[櫻井ジャーナル]安倍首相の言動で日本を異様な国だと見る人が増え、舛添の女性蔑視発言でそうした傾向が強まる
 〜上に立つべきでない人とは〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 著者は舛添の言動の背後に劣等感があるのではないかと言っていますが、そうかも知れません。やたらと強さをアピールしようとする安倍政権に近い人々というのは、劣等感の裏返しということもあるでしょうが、私には精神障害なのではと思ってしまいます。素行が知られると、恥ずかしくて人前に出られない人たちばかりなのではないかと想像してしまいます。 
 文章後半部分はこの通りで、人の上に立つ者たちが人格的にも優れていれば、国民の教育水準を高め、自分自身で考え問題を解決出来るような人間に育てようとするでしょう。現実には彼らの目的は人を支配することなので、優秀な人間が多くいると体制をひっくり返されてしまって困ると考えるようです。それくらい自分たちが本質的には無能で、ただ家柄や学歴だけで人を見下しているということを、深いところでよく知っているからなのでしょう。
 本来は国民一人一人の教育水準が高く創造性を発揮している社会が、国力においても防衛の面からも理想のはずなのです。要するに人を支配したいという野心を持った者が、人の上に立つべきでないということです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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安倍首相の言動で日本を異様な国だと見る人が増え、舛添の女性蔑視発言でそうした傾向が強まる
転載元)
 舛添要一と同じような考え方をする男はヨーロッパにもいるのだろうが、首都の長を目指す有力政治家が口にすることはないだろう。口にした瞬間、政治家としての生命は絶たれる。ひとりの人間としても軽蔑されることになるだろう。

 ということで、ヨーロッパ人から見ると、こんな人物が東京都知事の最有力候補だということはニュース。イギリスのガーディアン紙などが伝えている。東電福島第一原発の事故に関する情報隠し、特定秘密保護法の成立、そして安倍晋三首相の靖国参拝などによって、日本を「異様な国」と見る人が世界的に増えているようだが、舛添によって、そうした見方は強まるだろう。

 この人物、何らかの強い劣等感を持っているのではないだろうか?

 その劣等感によって、「強さ」の象徴としての軍事、あるいは核兵器と密接に結びついた原発に傾倒させ、
「マッチョ」に憧れて女性を蔑視する発言を繰り返しているように見える。憲法が「主権者」としている人びとを「衆愚」、国民の意思を尊重することを「独裁」と表現しているようだが、これも自分自身が「優れている」とアピールしたいだけなのだろう。

 舛添は女性蔑視を正当化するため、「たとえば、指揮者、作曲家には女はほとんどいない。」(BIGMAN、1989年10月号)と言ったようだが、音楽全般を見れば事実に反していることがわかる。すばらしい曲を作った女性は多い。彼の頭にあるのはクラシックなのだろうが、そうした分野の名曲が書かれた当時の時代背景を考えねば意味はない。この辺の発想にも彼の権威主義が現れている。

 また、舛添が21世紀に不可欠だとしている高速増殖炉は核兵器の開発と密接な関係がある。本ブログでは何度か書いたが、1980年代にアメリカが日本の核兵器開発を支援するようになった主因は高速増殖炉の開発問題にあった。舛添と似たタイプの人間には石原慎太郎元都知事も含まれるが、この人物も核兵器に執着していた。

 舛添の発言を見ていると、政策はすでに存在しているものだと考えているようだ。主権者が意見を表明し、議論し、それによって政策ができるとは思っていない。基地にしろ原発にしろ、嫌なものは多数が少数に押しつけ、そうした政策の根幹を覆すことは許さないという「駄々っ子の甘えた」考え方だ。勿論、その政策を考えるのはアメリカの巨大資本を後ろ盾にする官僚たち。

 以前にも書いたことだが、アメリカの広告業界ではクライアントの心をつかむフレーズは単純で浅薄なものが良いとされている。19世紀の終盤、ギュスターヴ・ル・ボンは群衆を「操縦者の断言・反復・感染による暗示のままに行動するような集合体」と定義している。産業革命以降、つまり資本主義化の中で人びとはそうした状況に陥ったと彼は主張する。その後、ヨーロッパでは状況が改善されたということだろう。

 意識的に庶民を「衆愚化」した状態にできれば、一部の特権階級による支配が容易になる。日本で1890年に発布された「教育勅語」は、「忠君愛国」と「儒教的道徳」を子どもに植えつけ、天皇制の思想的な基盤を築くことを目的としていたが、ル・ボンが『群集心理』を表す前に実践していたと言える。

 「衆愚」だから政策の決定に参加させられないのではなく、政策の決定に参加させたくないので「衆愚」を作り出しているのが実際の「エリート」たち。安倍晋三内閣の「教育改革」は庶民の「衆愚化プロジェクト」だとも言えるだろう。衆愚化された人びとから支持されるためには、単純で浅薄な主張を断定的に繰り返すべきであり、「論理構成をして様々なパーツを上手にワンパッケージにまとめる能力」などは必要ない。全体を瞬時に掌握し、理解する能力は脳の構造上、女性の方が優れているとも言われている。

 「女は生理のときはノーマルじゃない。異常です。」と舛添は断定しているが、こうしたことを繰り返し、口にできる人間を支持するのは衆愚化された人びと。庶民が自分自身で考えるようになれば、舛添のような人物は政治家としても学者としても相手にされなくなるだろう。

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