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- 時間
- 75分
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概要
今回は「三性論(三つの認識の仕方)」という唯識論の一番難しいところを、本来のマイトレーヤの見解に沿って私(以下竹下氏)が解説する。的外れな解説書しか見当たらないため、今回は経典そのものをテキストにするという初めてに近い試みであり、初級宗教講座のある意味の頂点になる。今回の講義が分かれば、初級コースにおいて今後は難しいところはない。
目次
1.なぜ「三性論」は難しいのか (00:00:00)
唯識論は元はマイトレーヤの教えであり、彼がアサンガを通して語ったことに、世親(ヴァスバンドゥ)が解説文を加え経典を作ることで世に伝えられた。実はここに、三性論が学者ですら理解できないほど難しいものになった原因があることを説明する。
2.三つの認識の仕方 (00:15:50)
三つの認識の仕方とは、1.遍計所執(へんげしょしゅう)性 2.依他起(えたき)性 3.円成実(えんじょうじつ)性 と呼ばれ、2は西田幾多郎の純粋経験に近い状態、1は主・客のニ分があり外界が存在すると妄想している状態とされる。しかし、3を2の状態に留まることとする世親の解釈には矛盾があることを示し、3の本来の意味を解説する。
3.心(八識)についての世親の解説 (00:44:44)
阿頼耶識・末那識などに関する、世親の少し細かい解説文を見ていく。本題から逸れるが、宗教第103,104回において私が直観により解説した内容(現行識=七識、四分説)を、図らずも今回のテキストに見ることとなった。
4.世親の立場 (01:06:55)
「悟った人は言語化なしに物を見ている(根本識と形相は実在)」と考えるのが有形象唯識派だが、無形象唯識派は「悟った後には『法性=照明作用=自覚』のみ真実であり、見えているものは幻影」と捉えている。世親がいずれの立場にあるかを明確に示す文章を最後に紹介する。
終わり(01:15:43)
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参考文献
- 「大乗仏典〈15〉世親論集 」長尾 雅人・梶山 雄一・荒牧 典俊訳、中公文庫
4件のコメント
もともとの教えに、イラスト入りで説明してくれていればよかったのに、と思える内容でした。
今まで私は「無我」という単語を、「われ」と「あなた」に区別をつけないという意味だと思ってきました。
難しい講義を聴いた後、こちらの意味の方がよかったのにと感じています。
世親は、兄で霊能者のアサンガを通じて、マイトレーヤに唯識論を教えてもらったが、マイトレーヤは無形象唯識派で、世親は有形象唯識派であることが混乱を生んだとのこと。世親を介さずに、マイトレーヤが直接アサンガに詳しく教えた方がよかったと思います。
今回が初級講座の難しさの頂点で、山場とのこと。これが分かったら後の宗教学シリーズは大丈夫ということで、心して挑みました。丁寧な解説で、ちゃんと理解できたと思います。三つの認識を示した図(a,b,c)が分かりやすかったです。教える人(マイトレーヤ)と、それを解説する人(世親)の見解が違うという事実には驚きました。混乱の原因が、”ただ見ている”と、”ずっと見ている”の違いだったなんて、指摘されない限り、お釈迦様でも分かるまい! という感じです。円成実性の解説において、”猫”の記述に”照明”の記述が混入されており、普通に学んでいたら、まず分からないだろうと思います。
仏教がマナスを二つに分離したのは、彼らがすごく我が強く、”強いからこそ嫌悪してそれを排斥して、そこから自由になろうと奮闘”した結果だったとのこと。
ずっと、無我へのこだわりからだと思っていました。彼らの無我への囚われも、原因は同じだったかもしれませんね。
唯識論の一番難しいところで、山場ということですが、
なんとなく理解できたような。
でも私のわかったレベルはたぶん低いかも・・(?)
毎回、cocoさんの完璧で優秀なコメントを前にして↑
後はもうボケるしか・・