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- 時間
- 76分
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- 1.0 枚 500 円 ( 税込 550 円 )
概要
前回は、中論・ナーガルジュナの導入部「帰敬偈」を解釈した。今回から本格的な内容に入っていく。ナーガルジュナは般若経で示された「空」のイメージを踏まえ、「空」を明確に定義したことで高く評価されている。しかし私(竹下氏)から見て中論には誤りが多く難解であるため、講義はゆっくり丁寧に進めていく。
目次
1.ナーガルジュナによる「空」の定義 (00:00:00)
空とは何かを学ぼうとする者にとって、学者の解説は同語反復が多く何の役にも立たない。従って、般若経やナーガルジュナによって語られた文脈の中で、空とは何かを理解していくことになる。
2.空は無ではなく「ある」 (00:20:01)
宗教66回で解説した「〈有〉と〈無〉の中間、現象世界のスペクトル(カップサイズ表を基に)」において、空、自己、自性に対応するものを特定する。そして現代物理学の宇宙論によって、その対応関係の正当性を示す。
3.「である」と「がある」の違い (00:31:27)
ナーガルジュナによる自性の定義を理解するには、「で」と「が」の違いを明確にしておくことが必要である。そこで、私が創作した「夫と哲学的な妻の難解な会話」を題材にして「である」と「がある」の違いを解説していく。
4.「自性」とは何か (00:54:33)
実は、一章で見た空の定義「ものに自性が欠如していること」には誤りがあり、さらに自性とは何かが分からなければ、空の定義も分からない。そこで、ナーガルジュナによる自性の定義を検証していく。
5.大乗仏教の二重の勘違い (01:10:49)
最後に、大乗仏教の「一切は五蘊」という考えが、「でない」と「がない」の混同による二重の勘違いの結果であることを説明する。
終わり(01:16:24)
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参考文献
- 「 空の思想 --- ナーガルジュナの思想 ---」
- 「Newton(ニュートン)ムック、無の空間の謎に迫る 真空と宇宙論(インフレーション)」、株式会社ニュートンプレス
6件のコメント
7種の自分としてもガツンといって欲しかったです(笑)
講義の内容は・・・orz
最後まで目を開けていることができません。
有(絶対存在)が自己、無(存在の絶無)が自性であり、その無から仮有の世界が展開し、無に帰っていくとのこと。インフレーション宇宙論を用いた説明が面白かったです。
「でない」(等しくない)を「がない」(存在がない)と混同したため、二重も勘違いを犯してしまって大乗仏教。説一切有部は、過ちはあれど理解していたのだから、もったいない。
ここに以前から指摘されている、宗教のレベルの後退が見て取れるわけですね。
レベルを継承できなかった原因の一つに、言葉の混同があった訳ですが、
そこに、当事者たちの到達している意識の違いもあり、元のレベルに回復できなかったということでしょうか。
ナーガルジュナの自性の定義の誤りを、誰も指摘していないとのこと。後の議論を支離滅裂にしてしまう大きな過ちを本講座が初めて指摘したわけですから、これは凄いことですよね。
自性の定義は間違いだし、空の定義も勘違いとなると、中論とはなんぞや? 次回以降が楽しみです。
coco 様
竹下氏からの回答です。
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講座の中で触れることが出来なかったので、ここでコメントします。「でない」と「がない」の混同はナーガルジュナの場合、意図的なものだったと思います。八千頌般若経の思想を宗教哲学としてまとめ上げる意図だったと思うのですが、八千頌般若経の思想自体が支離滅裂で矛盾に満ちており、意味をなしません。ナーガルジュナの中論も同様で、論敵の言葉とナーガルジュナの反論はほぼ同じで、言葉の意味づけ次第で肯定にも否定にもなるいいかげんなものです。哲学と言える論理性はもちろんありません。
問題は、大乗仏教徒が、これらの無意味な思想で何をしたかったのかです。恐らくあらゆる善悪を空文化することだと思います。要するに無我を悟った仏は善悪を超越した存在で、あらゆる法の上にいる存在だと考えていたのだと思います。クリシュナが“殺せ”と命じれば人殺しは善、逆らうことが悪です。しかし、神を絶対者として信じる場合には、いまだ善悪の観念から抜け出せてはいません。しかし、大乗仏教徒の場合、空を悟った賢者には善悪はありません。人を殺そうが、女性を犯そうがどんなことも平気で行なえます。善悪を越えた存在ですから…。実際のところ、マイトレーヤを中心とする賢者たちが、この地球上で行なってきたのは、まさにそれです。彼らは神を気にする必要も、命令に従う必要もなくなったので、まさにやりたい放題です。これが大乗仏教の意図だと思われます。
ところが、諸法無我で、カルマを超越しているはずの彼らには、しっかりとカルマが記録されていて、天界の裁きによって、ほぼ全員が滅び去ってしまったというわけです。
八千頌般若経に従えば、“善悪を超越した仏”という存在自体が存在しません。彼らの論理は一言で言えます。“私は全く正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから。” これが大乗仏教のすべてです。
(竹下雅敏)
竹下先生、ご回答ありがとうございます。
ナーガルジュナには、八千頌般若経の思想をまとめ上げるという意図があったのですね。
意図的に「でない」と「がない」を混同していたのなら、
真面目に議論している人々に対して、大変な冒涜ですね。
無意味な思想の目的が、善悪や法を超越した存在として、やりたい放題やるためなら、
神も宇宙も生命も、全てのものを冒涜していると思います。
これらの意図を、竹下先生が第60回で、宇宙から排除しなければならない
「悪の思想」と断言されたのもうなずけます。
この大乗仏教を55回に渡り、約一年間かけて講義されたのは、
世の中に与えた影響が非常に大きいからとのこと。
今の政治家を見れば分かります。これらを地で行く人達ばかりです。
「嘘も方便」という、マヤ・ニヤマに反する日本人の悪しき慣習も、元は法華経から来ているそうで、
私たちも知らずと、この「悪の思想」に影響を受けているようです。
徹底的に気付いて排除していきたいと思います。
とても面白い内容でした。
「空」というのがわからないのに「空」を「空」で説明しているのには笑えました。
空を定義したナーガルジュナはすごいなあ〜と思います。
夫と哲学科を出た妻との会話、深かったです。
モノを存在させている存在者の要求・・・神、ロゴス、すごいなあ〜さすがーと思いました。