[櫻井ジャーナル]スポーツの世界で選手や部員に対して暴力が振るわれていると問題になっているが、国民ロボット化政策の結果にすぎない

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注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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スポーツの世界で選手や部員に対して暴力が振るわれていると問題になっているが、これは社会の実態を映し出しているだけの話で、国民ロボット化政策の結果にすぎない
転載元より抜粋)
 女子柔道の日本代表監督が選手に対して暴力を振るったと告発されて戒告処分になり、辞意を表明したという。大阪では、市立高校のバスケットボール部で主将を務めていた生徒が顧問から執拗に暴力を振るわれ、自殺するという事件もあった。が、こうした出来事はスポーツ界や学校だけではなく、日本社会全体が抱えている問題である。

 暴力を使うのは、相手を屈服させて支配と従属の関係を作り上げるため。つまり、選手なり部員なりの人格を傷つけ、あるいは破壊してロボット化し、監督なりコーチなりの考え方を刷り込み、新たな人格を作る手段。威張りたい、自慢したい、優越感に浸りたいだけで暴力を振るう「指導者」もいる。

 こうした調教的な手法は「決まり事」を身につけさせるためには有効かもしれないが、状況を判断し、考える能力は育てられない。さまざまな場面で臨機応変に対応することができないということだ。

 一連の暴力問題で奇妙なことがある。選手なり部員なりが反撃していないということである。ブラジル出身でサッカーの世界で生きてきたセルジオ越後によると、ブラジルで指導者が暴力と使えば殴り返されて乱闘になるという。正常な反応だ。つまり日本が異常だということ。異常な人間を作り上げている根幹には、明治から続く「教育(洗脳)」がある。

 教育課程審議会の会長を務めたことのある三浦朱門は次のように語ったという。


 「できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」

 要するに、庶民は「エリート」の命令通りに動くロボットにするということだ。


 社会的に優位な立場を利用して富を独占する「1%」と、その「1%」への奉仕が強制されている「99%」、ふたつのグループができあがっているとアメリカで言われ始め、世界的にこうした認識は広がっている。

 しかし、あぶく銭を手にする1%だけでは支配システムを維持できない。そこで、このシステムを動かす1割程度の幹部、現場で働く有期雇用の専門家が2、3割、そして残りは劣悪な労働条件で働かされる使い捨ての非正規採用の人たち・・・そういう社会構成が考えられていると分析する人もいる。

 こうしたシステムを国民に受け入れさせるため、如何に理不尽な命令でも唯々諾々と従うように仕込んでおきたいと支配層は考えているはず。そうした人間を作り上げるための重要な手段がマスコミと教育。すでにマスコミは完全な権力の走狗。そして「教育改革」が進行中である。

 かつて、日本軍は思考力を奪うために理不尽なことを兵士に強制し、屈服させて非人間的なことでもできる人間を作り上げようとした。いつ殺されるかわからないという恐怖感も人間を狂わせる。
古参兵にしろ、下士官や将校にしろ、少なからぬ人たちは威張り、自慢し、優越感に浸るためにも、この仕組みを使っていたようだ。


 こうした環境の中にいると思考停止の状況になるため、「戦場から反戦運動というものは絶対に出てきません」(むのたけじ著『戦争絶滅へ、人間復活へ』岩波新書、2008年)ということのようだ。

 「戦場にいる男にとっては、セックスだけが「生きている」という実感になる。しかも、ものを奪う、火をつける、盗む、だます、強●する・・・ということが、戦場における特権として、これまでずっと黙認されてきました。」(前掲書)

 「中国戦線では兵士に女性を●姦することも許し、南京では虐殺もした」が、あまりにも酷い状態になったため、強●した兵士は処刑するということにしたという。そして出てきたのがいわゆる「慰安婦」。こうした女性をむのたけじも新聞記者として取材、「女性たちにここへきた事情を聞くと、だまされた、おどされた、拉致された、というように、それは人によってさまざまだった」ようだ。(前掲書)

編集者注: 再浮上してきた「慰安婦」問題の実相
上のリンクは、慰安婦問題の関連記事です。現在JanJanブログで最も注目が集まっている記事です。衝撃を受けました。

 銀座あたりのクラブに通ったり、売春したり、●姦したりするのは性欲のためというより、威張りたい、自慢したい、支配欲を満足させたいといった感情からだ。

 勿論、女性がカネで買われていたとしても許される話ではない。JPモルガン好みの経済政策が実施されたこともあり、1930年代に日本の農民は困窮、1934年に異常な冷害に襲われた東北地方では身売りが激増している。「狭義の強制」でなければ許されるということはない。

 こうした事態を招く政策を推進した政府に怒りを感じるのは当然。そうした怒りが一因になり、1936年に「二・二六事件」が引き起こされた。二・二六事件に参加した将校のような人がいなくなったことを、安倍某は感謝するべきだろう。ちなみに当時、最もJPモルガンに近かった日本の政治家は井上準之助である。

 学校やスポーツ界での出来事は社会の実態を映し出す鏡でもある。
大阪の高校や女子柔道で問題になったことは、社会で起こっていることが映し出されているだけ。学校の卒業式で君が代の斉唱や日の丸の掲揚を強制するのも、教師や生徒を権威に従属させるための「儀式」であり、支配層に従わない教師に対する「体罰」。まつろわぬ人びとを屈服させるため、信念やプライドを砕き、自分たちに絶対服従させようとしているだけである。

 実際のところ、 社会も暴力を受け入れてきた。暴力批判をするマスコミの記者たちの中でも「暴力はいけない」と本心から思っている人はどの程度いるだろうか?石原某や橋下某が人気になるのも、そうした「体罰」の効果なのかもしれない。こうした日本人の精神状態を「奴隷根性」と呼ぶ人もいる。

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