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- 57分
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概要
今回と次回は仏教の無我の思想を少し詳しく見ていく。仏教は無我と言って、真の自己・アートマンの存在を否定するのだが、これは「アートマンが存在しない」と言っているのではない。ここを理解しないと後の様々な哲理が分からなくなる。この最も微妙な部分を上手く説明していく事が今回と次回の目的である。
目次
1.インド哲学のアートマン (00:00:00)
叙事詩マハー・バーラタの一節、バガヴァッド・ギーターを題材として、肉体は死んでも真の自己・アートマンは永遠不滅とする、インドの宗教観を確認する。
2.仏教の立場 (00:08:33)
今、現実にある苦からの解放を目指す仏教の立場では、「アートマンは永遠不滅」と言う教えは、ただの信仰、慰めにしかならず愚かな教えである。さらに宇宙が無限か有限か、魂が死後存在するかどうかなどの形而上学的問いに対し、仏陀が沈黙し、返答しなかった理由を見ていく。
3.五蘊(スカンダ)は無常である (00:15:58)
仏陀は五感と心で認識されるもの、つまり五蘊(色受想行識)は無常でありアートマンではないと言ったが、これを越えるもの、自性(プラクリティ)やアートマンについては何も議論しなかった。
4.仏陀にとっての正しい見解 (00:41:29)
観察できる全てのものは非我(アートマンではない)とする仏陀の教えはヴェーダの賢者の教えと同一のもので、サマーディに入り解脱するための方法論だった。仏陀は、観察できないアートマンについては何も言っていないのだが、仏教徒はアートマンそのものが存在しないと勘違いしている。そこで、仏典サンユッタ・ニカーヤに記載された仏陀の正しい見解を確認する。
終わり(00:57:08)
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3件のコメント
ことばを、間違いなく理解して受け取ることは、大変むずかしいということがわかりました。
日頃、どれだけの間違いをしているだろうか、と考えさせられました。
仏陀はアートマンが存在するということも、存在しないということも否定したとのこと。論理的思考をする人は、存在するということを否定すると、存在しないと結論づけるとのことですが、「存在」を否定しているのか、「存在するという立場」を否定しているのかによります。哲学的には、仏陀はアートマンの存在について不可知論の立場をとったということになります。
そうなのか!と、思いました。
釈迦は沈黙したのですね、神の名のもとに戦うのは愚かなこと、仏教は世界観にすぎない真理ではないけれど、無常とは変化するから美しい。
自己のとらえかもいろいろありそうですか。