試聴映像
- 1. テーマ:チベット密教の最奥義
- 2. チベット密教と性タントラ
- 3. 独習させないためのぼかし
- 4. チベット密教と男女双修功の呼吸法
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概要
前回からチベット密教を説明していて、1回目では大まかな全体像を見ていった。あと2回の講義で、一番重要な最奥義に当たる部分である無上瑜伽蜜の究竟次第(円満次第)という修行法の全体像を見ていく。今回は、全ての行法の根幹になっているチャンダーリーの火という行法を説明する。
目次
1.行法を読み解くことでわかるチベット密教の意図 (00:00:00)
チャンダーリーとはクンダリニーのことを指す。行法を読み解いていくと、重要な部分を曖昧にして独習ができないようにしていることがわかり、伝授された者だけが先に進めるようにしている意図が読み取れる。
2.究竟次第のプロセス:「ナーローの6ヨーガ」 (00:02:23)
「ナーローの6ヨーガ」の流儀とは、チャンダーリーの火を燃やし覚醒した生命力を中央気道に入れる行法を習熟することだとする。解説文における記述の曖昧さから、故意に真実を隠していることがわかる。究竟次第の実践法と目標とは何か。行法の危険性についても言及する。
3.チベット密教の呼吸法:壷の呼吸法 (00:32:18)
人間には左右の気というのがある。それは身体の意識と繋がっているが、どういう相関関係があるのか詳しく解説する。こういうものを利用して壷の呼吸法という行が組み立てられているが、この呼吸法は危険が伴うものである。より実践的な方法を紹介する。
4.チャンダーリーの火のヨーガ:準備段階と前段階の行法 (00:45:26)
「ナーディの観想」、「種字の観想」は準備段階で、チャクラの開発に関することを行なっている。そして本格的な行法の前段階に「壷の呼吸法をしながら観想する方法」があるが、これは督脈の気道を開通する練習と、中脈とその中脈上のチャクラの開発を念頭においた行法で、睾丸呼吸法と陰嚢圧縮法で代用できるものである。
5.チャンダーリーの火のヨーガ:観想による本段階の行法 (01:03:34)
陰陽双修功の行法を復習し照らし合わせながら、チベット密教の観想による行法の本段階を見ていく。そうすると、これは陰陽双修功の行法を非常に大雑把に書きまとめたものだということがわかる。詳細に見ていくことで、チベット密教が本当に行なっている行法のプロセスを明らかにする。
6.チベット密教が薦めるジュナーナ・ムドラーの観想 (01:36:43)
ジュナーナ・ムドラーの観想には2つ意味があり、1つはバーチャルなもので、もう1つは本物の女神が現れる神交法である。この場合、自分と相応するバイブレーションの者が現れる。チベット密教にはなぜヴァジュラヨーギニーが登場するのか。密教に惹かれる者たちの霊的真実とその危険性について言及する。
終わり(01:46:00)
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7件のコメント
チベット密教は清貧な宗教だと思っていました。。
数年前まで薦められて持っていた曼荼羅に、
どんな意味があるのかを前回知り、背筋が凍る思いをしました。
今回は名前は知らなかったけれどヴァジュラヨーギニー(金剛瑜伽女)という
よく見るチベットの仏画に描かれた女性の正体と、そこに人々が取り込まれる理由に驚きました。
こういう霊的真実は、ここでしか知り得ないことで、今回も真実にしばし呆然としました。
また、
余談で、からだにきれいに気をとおしリラックスする方法は、ほんとうに簡単で早速使わせていただいています。
このことに関する、
草食動物の目の位置の真実は目からウロコ!!でした。
ありがとうございました。
偽の通信文を送ったことで、高次のシステムの神ですら転落・消滅したとのこと。高次のシステムの神に進化するのに非常に長い年月を要したと思います。偽の通信文を送って転落・消滅するよりも、権力、名誉、富などをすべて失っても過去の悪事を告白して反省する方がはるかに賢明ですが、それができないのは野心があるからでしょう。また、野心がなかったら、そもそも偽の通信文を送る必要など生じなかったはずです。やはり、野心があると幸せになれませんね。
後半の内容はものすごく重要。神交法と簡単に言っても、相手が誰なのか。肉体的なセックスの概念のままにいるのか、もっと次元の違う(昇華した)交わりなのかということがわかりやすく語られているし、南風老師の回で言われていたことの帰結として、何と交わるべきなのかの序章として意味のある講義だったと思います。
チベット密教の最奥義が転生である(解脱でない)理由としてもわかりやすいと思いました。
これを行じるよりも、正しく四諦八正道を行うほうが、高い次元で濃密なものがあるという感想です。
「モルモットの気持ち」気に入って実行しています。
仕事をしていたころは、頭の中でぞうきん絞ってるくらいに緊張していました。
きっと、視線をクロスしていたんですね。
「魔」の絵ですが、ヒンドゥー教の女神カーリだと思いました。
「あるヨギの自叙伝」の著者、パラマハンサ・ヨガナンダ(◯◯しましたが)は、カーリを崇拝していて「聖母」と呼んでいました。
あの姿がどうして聖母に見えたのか、今回のお話でわかりました。
最初に映像の技術的な部分で、
テキストの解説の折、先生の頭上に読み上げていらっしゃるテキストが数行でていて
先生の表情が拝見できて、これは、嬉しかったです。ありがとうございます。
初めてでしょうかこの方法は。全配信拝見していないので既存でしたらゴメンナサイ
以前だとテキストがでるか、ポインターで指し示していらっしゃる先生の横顔だけで
テキストは映らないとか。
編集作業が煩雑になるようにも思いますがありがたいです。
内容は非常に非常に興味深く拝見しました。
昔昔のその昔チベット密教に興味を持っていた頃今回地震が起きたネパールに行きました。
ヒンズー寺院は行ってもなんともなかったけれど、チベット系の寺院は・・・・。
そしてお土産物として手書きの曼荼羅図を求めようとしました。
でも仏像曼荼羅は髑髏や気持ち悪い図柄ばかりでおえええっとなり、
幾何学曼荼羅ならいいかと思ったけど、なんだかいいやと思って結局買わずに帰国。
鳥葬場でダキニ女神を呼び神交(魔か鬼か・・・)する。その際呼ぶためには人の大腿骨でできた笛を吹くとか
ふっつ~の感性で気持ち悪い物にはやはりねえええ。
クワバラクワバラ
深くうなってしまう内容でした。どういう意味でかと申し上げますと、私は普通に人と交流している際も スピリチュアルなエネルギーが少しでも開花している人がいると 男性でも女性でもクンダリーニが少し上がろうとする感覚があるので、真言密教やら何やらで行われている行法が乱交に近いような感覚?というのがが分かり、ということは宗教としての密教のタントラの行とは?思ったからです。本来の女性性が開花するとエネルギーが自然に必要なところへ流れていくとしても、行法としてそれを不特定多数の異性とする・・・というのはエネルギーをリアルに感じる私にとってやはり衝撃的でした。エネルギーが多少開花していても全く気がつかない人も居るようですが、私自身 其の辺がまだ不快でエネルギーを全て開花できない状況なので、しっかりを自分に見合った進化の手段=行法を見極めることのできる貴重な映像でした。本当に一定のパートナーや夫婦の間で理解を深める行法たと思いました。ありがとうございました。
誰にでも1時間に5分間だけ、神々が降りてくる瞬間があるのですね。意識が明晰になるその瞬間なのですね。すごい事を知りました!
「凡人は、その5分を見逃す!」と、竹下先生がそう言って、ニッコとされた時、「それは私のことだ!」と、そう気づいたんです。それで、私はもう、笑っちゃって、笑っちゃって、どうしようもなくウケました! 抜歯したばかりで、傷口や顎がまだ腫れているんですよ。笑いすぎましたぁー。痛いよぉ~・・・。