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前回、仏陀はアートマンが存在するという立場も、存在しない(無我)という立場も共に愚かなものとして捨て、アートマンの存在に関する質問などには返答せず沈黙した事を説明した。今回は、仏陀がこの様な態度をとった真意、意図を別の角度から見ていく。
今回と次回は仏教の無我の思想を少し詳しく見ていく。仏教は無我と言って、真の自己・アートマンの存在を否定するのだが、これは「アートマンが存在しない」と言っているのではない。ここを理解しないと後の様々な哲理が分からなくなる。この最も微妙な部分を上手く説明していく事が今回と次回の目的である。
前回は仏教の基本教義とその後の発展を概観した。今回は、当時のインドにおけるバラモン教の宗教観から、仏教がどれ程逸脱した独創的なものだったかを見ると同時に、仏教の宗教観に対する私(以下竹下氏を指す)の見解も述べていく。
これから何回か連続して仏教を説明していく。仏教には非常に難しい部分、微妙な部分があり、最初から難問を扱うと混乱を招く。また、この講座は何も知識を前提としていないので、今回は仏教の基本教義と、後に発展した宗派を概観する。その過程で基本教義に対する通説とは異なる見解も述べていく。
前回は「自己と世界―インド哲学の視点より」宮元啓一(ホームページ)をテキストとして、自己と世界に関する議論を見た。つまり西田幾多郎の哲学(唯識説)では意識を唯一実在としたため、自己が非実在になってしまった。では、通常我々が「私」と言っている自己をどう考えれば良いのかという結論の部分を今回は見ていく。
これまでインド哲学から特にウパニシャッドの哲学的世界、そしてアートマン、解脱を中心に話してきたが、近く仏教について話す予定である。そこで、仏教が説く無我の論点を理解し、アートマンの存在を認めない仏陀(ゴータマ・シッダールタ)の真意を汲み取るための準備として、今回と次回の二回の講義で自己・アートマンについての理解を深める。
今回は、これまでの内容を総括し、特に前回名称の紹介に留まったコーシャ(鞘)の詳しい説明もまとめて話す。
今回はまず、インドの哲学・宗教の概念「5つの鞘」、「3身体」、「霊的進化の段階」を概説する。次に、ウパニシャッド以来、進化段階4.0以上の者は「解放」に達した者と言われ、輪廻からの「解脱」者と混同されているが、「解放」の意味を、講師の実体験に基づき身体論の立場から見ることで、この誤解を解く。最後に重要度は低いが、仏教における4種類の「解脱」の概念を意識の界層図を用いて整理する。
前回に続き、ウパニシャッドの哲理を見ていく。今回は「カルマ(業)を無くさないと解脱できない」と「解脱者はカルマを超越している」という世界観の成立過程を見、これらの世界観に含まれる誤りを実例を挙げながら正していく。結論として、いかなる聖典であれ、その内容を盲信して崇拝する事の愚かさが分かる。
今回と次回の2回で、ウパニシャッドにある思想・哲学の流れと、その中の問題点を概観し、意識の界層を用いてその問題を整理していく。そして、ウパニシャッドの哲人らが正しい見解へ到れなかった最大の原因が、彼らが持つ、ある「固定観念」であることを指摘する。
シャンティ・フーラ 映像配信
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