ジェフリー・ヒントン教授「私たちは巨大な類推マシンなのです。私たちは類推によって物事を理解します。」 ~日常生活では同一律は成立していない

竹下雅敏氏からの情報です。
 株式会社オタキング代表取締役の岡田斗司夫氏は、“論理的思考能力と一般的な思考と何が違うかっていうと(37秒)…論理的な思考っていうのは、必ず決まった位置にしか…物を置いていっちゃいけなくて、それによって思考っていうのをどんどん進めていくんだ。でも僕らは、もっと曖昧な言葉で生きてるし、それどころか言葉にせずに生きてるじゃん(1分)。…なんとなく嫌な感じとか、ザラッとした気分っていうのだけで、日々を生きてるよね? こういうのが非論理的な考え方っていう風に、まあ今日のところ名付けてみよう(1分24秒)。…非論理的な思考能力の方が自由度が高いし楽なんだ。でもそれは何が面白いのか、その子供にしかわからない場合がすごく多い(2分6秒)。…逆に言えば、論理的思考っていうのは誰が作っても同じようなレイアウトになりがちだから、よっぽと巨大なストラクチャーとか巨大なレイアウトを組まない限り、人が「ウォー」と言ってくれない。論理的思考能力っていうのは、つまんない事、当たり前の事を重ねていって、もの凄い異常な体系というのを作れるのが、論理的思考の強みなのですよ。(3分28秒)”と言っています。
 私は理科系なのですが、宇宙が数学の言葉で記述されていると考えるような理系バカとは違います。自然の中に直線が無いのは、地球の女神(サオトメ様)が3種体癖の美少女だと考えているからで、もしも1種体癖の男神が化身した惑星なら、パッキパキで花は直線状に咲くのではないかと想像したりします。
 それはそれとして、ShortShort Newsさんの動画では、人工知能(AI)研究の第一人者で2024年にノーベル物理学賞を受賞したジェフリー・ヒントン教授は、“精神分析の発展によって…私たちは論理的思考だけでなく、様々な類推を用いて物事を判断していることを受け入れました。私たちは基本的に、自分たちが考えていたよりもはるかに非合理的であることを受け入れました。…今まで人文科学を含むほとんどの人は、私たちは何らかの論理のようなものを使って推論していると考えてきました。私たちは理性的な存在だと。そうではありません。私たちは巨大な類推マシンなのです。私たちは類推によって物事を理解します。…私たちの思考の表面には薄い論理の層があり、それは数学のようなことをする上で非常に重要です。…しかし、私たちは基本的に類推を使って考えています。”と話しています。
 論理学の根本原理として、同一律は「AはAである」と表現される法則なのですが、日常生活では同一律は成立していません。
 この前のことなのですが、私が「オシドリ夫婦ってオシドリ夫婦じゃないんだよね。」と話すと、妻が「そうなのよ。オシドリの夫婦は、本当はあんまり仲が良くない。」と言って、私の話がキチンと通じていました
 「AはAでない」が真になってしまうのですが、これは「オシドリ夫婦」に、オシドリの番い(つがい)という意味と、仲の良い夫婦というふたつの意味があるためです。
 そして日常生活では、この例のように言葉にいくつもの意味があり、私たちは文脈で言葉の意味を読み取って暮らしているのです。論理学のように「A」を完全に一つの意味として限定させることは、そもそも無理であることは少し考えれば明らかです。
 例えば「女」を定義できません。1月21日の記事で紹介した青木歌音さんは「染色体XXY」ということでした。「人間」を定義するのはさらに難しい。
 だとすれば、論理学はもちろんのこと、それを前提に組み立てられている数学などは「思考の表面の薄い論理の層」によるものに過ぎず、宇宙の本質からかけ離れているのではないかと思うのです。
 私は物理学の宇宙論などは「苦情の奇異論」(机上の空論よりタチが悪い)だと思っています。
(竹下雅敏)
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【論理的思考能力/非論理的思考能力】 論理的思考と非論理的思考を分かりやすく 解説 【岡田斗司夫切り抜き】
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考えるのをやめたとき、すべてが始まる | 鈴木大拙 | 禅 | 仏教哲学 |
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