試聴映像
- 1. 今回のテーマ 〜 キリスト教の「福音」とは?
- 2. 本来のイエスの言葉と後世の付加物
- 3. 矛盾に満ちた聖書の改ざん
- 4. 「山上の垂訓」の価値
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概要
前回は洗礼の前後について説明した。イエスは洗礼の後、伝道活動を始める。イエスの教えで最も重要なのは福音書に書かれた「山上の垂訓」である。イエスの語ったこの教えは非常に優れた普遍的な教えである。しかし、後世ローマカトリックによって都合の良い内容が膨大に付け加えられており、そのことも合わせて説明する。
目次
1.癒しについて (00:00:00)
病気の癒しやお祓い等の奇跡は新興宗教につきものである。治療の分野での傑出した天才、野口晴哉を立派だと思うのは、教祖になりうるだけのカリスマ性を持っていながら、それを奇跡にはせず、整体法、霊的な科学として、人々にきちんと教えたところである。キリストが行った病気癒しの技術というのは、あれに近いものだったのだろうと思われる。
2.キリスト教の「福音」とは何か (00:13:33)
私は、福音というのは「山上の垂訓」のことであると考えている。一方でエッセネ派は福音を「神の国の到来」と捉えたが、これには当時の社会的な背景が大きく影響していると考えられる。「山上の垂訓」と「神の国の到来」というこれら二通りの福音の捉え方について意見を述べる。
3.山上の垂訓(1)心の貧しい人たちはさいわいである (00:25:23)
山上の垂訓は聖書の中で最大の教えの部分だが、その最大の教えですら、福音書によって違うことが書かれている。ではイエスが本当に言った言葉はどれなのか。私がイエスが本当に言った言葉だと判断するのは、次の部分である。
4.山上の垂訓(2)殺すな、姦淫するな、誓うな (00:47:49)
「殺すな」「姦淫するな」「誓うな」といった記述部分について、私が後世の付加物と判断したものは次の箇所である。後世で付加された部分に書かれていることをもしも忠実に守っていたら、今の世の中は大変なことになっているだろう。イエスはそんなことを言っているのではないはずなのだ。姦淫や再婚について、誓いについて、イエスが本来伝えようとしたのはどのようなことだったのか。
5.山上の垂訓(3)敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい (01:07:27)
「だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬も向けてやりなさい」そんなことをできる人が本当にいるだろうか?一方で、エジプト、ナグ・ハマディで出土した、トマス、フィリポ、マリアの福音書には、次のようなことが書かれている。ローマカトリックが認めようとしないそれらの文書の真偽について見解を述べる。新約聖書のいったいどれだけの内容が、本当のイエスの言葉だったのか。
6.私たちに植え付けられたイエスのイメージ (01:24:58)
私たちはこれまでにイエスについて、あらゆるものからイメージを植えつけられてきた。しかし、歴史家ヨセフスの記述の中に書かれたイエスの風貌は、私たちがイメージしているものとはかけ離れたものだ。キリスト教はこういった捏造を延々と行ってきたと言える。その中で現代も行われ続けている驚くべき捏造行為について具体例を取り上げながら見ていく。
終わり(01:42:46)
※詳しい目次は、映像を購入してログインすると見ることができます。
参考文献
- マタイによる福音書(口語訳) - wikisource
- 「ナグ・ハマディ文書〈2〉福音書」荒井献/小林稔/大貫隆/筒井賢治訳、 岩波書店
- 「封印のイエス」クリストファー・ナイト/ロバート・ロマス著、学研
9件のコメント
今回は、聖書の中の素晴らしい部分を紹介していただき新鮮な感じがしました。聖書を盲目的に信じるのではなく真実と不真実を見分け、真実を心の糧に生きているキリスト教徒は心から尊敬できると思います。また、誰もが、そういう態度ならば無益な争いもなくなり共存できるのではないかとも。
聖骸布と肖像画にはあまりのそっくりさに笑ってしまいました!
洗練されたイメージを植え付けるために違う人物をイエスに仕立て上げてしまうことがイエスに対する本当の冒涜のように感じます。
私は、過去に多くの誓いを立てましたが、結局守れなかったり、ひどい場合は、誓いの内容すら忘れてしまうこともありました。今は、過去の誓いをすべて撤回し、誰にも誓わないようにしています。誓って守らないよりも、誓わなくても誠実に生きている方が、はるかにすばらしいと思うからです。
私も聖書はたまに読んでますが、竹下さんの言うところの
「読み飛ばす」「読んでて気持ちがいいわーで終わってしまう
素直な人」だったことが判明し思わず苦笑しました。
山上の垂訓の真。
太陽は皆に平等に陽を注ぐ。ですね。
この普遍的な原点に返ると、正しく日々を生きる、それは宗教を超えたキリスト者と。
たしかに、可愛らしい動物は初めからそうですね。
時事ブログのシュレーディンガーの猫が、見られていると気づき正しく収束したように(^^)
面白かったです~~!
「イエスはどんな人物だったのか?」
「聖書、福音の中身はほんとに全部イエスの言葉なの??」
「そもそも本当にイエスが伝えようとしたことはなんだったの???」
山上の垂訓の宗教を超えた普遍的な教えに胸が熱くなる反面、
聖書、キリスト教の教えの中に漠然と感じていた“違和感”の訳はこれだったのだ!と、合点がいきました。
もうなんかいろいろ冷静なればなるほど笑ってしまいます。(逆に言うと、宗教はこれぐらい冷静にみた方がいいということですね。)
最後のトリノの聖骸布にまつわる驚くべき歴史と因縁には唖然とすること間違いなし!!!
「目覚めよ!」なんて言っているけど、いやいや、むしろ、あなた達がね!って思わず言ってしまうかも。
波動を読むということが、段々、頭でも理解出来てきました。また、自分のその浅さも。
エネルギーの違いということも。
大衆は愚か者が多いから、支配し、指導し、使役し…、そんな感じが伝わってきます。
そのような態度だと、大衆はいつまでも愚か者であるように振る舞ってくれているだけだと思いました。(´・_・`)
気のレベルでの奪い合いや騙し合い、付け替え、操作など、ツギハギだらけ。
しかし、もっと深いところではすべてバレている、そのように感じました。
イエス像については、複数のイメージが浮かんでいましたが、いろいろなレベルでの姿が感じられているのだなと思いました。
先生の教えに出会えて本当によかった~(本気で書いてます。持ち上げるつもりではないです。本気の本気です。)
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annie様
コメントの一部を削除して公開させていただきました。
今後共宜しくお願い申し上げます。(シャンティ・フーラ)
キリスト教を詳しく知らない私でも「右の頬を~」は聞いたことがあり、「ぶたれ続けろってこと?!」と意味不明だったのですが、はやり違ったのですね。
キリスト教は信者に従順になるよう洗脳のように教えを説くことばかりかと思っていましたが、そうではない原点としてのイエスの教えを知れて良かったです。
「トリノの聖骸布」も、今となってはバチカンに秘密結社が入り込み、別な人物を崇拝するよう工作がされているのかもしれませんね…。
先生の講義のように今まで異端とされてきた真実が早く世に広まって、正しい認識がされることを願います。
カトリックの学校に行っていたので、よく聖書の話を聞いていましたが、ふわっとそーなんだーと思っていてなんの矛盾も感じずにいましたが、今日この動画をみてそのふわっとしてたのが、一気にクリアになってすごいスッキリ!まんまとキリスト教の欺瞞に巻き込まれて、大事なことを理解していなかったんだなぁと。
特に姦淫についてと敵を愛するについての解説が目からウロコ。あーダメじゃん自分と反省。おーそっか必要以上に自分を責めてたと、心が軽くなりました。
皆さんの感想のおかげで視聴できました!