「苦海浄土」石牟礼道子さん死去 〜 患者の魂を言葉に

 石牟礼道子さんの訃報が伝えられました。天上の様に美しい水俣の海が傷つけられ、弱い存在から次々に犠牲となってゆく様を見てきた女性が、その弱い犠牲者の、なおも清らかな魂に耳を傾け、神に捧げる様な作品を生み出してこられました。正視するのも辛い患者さんの姿の中に、命の尊厳を確かに見て世の中に伝えてこられました。そして、近代化の波の中で経済を優先し、生命を虐げるもの達に対し、静かに強く戦ってこられました。厳しい現実に向かいながらも、可憐で「妖精の様な」美しさを失わない方だったそうです。
 311の後、再び「苦海浄土」が多く読まれたと聞きます。
痛めつけられてもなお、深い悲しみの中から美しく蘇る自然、地球が見えてくるのでしょう。
 ご冥福をお祈りします。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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石牟礼道子さん死去 水俣病を描いた小説「苦海浄土」
引用元)
 水俣病患者の苦しみや祈りを共感をこめて描いた小説「苦海浄土」で知られる作家の石牟礼道子(いしむれ・みちこ)さんが10日午前3時14分、パーキンソン病による急性増悪のため熊本市の介護施設で死去した。90歳だった。 (中略)
68年には、「水俣病対策市民会議」の設立に参加。原因企業チッソに対する患者らの闘争を支援した。
 水俣病患者の心の声に耳をすませてつづった69年の「苦海浄土 わが水俣病」は高い評価を受け、第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、「いまなお苦しんでいる患者のことを考えるともらう気になれない」と辞退した。
(以下略)
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「花びら供養」より
きよ子は手も足もよじれてきて、
手足が縄のようによじれて、
我が身を縛っておりましたが、
見るのも辛うして。

それがあなた、
死にました年でしたが、
桜の花の散ります頃に、
私がちょっと留守をしとりましたら、
縁側にころげ出て、縁から落ちて、
地面に這うとりましたですよ。

たまがって駆け寄りましたら、
かなわん指で、桜の花びらば拾おうとしよりましたです。
曲った指で地面ににじりつけて、肘(ひじ)から血ぃ出して。

「おかしゃん、花ば」ちゆうて
花びらば指すとですもんね。
花もあなた、かわいそうに、
地面ににじりつけられて、

何の恨みも言わじゃった
嫁入り前の娘が、
たった一枚の桜の花びらば拾うのが望みでした。

それであなたにお願いですが、
文(ふみ)ばチッソの方々に書いて下さいませんか。
いや、世間の方々に

桜の時期に、花びらば一枚、
きよ子の代わりに拾うてやっては
下さいませんでしょうか。

花の供養に



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日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第6回 石牟礼道子
配信元)


13:36〜    若い石牟礼さんの戦災孤児への眼差し
15:15〜16:10 高度成長時代のチッソ
25:34〜29:10 水俣病との衝撃の出会い
38:40〜    一人の水俣に暮す人間として、自分にとっての水俣病を書く
41:00〜    渡辺京二氏「単に水俣病事件を描いたものではない
        優れた文芸作品。
        現実を透過して、現実の彼方にあるものを見る人」
43:34〜    周囲との摩擦の中で原稿を書く、 息子さんとのエピソード
51:22〜54:00 チッソへの提訴 チッソのお膝元で孤立する患者達
       「みんなほら、漁民と農民じゃがな。
        相手は東大出ばっかりじゃがな、チッソの会社は」
        孤立する患者支援に走る石牟礼さん
59:13〜    石牟礼さんという存在がなければ、水俣病事件は単なる
        損害賠償請求事件に留まった
1:00:49〜   水俣病研究会 裁判で焦点となる法律や医学などの問題を
        理論的に裏付け、勝訴に導く目的
1:03:50〜1:09:40 チッソの「水俣病患者一覧」命の軽視に強い憤り     
1:19:44〜1:24:10 患者から見た石牟礼さん 
        「道子さんの提起してきたものは政治ではない、
         海とともに暮らしていた人々を含む全ての生き物、
         命の世界の物語」

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