竹下雅敏氏からの情報です。
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
————————————————————————
Rick Joyner's Prophetic Dream - A Sequel to URGENT WARNING: ISIS Coming to America
転載元を抄訳)
YouTube 15/2/3
1週間前に再び同じ地獄の夢を見た。今度はさらにショッキングだった。よりリアルで、まざまざとしたものだった。が、同時に素晴らしい勝利で終わる夢だった。
南部の国境を渡って来る悪魔的な軍組織は、昨年の夢よりもさらに先まで進軍していた。黙示録のアバドンーーー破壊者という意味だが―――が率いているかのような集団だった。彼らは憑りつかれたように、価値ある物全て、美しいもの全て、命あるもの全てをとにかく破壊したがった。家畜も人も見境なく、全てを殺害していた。彼らの通った後は、草一本生えていない有様だった。
夢の中で私は透明人間のように、彼らのキャンプの中を歩いていた。彼らには私が見えないようだったが、私ははっきりと彼らが話すことが聴こえていた。そして最後に彼らを突き動かす悪霊が私の存在に気が付いた。
彼らはあまりにも多くのものを破壊し尽くしてしまったがために(食料が尽きて)、人食いを始めていた。なぜ彼らがその先の大地へ進んでさらなる掠奪をしなかったのかは分からないのだが、お互いを食べるようになっていた。
おまけに誰もが同じキャンプにいる仲間を酷く嫌っていた。アメリカ人やアメリカの国土を嫌うのと同じくらいに。ただただ憎しみに満たされてた。被害妄想に凝り固まり、互いに互いを疑っていた。すぐにでも周りが自分を裏切り、殺そうとするのだと、はっきりとした確信を抱いているようだった。全員が互いに対する、とてつもない恐怖と被害妄想で溢れていた。そこには夫婦も何組かいたが、キャンプのどこにも愛情や友情など1かけらも見受けられなかった。それは想像を絶する様だった。
主の軍隊が同時にやってきてくださることに感謝せねばならない。そちらは全く別の精神に満たされていた。神の軍隊には、強欲さ、憎しみ、恐怖の代わりに、愛と誠実さがあった。
そして夢の最後では、神に従う人々の勝利があった。
ただし、悪の軍隊の野営地では悪霊が、とうとう私に気が付いてしまった。そして、彼らの仲間になるように誘惑してきた。私の目から見て魅力的に映るものなど、そこには一切無かったのだが(笑)
その時、背後で軍隊の行進する音が聴こえてきた。昨年見た夢でも聴こえたような気がする。また悪の行進なのかと思って振り向いたら、神の天使軍がそこにいた。なぜだか私が誘惑を拒否したことで、彼らは(地上に)解き放たれたようだった。意味が分からないのだが、誘惑は神がご自身の軍を動かすかどうかの試金石だったようだ。
そして神の軍は、悪を一掃した。報復を一切せずに成し遂げていた。怒りすら持っていなかった。ただ単に、やらねばならないこととして、対処しているだけだった。敵が悪に染まり、もはや一線を越えてしまったがために、救いようがないがために、一掃しただけだった。
この夏、神に最も近づくことが許された幾つかの夢で、私は思いつく限りのことを彼と話そうと試みた。この教会にとって最も気がかりだったのは例の建物修復に関する行政訴訟である。まるでパウロがローマ皇帝に正義を求めて上訴したかのごとく、私は郡の我々に対する不当な仕打ちに対して、訴訟で暴き、やり返すことを考えてしまっていた。
しかし主は一切の復讐心をお持ちでなかった。今回の夢の天使軍もそうだ。怒りや報復してやるという気持ちは全くなく、ただ使命を淡々とこなすだけだった。主は自分のところに留まりたいのならば、あらゆる復讐心を捨てよとおっしゃった。私は確かにその通りだと感じたのだ。訴訟は継続せざるをえないが、それは相手を痛めつけるためではなく、ただ単に正義が行われることを求めてすべきなのだ。私はそういった内省を行わなければならなかった。
今回の夢では、そういった内観を皆がしなければならないのだと感じた。世の革命では対峙する両方で、拷問などの悪がはびこる。しかし神の軍ではそうではない。たとえどれほど酷い悪であろうと、我々は彼らを憎んではならない。報復してやりたいと望んではならない。自分自身の心をしっかりと守る必要があるのだ。敵ですら愛せと言われているのだ。悪の贖罪こそが最高の勝利であり、そう祈らなければならない。
この夢は完全勝利に終わった。しかし、その勝利は、私が内面を見つめるまで起こらなかった。この場合の私とは、代表として、象徴として、だったのだと思う。だからそれは我々全員が克服しなければならない課題なのだ。悪のキャンプで何も惹かれるものを見出さなかったからこそ、天と繋がることができ、神は「今こそ」と軍を使わしてくださったのだ。
第2歴代誌7章14~15節/[新改訳]歴代誌第二
7:14 わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。
7:15 今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。
7:14 わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。
7:15 今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。
にもあるが、主はまず第一に「わたしの民がみずからへりくだり」とおっしゃっている。自らの心の内の悪、復讐を求める気持ちを認め、許しを請うところから始めなければならない。パリなどで起きた昨今の事件は、怒りの心をかきたてずにはいられない。相手を同じ目に遭わせたいと思ってしまう。だが、それは解決策にはならない。軍隊、政府組織が解決策なのだ。
ローマ人への手紙13章1~4節 (1)
1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。
2 したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。
3 支配者を恐ろしいと思うのは、良い行ないをするときではなく、悪を行なうときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます。
4 それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行なうなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行なう人には怒りをもって報います。ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。
1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。
2 したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。
3 支配者を恐ろしいと思うのは、良い行ないをするときではなく、悪を行なうときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます。
4 それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行なうなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行なう人には怒りをもって報います。ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。
とあるように、政府も神の権威の1つなのである。彼らは悪と戦うべく、剣、すなわち軍隊を神から与えられている。政府が神に従うというのは、その軍事力を行使し、悪に報いるということだ。
なのだが、我々キリスト教徒がすべきは、祈ることである。愛することである。もちろんキリスト教徒がそのような軍隊の一部となっているのならば、武器を手にとらねばならないが。しかし勤務外では、敵に対してすら祈るのだ。
多くの人が物事を白か黒かで判断しようとする。ではなく使徒伝にあるように、我々は優しさと厳格さの両方が必要なのだ。どちらか1つではない。一方しか見ようとしないものは、聖書すら都合よくゆがめてしまう。そして極端に走ってしまう。
我々は我々を攻撃しようとする者のために祈らねばならない。もしそれが実行できれば、想定外の勝利が各地でもたらされると思う。洪水が既に来てから祈るのではなく、今から祈るのだ。
もし2014年末までに国境、特に南部の国境を明確になんとかしなければ、あの悪夢が正夢になることを覚悟しなければならないと教わった。私はこの動きがすでに起こっていると感じている。彼らは国境を今この瞬間渡って来ている。我々は備えなければならない。しかし光もまた、あらゆる闇を克服しようとやって来ているのだ。主が何をなさろうとしているかについて、悪が何をやろうとしているかの何倍もの関心を寄せるのだ。備えを怠らないこと、それ自体が光である。そうすることで、闇にひそむ悪を暴くことだろう。
2015年には悪が姿を見せるだろうが、それでも比較的平和な一年となるだろう。準備をする一年である。そして最後には主が勝利をおさめる。ただし恐怖や復讐心で行ってはならない。悪魔は悪魔によって駆逐できないからだ。以降の放送では、具体的な準備方法についても語っていきたいと思う。
抄訳:Yutika
今回のメッセージは非常に重要です。たとえ敵がどれほど酷い悪であろうと、怒り、憎しみ、復讐心を捨てなければならないのです。報復として、悪と同様の殺人を犯してはいけません。法によって裁かなければならないのです。
多くの人々は、単純に白か黒か、善か悪かを判断します。政府に騙されたと思った国民は、怒りから政府の人間は全て悪だと断じ、見つけ次第捕まえて、ISISやその同盟軍が行っているのと同様のやり方で、捕まえた政府職員を殺そうとしてしまいます。しかし、政府職員の大多数は悪事に関与していません。
文中“神の軍は、悪を一掃した。…怒りすら持っていなかった。ただ単に、やらなければならないこととして、対処しているだけだった”とあります。私たちはこの神の軍の例として、ドンバスの義勇軍を挙げることが出来ます。彼らは敵を押し返しているだけです。捕虜にした者たちを殺すようなことは決してなく、自分たちの軍にロシア軍が居ないこと、現実に何が起こっているかを捕虜に教えた上で、家族に引き取らせて故郷に返しています。
アメリカの民兵組織、そして自らの身を守ろうと自衛する市民たちが、ドンバスの義勇兵と同じように行動が出来たならば、速やかな勝利が得られるでしょう。この時、神の軍は、民兵組織と米軍、そしてそれに従う人々になるでしょう。