日本人が「3・1運動」をどう認識するかが今後の平和に関わっている

 どのような政治的見解を持つにしても、知っておくべきことはあると自身の無知を反省しながら「3・1運動」の記事を読みました。
ところが外務省は、韓国で「3・1運動」100周年の記念式典が行われることを受けて「韓国への渡航者に注意喚起」と信じられないような呼びかけを出しました。韓国が100年前の復讐を旅行者に対してすると言わんばかりのヘイトです。これまでの慰安婦問題、徴用工問題など丁寧な法的検証をすれば、日本側の言い分がどれほど破綻しているか国が知らないはずはなかろうに、その上このような「悪意のあるデマ」を国が出すのか。
 しかしネット上では、冷静な人々のコメントが愚かな国を笑い、多くのことを教えてくれています。
折しも記念式での文大統領の演説が「この独立運動は(中略)けっして日本憎しなどという感情でやるものではない」という韓国のみならず私たちの心をも暖かくする優れたものであったため、より一層、我が国の愚かさが際立ってしまいました。
 布施祐仁氏が演説の重要な点を連ツイされていますが、植民地時代の日本のこと、それを踏まえて韓国がこれからどうあろうとするのか、その全文は日本人も読むべきものだと思いました。
 100年前、人々が「王朝と植民地の百姓」から「共和国の国民」として独立宣言をするくだりから始まる演説ですが、冒頭で胸が熱くなります。今、日本で見ているものを比較してしまうからでしょうか。そしてその普通の人々に対して日本が行った惨たらしい虐殺も淡々と語られます。独立を夢見る普通の人々を「匪賊」「思想犯」「アカ」と烙印を押して殺してゆく様でした。
 これからの100年を韓国は「朝鮮半島の平和をもってアジアの繁栄に寄与します」「国民の成長が、すなわち国家の成長になることでしょう」と宣言しています。力強い大人の言葉です。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)







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三・一運動から100年 日本の植民地支配にあらがい主権在民求める
引用元)
【ソウル聯合ニュース】韓国は今年、日本による植民地時代に起きた独立運動「三・一運動」と大韓民国臨時政府の樹立から100年という節目を迎えた。1919年という年は、民族の独立運動史の分水嶺(ぶんすいれい)となった激変の年だ。三・一運動の直後、日本の統治に対する組織的な抵抗の必要性を痛感した愛国者たちは臨時政府を立てている。
(中略)
この三・一運動と臨時政府の樹立は直ちに「自主独立」として結実しなかったものの、植民地支配に集団で抵抗する人々の声の高まりを受け、日本は統治を穏健的な方法に切り換え、融和政策を取った
(以下略)
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[全訳] 第100周年3.1節記念式 文在寅大統領演説(2019年3月1日)
引用元)
尊敬する国民の皆さん、
海外同胞の皆さん、

100年前の今日、私たちは一つでした。

3月1日正午、学生たちは独立宣言書を配布しました。
午後2時、民族代表たちは泰和館で独立宣言式を持ち、
タプコル公園では、5000余人と共に独立宣言書を朗読しました。

タバコを止め貯蓄し、金銀のかんざしや指輪を寄付し、
さらに切った髪の毛まで売って、国債補償運動に参加した
労働者と農民、婦女子、軍人、人力車夫、
妓生、白丁、作男、零細商人、学生、僧侶など
私たちの張三李四(平凡な庶民の意)たちが3.1独立運動の主役でした。

あの日、私たちは王朝と植民地の百姓から
共和国の国民として生まれ変わりました。
独立と解放を超え
民主共和国のための偉大な旅程を始めました。

(中略)

過去は変えることはできませんが、未来は変えることができます。
歴史を鏡にし、韓国と日本が固く手を結ぶ時
平和の時代がはっきりと私たちの側に近づいてくるでしょう。
力を合わせ、被害者たちの苦痛を実質的に治癒するとき
韓国と日本は心が通じる真の親友になることでしょう。

(中略)

これからの100年は
国民の成長が、すなわち国家の成長になることでしょう。
中では理念の対立を超え統合を成し遂げ
外では平和と繁栄を成し遂げる時
独立は真に完成することでしょう。

ありがとうございます。


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