「絶歌」を書いたのは元少年Aじゃない?!
ここまで追いかけてくると、もはや、少年Aが犯人とは思えないね。

ああ、Aの供述内容なんて、めちゃくちゃだもんな。

でも、もう一つ、A君が犯人じゃないという確信が欲しいなあ。

おれもそう思った。最初に「神戸事件を読む」を読んで、Aが冤罪だと確信した。次に、「『少年A』この子を生んで‥」を読んで、当時のAの心が、健全じゃなくて病んでいたのがわかると、Aがやったのかな?と疑った。

いったい、どっち? A君は有罪? 無罪?
無罪だとしたら真犯人は誰?

う〜ん、
まったく見えなかった。そこで、元少年Aが書いたとされる「絶歌」を読めば、何かわかるかもしれないと思った。「絶歌」は、出版から9年を経った2024年に第5刷が刷られていて、今でも読む人がいるようだ。

で、読んでどうだった?
第1部は、Aが逮捕されて医療少年院に送られるまで。ここでは、事件の背後にあるAの深層心理を知ることができる。第2部は、社会に出てから生きていくAの葛藤が描かれている。ただ、おれが一番知りたかった医療少年院時代の話だけが、ポッカリ抜けているのにはガッカリしたな。

へええ? なんで抜けてるんだろう?

そして、この本のファースト・インプレッションが忘れられない。
読み始めてすぐ、「これ、もしかして、Aが書いたんじゃなくね?」と感じた。読み進めていくにつれ、1部と2部が「別人28号」みたいに筆致が違うのよ。
最初に感じたのは不気味さやアンバランスさだった。本書の大まかな構成は第一部と第二部の2つから成っている。
(中略)...この2つの章の文章が全く別の人物によって書かれたのかと思うほどに違う。(
note)

うんうん、別人28号、わかるのは昭和の人だけね。

そして、
衝撃だったのはここ。
学校側の勧めで、僕はしばらく休学する代わりに児童相談所に通い、カウンセリングを受けることになった。この10日後、1997年5月24日、僕はタンク山で淳君を殺害した。(絶歌85p)
タンク山に参拝する地元人

Aの冤罪を信じていたおれ、一気にどん底に突き落とされた気がした。

う〜ん、
告白本なんだから、本当のことを書けばいいのにね。誰に気を使って、犯人のふりをしなきゃいけないんだろうね。

いやいや、
これこそ、「この本を書いたのがAじゃない証拠かもしれない」と思った。
酒鬼薔薇の挑戦状と「絶歌」は同じ臭いがする

ふ〜ん、でも感じただけで、根拠がないよね。で、内容はどんな感じ?
第1部は文学的すぎるのが鼻についた。ここでも、「Aが書いたんじゃない!」と叫びたくなった。たとえば、Aが親しんだ「タンク山」の描写なんか。
視ているだけで眼底が痙攣するような、白銀にギラめく立体的な太陽が、その真下を游(およ)ぐ雲の魚群を陽光の銛(もり)で串刺しにし、逆光で黒く翳(かげ)った森のそこかしこに、幾筋もの光の梯子が降りていた。毳毳(けばけば)しく輝り狂う太陽に染められた空は、アルミホイルのような金属的な光沢を帯び、視神経を圧迫した。(絶歌30p)

う〜ん、「僕は、こんなに難しい漢字をたくさん知ってるんだ」と言ってる気がする。

いつから、Aはこんな文学少年になったんだ?

もしかすると、ゴーストライターが書いたのかもしれないよ。

ゴーストライターなら、もっと自我を隠すだろ?

きっと、国語「2」で漫画大好きだったA君も、少年院で変わったんだよ。

はいはい、「ピンポン!それが正解です」みたいな解答があったわ。
(前略)僕は元来本を読むのが好きなほうではなく、活字よりも漫画や映画といった視覚媒体のほうにより深く親しんでいた。読書の醍醐味を知り、本格的に読書にのめり込むようになったのは、少年院に入った後からだった。関東医療少年院に入院した最初の頃、僕は他の収容少年たちから隔離され、ほとんどの時間を独房で過ごした。(中略)...少年院のスタッフは「読書療法」という名目で本を差し入れた。(中略)...他にやることもなく、僕は与えられた本を、1頁1頁、映画を撮るような感覚で映像を思い浮かべながら貪り読んだ。(絶歌251p)

映画が好きだったA君なら、そういう読み方をするかもしれないね。

・・と思わせるような「言い訳をしている」と感じるのは、おれだけか?

ずいぶん、批判的に読むんだね。

しょうがないさ。Aの冤罪を信じているからな。
ところが第2部に入ると、雰囲気がガラッと変わる。プライド高い文学少年から、苦労しながらも、けなげに社会を生きるAが書かれている。こんなに素直に反省しているなら、「神は許してくれるよ」「これだけ書けるなら、物書きとして生きていけよ」と応援している自分がいた。

ずいぶんすごい落差だね。まるで、A君のジキルとハイドが現われてるみたい。

それでも、
最後まで気になったのは、自分の文章に陶酔しているような、文学的プライドの臭いだ。しかも、この臭いはどっかで臭ったことがある、そうだ、
酒鬼薔薇の挑戦状と同じ臭いだ!

へええ? あの挑戦状と「絶歌」が同じ臭い? どうゆうこと?
挑戦状を書いた真犯人は子ども。そして、自分の文章に自信があった。自信があるのは、普段からある程度、自分なりにあれこれ書いてたからじゃないでしょうかね。それこそ、
(中略)...書いて自信があったらどうするでしょう? コンテストに応募するとか? ワープロだって持ってるしね。
事件後に神戸近辺の住所から、明らかに酒鬼薔薇事件(の真相)を扱った小説なんかが応募されてたら、案外ビンゴかもしれません。(
阿修羅)」

ヤバ! これが書かれたのは、「絶歌」が出版される前の2004年でしょ?
スレ主さんはまるで、「絶歌」が書かれることを知っていたみたいだ。
真犯人は、ずば抜けた文章力を披露せずにはおれなかったのよ。

たしかスレ主さん、Aの元同級生で親友だったYが真犯人と考えていたよね。もし、それが正しかったら?

「絶歌」を書いたのは、Yってことになる。
しかしなあ〜、それも信じにくいんだよなあ。てゆうのも、
Aじゃなきゃわかんないような細かいことが、詳しく書かれているんだ。たとえば、Aが任意同行されて、取り調べを受けた時の様子なんて、絶対、A本人にしかわからないはずだろ? それが、詳しく書いてあるのよ。
(前略)須磨警察署に到着すると、簡単なボディ・チェックを受けた後に取調室に通された。取調室には2人の刑事が待機していた。部屋の真ん中で両手をポケットに突っ込んで仁王立ちした大柄な刑事は、白髪交じりの縮れ毛に鉤鼻(かぎばな)、猛禽類を思わせる鋭い眼光、浅黒い肌は若い頃さんざん現場を駆けずり回ってきたような叩き上げの雰囲気を醸し出していた。その傍らに立つもうひとりの刑事は、ポマードを塗った髪を横分けにし、眼鏡の奥の眼は小さく、くたびれたYシャツを着ていた。(絶歌9p)
所轄の須磨警察署

これ、警察はこの時の状況を知ってるから、ウソを書いたらバレるよな。

でも、こんな細かいところまで、よく覚えているね。ぼくなら絶対無理。

Aは、パッと見たものを一瞬で記憶するという、特殊能力を持っていたそうだ。

やっぱ、9種は天才肌だね。

9種といえば、こういう所もA本人じゃないと書けないと思う。
僕は他人との身体的接触を極端に嫌う。(絶歌143p)
やると決めたら手を抜かず徹底的にやり切るのが僕の基本機能(ベーシック・ファンクション)だ。手先の器用さと集中力だけが頼りだった。眼前の作業に打ち込むと回りが見えなくなる。(絶歌249p)

いかにも、9種だ。

だが、これをYが書いていたとしたら?

A君のことを、かなり調べたんだろうね。

たしかに「絶歌」の著者は、事件のことを詳しく調べたようだ。
(前略)自分の事件について本格的に“勉強”を始めた。自分について書かれた本を集め、新聞や雑誌記事なども事件当時のものにまで遡ってほとんどすべてに眼を通し、自分だけではなく他の少年犯罪についても調べた。(絶歌255p)

でも、資料を集めただけじゃ、あんな細かいことは書けないよ。
A君から原稿をもらって書いた、と考える方がリアルじゃない?

え? AはYをボコボコに殴って、そのままケンカ別れしてるんだぞ? そんな相手をホイホイ信じて、自分の内訳話を渡すかよ。
「絶歌」が出版された経緯

じゃあ、
この本はどんな経緯で出版されたの?
本書の企画は本来、2012年冬に加害男性から幻冬舎社長の見城徹に持ち込まれたものであった。見城は幻冬舎社内に3人の編集チームを置き、2013年初めには加害男性とも対面、幻冬舎内で企画を進めていた。(
Wikipedia)
見城氏が会った加害男性って、誰なの? A君? Y君?

そんなのわからん。
少年Aの顔を知ってるヤツなんて、両親か、弁護士か、少年院の職員くらいしかいないだろ。中学の写真は出回っているが、三十路を越えているからなあ。

そうだね。サングラスにマスクでもしていたら、誰が化けてもわからない。
この事件についての推理

さて、ここからはおれの妄想物語だ。Yの情報は非常に少ない。
前回、「AとYは中学入学以来の友達」と言ったが、
Yは、小学6年の時にAのクラスに転校して来た。

へえ、小学6年で転校って、珍しくない? 前の学校で何かやらかしたのかな?

そこも怪しいが、
Aが小学校時代に考えた「酒鬼薔薇聖斗」を、Yも知っていたと考えられる。

2人で一緒に、「酒鬼薔薇聖斗」の名前で挑戦状を書いていたりしてね。

そして
「絶歌」には少しだが、「ダフネ君」と呼ばれているYの情報がある。
ダフネ君の父親は中小企業の社長で、彼の家は僕が住む友が丘よりもワンランク上の高級住宅街にあった。(絶歌54p)

ふうん。父親は、中小企業の社長。これが何か意味があるの?

っていうか、中小企業の社長で、高級住宅街に住めるか?

住んでてもおかしくないと思うけど?

中小企業と言ってもいろいろある。
なんとか組の組長だったら、高級住宅街に住めるかもしれない。

まさか、「ヤ」のつくお仕事?! 事件にヤーさんが関わってるってこと?

わからん。ただ、
組長の大事なお坊っちゃまが、前歯を折るほど殴られたら、復讐のために若い衆が出てきてもおかしくない。

そうか。
若い衆なら車も持ってるし。1人で歩いている淳君を後ろから襲って、車に乗せて、首を締めて、冷凍庫に運んで、電動ノコギリで首を切断するなんて、朝飯前だ。

それに、「ヤ」のつくお仕事なら、
警察の情報にも詳しいから、捜索が一旦中止になる時刻だってわかるだろう。

そっか、
その時間を見計らって、何人かで手分けして、一方はタンク山へ胴体を運び、もう一方は首を校門前に置いた?

Aが1人でやるのは到底ムリだが、彼らのように緊密なネットワーク、チームワークならできるし、
秘密が漏れる心配もない。

となると、事件当日に目撃された数台の黒い車も、中学の先生の車だけじゃないかもね。

「ヤ」の連中なら、黒い車が好きそうだしな。
そこで気になるのが、Aの命だ。

は?
Aは、少年院を出てしばらく経って、行方不明になっている。

わ〜! もしかして、映画とかでよく見るヤツ? ヤバい秘密を握ってる人が、シャバに出てきたところで口封じ!

それが心配なのよ。
おれの妄想によると、シャバに出たばかりで心細いAに、Yが声をかける。「A君、久しぶりだね。これからの生活が大変だろう? 告白本を書かないか? 原稿を書いてくれたら、ぼくが本にしてやるから、印税を山分けしよう」って誘い出し、Aは原稿を持ってYに会いに来る。そこで、ボディーガードの若い衆に、原稿を奪われて消される。

ヒエ〜!! なんか、リアルだねえ。
Aを消したあと、Yは堂々とAになりすまし、幻冬舎に行って見城氏と会う。そして、紹介された出版社で「絶歌」を出す。もはやAはこの世にいないから、何を書いても文句を言われない。書き放題。

A君、濡れ衣を着せられただけじゃなく、告白本によって、自ら有罪と証明したことになってしまった?

でも、スジは通るだろ? それに、
「絶歌」の終わりの方は、元少年Aの懺悔の言葉で埋め尽くされているが、真犯人の気持ちがこめられているように聞こえるのよ。
僕はあるひとつの問いを頭の中で反芻し続けた。――なぜ人を殺してはいけないのか?――(中略)...大人になった今の僕が、もし十代の少年に「どうしても人を殺してはいけないのですか?」と問われたら、ただこうとしか言えない。「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」(絶歌282p)
あの頃に戻ってもう一度やり直したい。(中略)...でもどんなに願ってももう遅い。(中略)...だからせめて、もう二度と人を傷つけたりせず、人の痛みを真っ直ぐ受けとめ、(中略)...自分のしたことに死ぬまで目一杯、がむしゃらに「苦悩」し、それを自分の言葉で伝えることで、「なぜ人を殺してはいけないのですか?」というその問いに、僕は一生答え続けていこうと思う。「人を殺してはいけない理由」を問う少年たちに、この苦しみを味わわせたくない。(絶歌283p)

これが真犯人の気持ち?

「絶歌」はAの告白本と言うより、真犯人の懺悔本じゃないかと、おれは思っている。
(おしまい)
Writer
ぴょんぴょん
1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
(クリニックは2014年11月末に閉院)
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)
少年Aは、事件(1997年)から8年後の2005年に、医療少年院を本退院して社会に出ました。それから10年後(2015年)、「元少年A」の作となる「絶歌」が出版されました。
もし「絶歌」が、本物の少年Aによって書かれたものであったら、Aの冤罪を信じる人たちはショックを受けたと思います。というのも、「絶歌」の85ページに「1997年5月24日、僕はタンク山で淳君を殺害した」と、ハッキリ書かれているからです。
ただこの本は、とてもふしぎな本です。A自身の体験を書いているはずなのに、両親の書いた「『少年A』この子を生んで‥」を引用したようなヶ所があるかと思えば、少年Aしか知らないはずのことが、やたら詳しく書かれていたり。
ガッカリしたのは、一番知りたかった、医療少年院時代の記載が一切なかったことです。わざと書かなかったのか? 書けなかったのか?
にしても、「絶歌」を書いたのは、本当に少年Aなのでしょうか?
もし、そうでなかったら、誰が書いたのでしょうか?