り出した表象だと考えるなら、人間関係の悩みがスッキリするどころか世界もなく自己もないたとえようもない孤独という問題。
逆にこの私は誰かの阿頼耶識の創り出した表象に過ぎないとしたら人間関係の悩みレベルどころか、自分では何一つ己のこの生に対して主体的に向き合えてはいないのではなかろうかなど、とにかく第一人者の言葉が矛盾だらけで意味を為さない物に聴こえ、私の頭が悪いのかと首を捻っていたのですが竹下先生のお話しで安心できました(笑)