冷蔵庫なしで生活している人たち

冷蔵庫ってさ、真夏の一番暑い日に、突然、壊れるんだよね。

そうそう、中のものが腐りかけて、めちゃくちゃ焦ったことがある。

新しい冷蔵庫を買おうにも、突然の出費がけっこうイタいよね。

それに、日常的にも冷蔵庫の負担は大きい。24時間電気は食うし、場所は取るし、音はうるさい。かと言って、手放す勇気はないし。

でも、
世の中には、冷蔵庫なしで生活している人がけっこういるんだよ。
結論を言いますと、冷蔵庫なしでまったく問題ありません。常温でも食べるものは保管できます。個人的には冷蔵庫なしのほうが快適に暮らせています。(
かじとリズム)
結論、私は冷蔵庫を持たずに生活してみて全く困ったことはありませんでした。不便に思ったこともなく、むしろ非常に快適に4年間を過ごしてきました。(
ミニマリストの合理的な生活)
冷蔵庫の強みは、冷たいものが食べたい、買い出し面倒だから長く保存しておきたい、という2点にあると思います。
(中略)...また
冷蔵庫なしのメリットは電気代の節約と、冷蔵庫分のスペースが空く、引っ越しの時が楽、冷蔵庫特有の音(ヴーン)に悩まない、点だと思います。(中略)...ぜひ冷蔵庫なしの生活に興味ある方はお試しください。意外となんとかなるものです。(
16才で家出して自由を得た子ども)

う〜ん、そうは言うものの、住んでる場所によるよな?
お都会なら何でもすぐに買いに行けるが、田舎だとそうは行かない。

そうだね。でも、田舎だって、いつ停電するかわからないよ。

ハッ!!
何が常温保存できるかを、知っといた方がいいよ。
保存できる食べ物の特徴は水分が少なく空気にふれていないもの、または塩や油づけされたものです。
冷蔵庫なしにとって、心強い味方が卵です。夏でも、冷暗所ならば1週間もたせられる。チーズも、常温でも3日ぐらい持つ。マヨネーズも未開封なら、半年以上、常温でだいじょうぶ。開封後は半月以内に使い切るようにしてください。(
16才で家出して自由を得た子ども)
ちなみに
野菜は切ったまま常温で置いておいても数日は大丈夫です。卵も通年常温でOKです。古くなると中身が水っぽくなりますが火を通せば食べられます。(
かじとリズム)
私は理科系なのですが、宇宙が数学の言葉で記述されていると考えるような理系バカとは違います。自然の中に直線が無いのは、地球の女神(サオトメ様)が3種体癖の美少女だと考えているからで、もしも1種体癖の男神が化身した惑星なら、パッキパキで花は直線状に咲くのではないかと想像したりします。
それはそれとして、ShortShort Newsさんの動画では、人工知能(AI)研究の第一人者で2024年にノーベル物理学賞を受賞したジェフリー・ヒントン教授は、“精神分析の発展によって…私たちは論理的思考だけでなく、様々な類推を用いて物事を判断していることを受け入れました。私たちは基本的に、自分たちが考えていたよりもはるかに非合理的であることを受け入れました。…今まで人文科学を含むほとんどの人は、私たちは何らかの論理のようなものを使って推論していると考えてきました。私たちは理性的な存在だと。そうではありません。私たちは巨大な類推マシンなのです。私たちは類推によって物事を理解します。…私たちの思考の表面には薄い論理の層があり、それは数学のようなことをする上で非常に重要です。…しかし、私たちは基本的に類推を使って考えています。”と話しています。
論理学の根本原理として、同一律は「AはAである」と表現される法則なのですが、日常生活では同一律は成立していません。
この前のことなのですが、私が「オシドリ夫婦ってオシドリ夫婦じゃないんだよね。」と話すと、妻が「そうなのよ。オシドリの夫婦は、本当はあんまり仲が良くない。」と言って、私の話がキチンと通じていました
「AはAでない」が真になってしまうのですが、これは「オシドリ夫婦」に、オシドリの番い(つがい)という意味と、仲の良い夫婦というふたつの意味があるためです。
そして日常生活では、この例のように言葉にいくつもの意味があり、私たちは文脈で言葉の意味を読み取って暮らしているのです。論理学のように「A」を完全に一つの意味として限定させることは、そもそも無理であることは少し考えれば明らかです。
例えば「女」を定義できません。1月21日の記事で紹介した青木歌音さんは「染色体XXY」ということでした。「人間」を定義するのはさらに難しい。
だとすれば、論理学はもちろんのこと、それを前提に組み立てられている数学などは「思考の表面の薄い論理の層」によるものに過ぎず、宇宙の本質からかけ離れているのではないかと思うのです。
私は物理学の宇宙論などは「苦情の奇異論」(机上の空論よりタチが悪い)だと思っています。