[白樺の林]江戸時代末期、光格天皇の子が天忠党を結成するまでの流れ/天忠党の系図 〜 天忠党の後継団体が現在八咫烏の政治工作結社となっている

タイトル・文章中に誤りがありました (2016/03/28)
誤「天誅党」→正「天忠党」

系図に間違いがあり、修正しました (2016/03/29)
竹下雅敏氏からの情報です。
 八咫烏は、政治には直接関与しません。政治に関与する特殊な秘密結社が存在します。その団体は明治維新で中心的な役割を果たしたようです。
 記事をご覧になると、維新への流れは、光格天皇の時代から始まっていることがわかります。非常に見事な文章で、当時の状況が平易な言葉で、かつ明快に記されています。記事は圧縮していますので、興味のある方は元記事をご覧下さい。
 この記事の中で特に重要なところは、文末の太字にした部分です。光格天皇は自分の子を中山忠頼の養子にします。記事では名前が違いますが、読みやすくするために記事の下に系図を添付しました。ここに正確な名前を記しています。
 この部分は歴史的に知られておらず、この記事の著者が、何故この事実を知っていたのかは興味深いところです。歴史学者の方は、天忠党とその関係団体の歴史における役割をきちんと調べて下さい。これまでの歴史では見えなかった決定的な部分がわかるはずです。
 この天忠党の後継団体が、現在でも八咫烏の直属の秘密結社として政治工作の中心になっています。明日、この部分を紹介します。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
先祖は御所のウォーリアーズ(1)
記事配信元)
本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
記事の提供元にてご覧ください。
————————————————————————
天忠党の系図

Comments are closed.