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- 62分
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概要
前回は仏教の基本教義とその後の発展を概観した。今回は、当時のインドにおけるバラモン教の宗教観から、仏教がどれ程逸脱した独創的なものだったかを見ると同時に、仏教の宗教観に対する私(以下竹下氏を指す)の見解も述べていく。
目次
1.仏教は今現在の苦しみに取り組む (00:00:00)
バラモン教は死を恐れず、死後天界へ行く事(生天)を望み、天国で死に再び人間に生まれ変わる事(再死)を恐れた。その根拠になるのが真の自己・アートマンの不滅性である。これに対し、アートマンの存在を認めない仏教の立場がどの様なものかを見ていく。
2.私の見解1(悟りについて) (00:12:09)
死後の存在、天界の現実性について、また死への恐れ、悟りの価値などについての私見を述べる。
3.仏陀は慰めの宗教を語らない (00:22:21)
我が子を失い悲嘆に暮れる女性に対し、奇跡を行い子供を生き返らせたり魂の不滅を説いて慰める他の宗教とは、根本的に異なる仏陀の立場を見ていく。
4.私の見解2(孤独になる生き方と真実の愛) (00:29:40)
無常である生死に対する執着を断ち切り、悟りを得て悲しみを拭い去れと言う仏教の教えは非常に優れた深いものである。しかし私から見て、最も重要な「真に愛する」という要素が抜け落ちた中途半端な教えである。そこで、執着や悲しみを根本的に解決する生き方について、私の教えを詳しく述べる。
5.神々を必要としない宗教 (00:37:04)
バラモン教では、最高神であるブラフマー神(梵天)と一体になることが究極の救いとされたが、原始仏典では、このブラフマー神を未だ解脱していない存在と見て、仏陀(解脱した人間)より低く描いている。この背後にある仏教の革命的思想を見ていく。
6.私の見解3(涅槃と解脱について) (00:49:54)
「涅槃(ニルヴァーナ)は本当に存在するのか、また存在するならどういう意味で存在するのか」という問題について、猿・犬の例え話を用いて説明する。また天界にも地上界にもなぜ平和が無いのか、その原因を明らかにする。
終わり(01:02:42)
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10件のコメント
本来の仏陀の教えが、よく理解できる講話でした。
猿と犬が、人間になるために信仰を持つ例え話は、たいへんおもしろく、そして多くの真実を知ることができます。
まだ竹下先生の教えに出会っていな方に、最初に観てもらうのによい内容だと思いました。
宗教シリーズは難しく、とっつきにくいという印象がありましたが、
この回はとても分かりやすく、面白かったです。
いや~
もの凄いお話でした。
執着の真なる原因の解明、そしてそれを超える方法。。。
さらっと話されていますが、これは半端ではありません。
また仏教の革新性。
革新性が生まれた背景を考えると、とんでもない神様が多かったんでしょうね。
最後の例えが有難かったです。
「そんな感じか~」
と、掴みやすかったです。
人間が一番恐れているのは孤独であり、孤独になるのは誰も愛さないからとのこと。愛されないから孤独なのだと思いますが、自分が本当に愛せば、仮に人間の誰からも愛されなくても、少なくとも神に愛されます。
この回は心に沁みるお話しが沢山で涙が出ました。
愛着と愛は違う。 そうなのですよね。
恋をし求め合って夫婦になりながらいつまでも恋の情が愛であるとの勘違いから抜けられず、一度恋に死に愛に生まれ変わる努力もせず、子供には「あなたの為なのよ」と言いながら自分の欲を満たす関係しか造れず、世代を連鎖する悪しき構図に親も子供も苦しみに飲み込まれ、社会も文化も肝心な事を知らない・・・。
いじめや自殺、孤独への恐れと所属することが出来ない苦しみに誰しもが呻いていることを想起させられました。
それが、先生のお話しからは解脱しても、天界の神々も欲に絡めとられ同じ有様があるのだと聞かされれて「そうなんんだ・・・」と何とも言えぬ思いがありました。
出家し仏教の修業をして涅槃に解脱する道よりも、この世で違う意見を持つ周囲の方々とも譲り合い協力し支え合って、子供たちや自然の未来に目を向け何方かのお役に立てるよう生きて行こうとの思いを強くしました。
ありがとうございます。
本当に大切なものを改めて教えていただきました。
ありがとうございます。
仏教の講義を視聴し直してるのですが、今回は特に印象に残りました。仏教の独自性が他インドの宗教との間に明らかにされ、話は最後には人間とは一体何ものかに及び、深く考えさせられます。「愛」と「悟り」は相反するわけではないですよね!
仏教の革命的独自性が分かりやすく説かれていました。特に、孤独の原因は「誰のことも愛していないからだ」というのは、本当にその通りだと思います。ささやかなことでも、人や動物や植物たちを愛したとき、心の中がポッと暖かくなり、幸福感に満たされます。こんなとき、愛は与えた相手よりも自分のほうがいただいているとしみじみと感じます。
ただ、一点腑に落ちなかったのですが、仏教も愛の教えとして「慈悲」を説いています。この慈悲は「真に愛する」ということと違うのでしょうか?万物への憐みの愛は「真に愛する」ということとどう違うのかが知りたくなりました。
それって遊びですやね!!がとても印象的でした。時間が余ると人間、本当に何が大切なのか??分からなくなるんですね。