金塊の歴史年表8:“経済的独裁権力”に対する1兆ドル訴訟 オランダ王家・イギリス王家の企み

翻訳チームからの情報です。
 2011年9月から2013年4月までの金塊史です。
 前回は記念すべきモナコ会議まででした。
 今回はキーナン氏の右腕ネル氏との出会い、そして2011年9月にインドネシアの故スカルノ大統領の後継者から国際担保口座群に関する詳細な記録を託されるところからです。
 1兆ドル訴訟の続報としては、訴えられる場所が限られてしまい、あまり進みません。ただし海事法による別訴訟も提起したようです。しかし中央銀行が利息払いたくないからニセ札刷って渡すってなんですか。ただの犯罪組織ですね、訴えられるのも当然です。
 あと相変わらずイルミナティの上位位階であるオランダ王家やイギリス王家が裏でロクでもないことしております。
(Yutika)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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金塊の歴史年表
転載元より抜粋翻訳)
2011年9月 ‐ ネルはキーナンの存在とその活動をネットで知り、訴訟やインドネシアの国債口座群の件で援助することができるかもしれない、とメールで連絡して来た。以来、彼らの共同作業が続いている。

【ネル氏】

【ネル氏】


7.14 エディ・セノ・スカント博士とキーナンの合意



2011年11月 ‐ 全ての金塊預金に負託された「ファミリー・インヘリタンス・ギャランティー(家族相続保証と名付けられた資産)」の法的所有者(故人)の最後の遺書の中で「法的な継承者と記載されている」と宣誓したエディ・セノ・スカント博士から、キーナンは権利および合意の証書を託される。当該相続保証書はスカルノ大統領が世界のために行った働きへの報酬として授与されたもので、大統領によって1948年から1968年の間に発せられた。

【右側の鬚を生やしている老人がエディ・セノ。左側の青年は7.19の写真から、キーナンの右腕であるネル氏ではないかと思います。】

【右側の鬚を生やしている老人がエディ・セノ。左側の青年は7.19の写真から、キーナンの右腕であるネル氏ではないかと思います。】


スカント博士は、スカルノ大統領がファミリー・インヘリタンス・ギャランティーとして知られる全資産とその利息を彼に託したことを誓った。さらに彼は「証拠となる銀行書類・帳簿・記録・台帳・暗号などを所有しており、預け先の銀行にも唯一の継承人として認められている」と証言している。

この契約により、そして彼の「重度かつ長期慢性的疾患」のため、スカント博士は自身の代理人の一人となって「彼とインドネシアの人々に属する資産を取り戻すあらゆる方法と手段を執るために、連帯して動く」権限をキーナンに与えた。

さらにスカント博士は「秘密の暗号管理手帖の完全版」および「マクルマット【インドネシア語で宣誓証書といった意味】と台帳と口座群の全記録」も保有していることを認め、求めに応じて「法廷での提示のため」そしてキーナンが必要となった場合は「その他の目的のため」であっても、「これらの原本を届ける」と請け負った。

【キーナンとエディ・セノ】

【キーナンとエディ・セノ】


キーナンは暗号の管理手帖やマクルマット宣言書、台帳の公式のコピーと、それらを必要に応じて使用する権限を記した委任状を保管している。さらにキーナンの指示で、コピーはその他の人々にも安全を期すために渡された。

7.15 本と台帳の中身



これらの本と台帳には、連邦準備制度理事会のスクリーン・システム内に保有されている情報が含まれている。そこにはに法的な決定・条約・その他の合意に関する秘密の暗号数字とデータが記してある。また、国際担保口座群について、誰に金塊の所有権があるのかが分かるようになっている。


7.16 “経済的独裁権力”に対する1兆ドル訴訟



2011年11月 ‐ キーナンは盗まれた債券(そもそもはキーナンと山口に預けられていたもの)を取り返すために、その他の容疑も含めて法的追及を開始した。ダニエーレ・ダル・ボスコ、OITC、イタリア共和国、イタリア財務警察、ベルルスコーニ、世界経済フォーラムのブルーノ、世界経済フォーラムのアメリカ支部、潘基文(国連)などを被告として挙げ、ニューヨーク州マンハッタンの連邦地裁に前例なき1兆ドル訴訟を提起したのだ。

【訴状】

【訴状】


111ページに及ぶ訴状が、人道的な使用目的に充てられる筈だった1.1兆ドルの盗難について細かく説明している。その他の共謀者としては、バチカン・フリーメーソン・連邦準備制度理事会が含まれている。これは「社会に喰らいついている欧米の経済マフィアを破滅させる訴訟」として世界的に知られるようになった。

法的な助言に従い、キーナンは当該訴訟を既得権を毀損することなく取り下げた。その1つの理由としては、元々の担当であったホールウェル裁判官が、オバマの経済顧問の弟であるファーマン裁判官と交代させられたことが挙げられる。彼はこの裁判を担当するためだけに裁判官として指名されたのだが、これまで裁判官になった経験はまるでなかった。かなりの新証拠と共に再提訴しようとするものの、裁判管轄権が大きな壁となっている。ファーマン裁判官のところ以外へは訴え出ること許さず、と命じられたからだ。

2011年12月 ‐ ディヴィッド・ウィルコックが「確認済み:経済的独裁を終わらせうる1兆ドル訴訟」を記事にする。

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2012年2月 ‐ キーナンは国際担保口座群を解き放つために動くことを決意し、戦略としてインドネシアのジャカルタに仮住まいを始める。

2012年3月 ‐ キーナンはジーン・ヘインズというブロガーと協調することにし、自身のメッセージを公表するため、彼女のサイトの読者たちと交流を始める。

2012年5月 ‐ キーナンはG7の中央銀行と連邦準備制度の12行に対して担保権を訴えた。こちらは非常に複雑怪奇な海事法という制度の中で提訴している。これらの担保権は、連邦準備制度の中の共謀者たちに対する逮捕令状を構成することになる。

以上一連の犯罪詐欺行為に加えて、インドネシアでこちらが所有している、欧州中央銀行が刷ったニセのユーロ札の件もある。このユーロ札は無価値で、国際口座群の金塊の利息支払いのためだけに製造されたのだった。詐欺として提出されれば、欧州中央銀行は廃業となるやもしれない。そうでなければ、キーナンは何百万ものユーロ札を欧州中央銀行に認めさせるつもりだ。これは東ヨーロッパのミイラたち、ハンガリーのソロスの息子たちが率いる欧洲委員会と呼ばれる蛮行が終わることを意味する。

7.17 キーナンの国際担保口座群を解放するというゴール



2012年5月~12月 ‐ キーナンはトップの何人かを引き摺り下ろす。

まずキーナンが気が付いたのは、再選に打って出たフランスの前大統領ニコラ・サルコジが、反対陣営(マリーヌ・ル・ペン)に「サルコジは疑いも無くグローバリストだ」と証明してしまう情報を与えていたこと。どうやらサルコジ自身も彼の再選計画も、自ら放った剣で潰されたようである。

【サルコジ】

【サルコジ】


次に、ダル・ボスコが債券を盗んだその時からキーナンが気が付いていたことだが、元イタリア首相シルヴィオ・ベルルスコーニが窃盗行為の主要な役割を演じていたことである。ベルルスコーニは、弟と主にキアッソでの詐欺事件に手を染め、山口とワタナベから債券をまんまと奪い取ったのだ。

【ベルルスコーニ】

【ベルルスコーニ】


これらの理由によってベルルスコーニは有罪とされ、初めて彼の反対勢力が対抗する力を持てるようになった。未成年の少女と遊んだせいだとされているが、実際にはもっと様々なことが裏では起こっていたのだ。

ベルルスコーニのかつての盟友ジャンフランコ・フィーニは、キーナンから渡された内容によって何をすべきか明確に分っていた。ベルルスコーニに過度のプレッシャーをかけ、やがてベルルスコーニも折れるしかなかった。山口とキーナンからDFFI債券を盗んだかどで20年の服役を逃れるために、7年の刑を受け入れたのだ。これにてベルルスコーニの再選計画は終わりを告げ、永久に政界への道は閉ざされた。

3人目は、オランダのユリアナ女王とベルンハルト王配の娘であるベアトリクス女王で、彼女はドイツで生まれ、親衛隊(SS)の騎馬隊の一員であり、ナチ党に入っていた。1954年には、ベルンハルト王配が国際グループ・ビルダーバーグの創設者の一人となった。

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キーナンはベアトリクス女王にコンタクトを取り、国際【担保口座群】取引の度に、約束された取り分としてオランダに2%(女王自身にも3%)がもたらされると助言した。彼女は驚いた。そのような国際取引を彼女の母親(ユリアナ女王)が自分の国のために取っておいたことを全く知らなかったのだ。しかし彼女がこの2%と3%に惹かれることはなく、それどころか日本にある全ての国際資産を盗みとれないものかと、自分の息子を日本に送り込んだのだった。

同じ頃、イギリスのエリザベスII世は諜報局員たちを通じて、ベアトリクス女王の動向を聞き及んでいた。彼女は自分の息子を日本に送ってベアトリクスの息子を出し抜き、日本国内の東京銀行と三菱銀行に保管されていた口座資産の全てを盗まんと決意したのだ。

キーナンが事の顛末をドラゴン・ファミリーに知らせると、彼らは単純にこれらの国際資産口座群を閉じてしまい、ベアトリクス女王もエリザベスII世もアクセス出来なくしてしまった。

2012年11月 ‐ キーナンはインドネシアで、長老グループおよび彼らの弁護士たちと共に、とある儀式と会合に出席した。

7.18 国際担保口座群に対するOITCの原告たちは欧米側によって任命されているとキーナンが暴く



2013年4月 ‐OITCは、UNの保護下にあると主張している。しかし、OITCはダニエーレ・ダル・ボスコの債券窃盗の共謀者である。ダル・ボスコ自身が詐欺師に騙されたということだろうか?

ディヴィッド・セールは自身をOITCの議長だと名乗り、世界経済フォーラムの銀行群にOITCの口座を移そうと試みた。レイ・ダムは当時投獄されており、セールに何らの権限も委譲していなかった。キャシー・マテンソンが代理権を有し、その他の権利はOITCに帰属していた。

結果:レイ・ダムがカンボジアにて9箇月収監されていたのは、キーナンによる。しかし、現地で殺害されてしまわないよう、その後キーナンはダムを釈放してやることにした。もし【ダムと】一緒にいたのならば、ディヴィッド・セールやディヴィッド・クレイフォードも収監されていただろう。OITC企業の国際口座群の移動に関して、ディヴィッド・セールと世界経済フォーラムの間で争いがあったようだ。

【1兆ドル訴訟の主要な被告の1つ、国際財務管理機構(OITC)という殆ど知られていない機関の解説。トップはレイ・ダム博士、閣僚会議の副議長がディヴィッド・セール。ただし、セールはキーナンたちがOITCの債券を騙し取ったと主張している。 写真は2009年頃のレイ・チャット・ダム。アジア不動産会社のスーシュ・サローエンを騙っている可能性もある。】

1兆ドル訴訟の主要な被告の1つ、国際財務管理機構(OITC)という殆ど知られていない機関の解説。トップはレイ・ダム博士、閣僚会議の副議長がディヴィッド・セール。ただし、セールはキーナンたちがOITCの債券を騙し取ったと主張している。写真は2009年頃のレイ・チャット・ダム。アジア不動産会社のスーシュ・サローエンを騙っている可能性もある。】


当初から、バチカン・国連・世界経済フォーラム・OITCなどがベルルスコーニとグルになって盗難事件に関与しているとキーナンも気が付いていた。大金を手にして一抜けするチャンスはあったが、彼は屈しなかった。【※おそらく、何度も賄賂の話を持ちかけられたと言いたいのでは。】

キーナンとインドネシアの彼のチームがOITCの現地支部だという場所を訪れ、そんな組織のオフィスは未だかつて存在しないと言われた時の様子を公開している(2013年6月撮影)。

翻訳者:Yutika
※【 】内の文字は、訳者が付け加えたものです。
読み易さを重視しましたので、正確な情報は元記事をお確かめください。

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