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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(44)豊かさを感じる

かんなままさんの執筆記事第44弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(44)豊かさを感じる

大切なことは「何でもない自分が豊かである」ということがわかることです。

何も余分なものを持たなければ、「自然が美しい」と感じる心があることがわかります。それが心の豊かさなのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と3」竹下雅敏(著)


あわただしい毎日


今から22年も前、上の子が中学2年、下の子が小学2年生の頃のお話しです。毎日朝5時に起きてお弁当を作り、順に身支度をさせ、送り出したと思ったら掃除洗濯、食事の用意、学校から帰ったらクラブやおけいこ事の送り迎え、追い立てるように食事、ふろ・・・宿題まで手が回らず教えてあげた記憶がありません。

pixabay[CC0]


子ども達も、学校というレールに乗り、あわただしい毎日でした。我が家の鉄則は一緒にご飯を食べること。一緒にお風呂に入ること。寝る前に絵本を読むことでしたが、子どもの成長と共に叶わなくなり一緒に過ごす時間も減っていきました。とにかくバタバタと時間に追われて過ぎていく毎日で、時々家族で映画を見に出かけたり、外食するのが息抜きでしたが満たされないものが溜まっていきました。

無性に自然の中に身を置きたくてたまらなくなりました。夫まで診療中に波の音が聞こえる(笑)と言い出す始末です。


ハワイでのキャンプのお誘い


そんな時、私の知り合いからハワイでキャンプするツアーを企画したから行かないか?と誘われたのです。彼はアメリカ人の舞台演出家で日本に能を学びに来ていたのです。うちの子達は彼の事をサンタのおじちゃんと言ってなついていました。聞けば9月の7日間海岸でテントを張って過ごすというのです。あまりにも唐突でびっくりしましたが、大自然の中に身を置きたいと思う気持ちは高まるばかりです。

とうとう夕食の時に切り出しました。「ねえ、ハワイでキャンプするっていう話があるんだけどどう思う?砂浜で好きなことして一日中遊んで夜はきれいなお星さまを見て、波の音を聞きながらテントで寝るのよ」と言いました。「え?それってずーっと遊べるの?」「行く!」夫は「行きたいけど仕事があるし」「休めばいいじゃん」「え?」「そうだよ。そうしよう。自分で休むって決めるのよ」・・・となぜかこんなことを簡単に決めてしまう我が家なのです。何と10日間医院を休むことにしました!もちろん学校も休み!

pixabay[CC0]


問題は学校でした。何と帰国した2日後に運動会とのこと。本来は猛練習して本番に臨みます。先生は困った顔をされましたが我が子のミラーニューロン(模倣力)に頼るしかありません。

待ちに待ったその日がやって来ました。ハワイの友達が「そんなところに子ども連れでキャンプするなんて危険すぎる!」と驚いていました。それが常識だなと思います。サンタのおじさんを信じるしかありません。

さて、ハワイのホテルで待ち合わせです。5組が参加していました。兄弟、親子、友達、夫婦の参加で子連れの参加は私達だけでした。そこは立派なホテルでしたが、ここに荷物を預けて帽子、水着とタオル、ゴーグル、フィン、シュノーケルだけ持って行くようにと言われました。

要するに服も靴も化粧道具もいらないというわけです(パスポートだけは持って行きます)。その格好で外に出るとバスではなくピックアップトラックが待っていました。皆その荷台に水着のまま乗って、まるで今から収容所に護送されるかのようでした(笑)。海岸をバンバン飛ばして連れて行かれたのは名もない行き止まりの海岸でした。観光客は皆無、だれ一人いません。

でも、目の前に入り江があって青い海がずうーっと広がっています!その後ろには緑の小高い丘。一目で気に入りました!砂浜には5張のテントが用意されていました。一番大きいテントが我が家です。でも隣に何だか変なテントがあります。なんとそこにはホームレスのマヌさんが住んでいました。交通事故に遭って海で治療しているのだとか(笑)

pixabay[CC0]


さあ、今から7日間、ここで過ごします。トイレはかろうじて道の上に1つありました。水なし。毎日運んできてくれるのですが貴重品なのでシャワーなしです。メインテントで食事を作ってくれるようです。なんだかドキドキしてきました。本当に何もないのです。でも目の前に広がるきれいな海!たっぷりの時間!何より心が躍りました。


全てを忘れて、ただただ感動


海でのんびり過ごしていると、何と夕日が目の前の海に沈んでいくのです!真っ赤な夕日が水平線に沈む様がこんなに美しいとは!顔も赤く染まり光の道の中に自分も入っているような感覚でした。みんな黙って眺めています。感動とともに私の体がゆっくり緩んでいくのがわかりました。見ると子ども達も幸せそうな顔をしています。いつの間にか野良犬たちと仲良くなっていました。

pixabay[CC0]


日が落ちて松明が焚かれました。まわりは真っ暗で人工的な明かりはありません。満天の星でした。カナダに住んでいた頃、カナダの北端にあるインデアンの島で仰いだ空を思い出しました。無数の星がまたたいて流れ星があちらこちらに流れていく様をこの世のものか?と飽きずに眺めたことがあります。私達はこんな星に住んでいて、宇宙にも無限の星があり、みんな繋がっているという不思議一体感に浸ったことが蘇ってきました。

美味しいにおいがしてきました。このキャンプは何もないけど3食ともオーガニックのベジタリアンフードが用意されているのです。料理はどれもおいしく、会話も自然でした。目的は一緒。話しこまなくても分かりあえる人達でした。

後ろの丘から月が上がってきました。満月です!忙しさの中でそんな事すら忘れてしまっていました。その上、大きな月輪がかかっています。何だかこの旅を選んで正解!と神様から言われたような気がしました。

pixabay[CC0]


現地のスタッフがギター片手にハワイアンを奏で始めました。もう一人のスタッフが自然にフラを踊りだしました。なんて心地いい音と踊りなのでしょう!そして心地よい風!サンタのおじさんが何処からともなくバケツを拾ってきて棒に紐を張り、なんと即席のベースを作って弾き始めました。夫もおどけて弾きました。子ども達もフラを真似たりして学校のことなどすっかり、まったく、完全に忘れてしまいました。

やがてそれぞれのテントに行き、眠りました。今何時なのかもうわかりません。寝ているとすっかり仲良しになった野良ちゃんまでテントの中に入ってきて娘達と一緒に寝息を立てています。その臭い事!でも、私達も足は砂だらけ、毛布も砂だらけ、慣れるしかありません。

私はこの展開に感動しすぎて寝付けませんでした。ただ波のざざーっという振動が体に響いてきます。ああ、信じられないけど、ここはハワイ。いつもなら子どもを急かせている時間かも。海の神様、しばらく一緒に過ごさせてくださいと祈りました。いつの間にか全員眠りに落ちていました。

つづく

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(43)私の教育 続編2

かんなままさんの執筆記事第43弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(43)私の教育 続編2

私は自分の子どもがいつも高い波動、徳を保っていられるように、気を付けています。

何かアドバイスができることがあったらアドバイスをして、普段のいい状態を保ってあげること、そのために智恵を貸すこと。

それが私のやっていること、私の教育なのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と3」竹下雅敏(著)


辛そうな息子


息子は朝、辛そうに起きてきて、食欲がなく吐き気がすると言うので本当に具合が悪いのかと思って学校を休ませましたが、様子を見ていると家でケロッとして遊んでいます。そして夜になると、「明日は学校に行く!」と宣言して準備をするのですが・・・朝になるとお腹が痛くなって本当に吐くようになりました。

小児科医の夫と相談して、これは心理的なものが体に出てきている状態だから、好きなように休ませようと決めました。

息子は家では何事もなかったかのようにのんびり粘土遊びに熱中していました。その頃の粘土は残酷物語ではなく、自分のエネルギーが粘土づくりに集中して、次々に空想の世界の動物を作っていました。


息子のいない学校


やがて、ダンスの発表会の日が来ました。息子は行きたくないようで、その日も休みました。娘も発表会に出るので、私だけ発表会を見に行きました。クラスメイトと先生が一緒にノリノリで練習の成果を披露してくれました。見事な踊りでした。拍手喝采で、抱き合って達成感を味わっている先生と子ども達!感動的なシーンでした。

1年前の、あの荒れた子ども達とは別人でした。良かった!という安堵感と同時に、その中に我が子の姿がないのが悲しくもありました。なぜ?息子はこの子達と同じように楽しめないの?という疑問が湧き上がってきます。

何が悪いわけではない。先生も子どものためにしてくださっている。子ども達もあの辛い時期を乗り越えて鬱滞していたエネルギーを一気にダンスに乗せて発散させたのです。・・・でも、息子はこの波になれなかった。なぜ?


息子に聞いても、先生は嫌いじゃない。友達も嫌いじゃない。喧嘩もしていないし、いじめられてもいないというのです。

私は、自分の感情を横に置いて、何ができるのか?何をすべきかを考えました。考えても考えてもできることは1つです。ありのままの息子を受け入れるしかないのです。でも、自分の心がまだそれを受け入れられなくて疑問と諦めきれない期待で大揺れでした。ただ、息子には自分にも言い聞かせるように「行きたくなかったら行かなくてもいいのよ」と言い続けていました。

そして、息子のいない学校に役員として行った時、子ども達の楽しそうな歓声を聞きながら「ここには息子がいない」と思った瞬間涙がぽろぽろっと出てきました。自分の涙を見て自分も苦しんでいると気が付きました。自分の悲しみも受け入れてあげました。自分頑張れ!と思いました。

息子のいない授業参観にも行きました。先生やクラスの雰囲気を見たかったのです。懇談会では先生がプリントを配られ、自分の学級経営について語られました。自主性、やる気を育てる教育法だそうです。全員が手をあげ、自由に発言して教えあう授業です。勉強以外でも子ども達と遊び、信頼関係を築き、クラス一致団結してダンスを創り上げる喜びを味わい、友情を作ります。・・・と自信たっぷりに話されました。なるほど子ども達も盛んに手をあげ、学ぶ喜びに溢れています。お母さん方はいかに子ども達が喜んでいるか、楽しく学校に行っているかなどの感謝の言葉を言われました。

これは何も間違っていませんし、この熱意に感謝です。
でも、その時、我が子の他に6人も不登校になっていることを知りました。


ついていけない息子たち


その瞬間、どこか私の胸の奥で理由が分かったのです。これは確信でした。息子達はこの「いつも積極的なテンション」についていけないのだと。不登校の子ども達はみんなおっとりタイプでした。その当時はまだ体癖のことを知りませんでしたが6種体癖です。家で本を読んだり、マイペースで空想しながら遊んだりするのが好きな子ども達。優しい子達です。ああ・・・この先生はスポーツが得意で、発散型の自分のテンションのまま良かれと思って走っていると思いました。
この先生が悪いわけではないけれど、教師なら子ども達には色々なタイプがいることをわかってほしいと思いました。


でも、その理由が分かったので気が楽になりました。そんなまなざしで息子を見ていたら、家で自由に粘土と遊んでいる姿が実に幸せそうなのです。この子はあの雰囲気に乗れなくて体が動かなくなってしまった。どうしてみんなと一緒にできないのか、確固とした理由がわからないゆえに自分を責めたのではないか?自信を失くしたのではないか?でも、自分を守る術を体が教えてくれた。親はそれを認めて子どもが安らぎ、自分を発揮できるようにしてあげなければいけないと思いました。

他の不登校のお母さん方も苦しんでいました。先生に話してもわかってもらえない。生徒に問題があるとの判断です。子どもを叱って落ち込んでいるお母さんもいました。我が家に集まり、気持ちを共有して整理しました。みんな優しい子達ばかり、親は子ども達を理解して守ろうと話しました。

そして、息子のために先生を排除するのではなく繋がろうと思いました。息子は先生が好きだというのです。その気持ちを汲んで、先生とお茶をしました。

息子のようなタイプのいいところをアピールしました。隠れた才能も披露しました。先生はスポーツが好きだから別のタイプですよねと話しました。そして、我が子は空想して静かにしているのが好きです。だから、学校に行って皆についていけないと思ったら行けなくなります。そんな時は家で見守ります。いつ行っても行かなくても親はこの子を理解していますのでご安心くださいと伝えました。

先生もわかって下さり、息子と握手して帰られました。子どもも安心したのか、次の日から行くようになりました。ダンスには参加せず、土日も家でゆったり粘土をしていました。

親の感情、学校の都合や価値観で息子を追い詰めなくて良かったと思います。子どもを守り、先生に抗議しなくて良かったと思います。そして息子や自分を偽らなくて良かったと思います。

pixabay[CC0]



これは誰かを敵にしたり、批判する問題ではありません。苦行ですが、親ならば息子のありのままを受け入れ、息子の波動を落とさない事を優先する。徳を示す。そして子どもには「先生はダンスが得意だから自分の楽しい事はみんなも楽しいはずと思ったのよ。でもやりたくない事はやらなくてもいいよ。あなたにはあなたのペースがあるからね」と伝えればいいのです。

後は尊重して待つことしかできません。学校とは何か?学ぶとは何か?自己実現とは何か?幸せとは何か?愛と徳を学ぶチャンスがごろごろ転がっています。

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(42)愛情要求 続編1

かんなままさんの執筆記事第42弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(42)愛情要求 続編1

愛情要求がしっかり満たされている子は、絶対に問題のあるような遊びはしません。

甘えることに対して十分な愛情が与えられていない子どもは、この遊びが危険なものになります。

本当は愛が欲しいのだけれど、その見込みがなければ、叱られてでも親の関心を欲します。一番怖いものは、無関心です。自分がほっぽりだされたような無関心が怖いのです。叱られることでもいいから、親の関心が欲しいのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と」竹下雅敏(著)


学級崩壊と問題を抱えた子ども達


20年前は学級崩壊という言葉が出始めた頃です。それは先生の力量のなさと評価され、出世に傷がつきました。一方で子どもや親に問題があると判断されることも多いのですが、カウンセラーなどの支援体制も法的支援もないまま親子が置き去りにされていました。ひどい場合は親が子どもに手を焼いて警察に連れていってくださいと言うケースもありました。親もまた不幸な育ちをしている人でした。これでは根本的な問題解決になりません。


さて、前回の続きですが、担任の先生は校長先生に話し、私はクラスの保護者ひとり1人に電話をかけました。当事者の親もいます。家庭の問題に介入することはできませんが、何か問題があることは確かです。でも、私はその親を責める気にはなれませんでした。問題を抱えた子どもを救うためにもその親を排除したり孤立させてはいけないと思いました。だから、その親にも同じように電話をして荒れていることを伝え、協力をお願いしました。まずは皆でお楽しみ会をしたいと思ったのです。

ほとんどの親は理解してくれて新たな情報も教えてくれました。その子が母子家庭であること。別の子も貧困であったり、家業が忙しくて親が放任であること等です。その中には我が家に遊びに来る子も何人かいました。親の顔は知りませんが、いい子です。その子があんな態度を見せるなんて信じられないくらいでした。だから子どものせいではないと確信していました。先生もまじめな先生で、話をすればわかる先生だと思いました。


お楽しみ会の開催


前もって参加できる親だけ集まり、趣旨を共有して何をするか決めました。先生も校長先生にお願いして日曜日に学校を開けてもらう許可を取りました。当事者の親も3人くらい参加してくれました。朝から子ども達と一緒に準備します。家にある材料を持ち寄り、皆でゼリーを作り、ゲームをして、本の読み聞かせもしました。「ラブ ユー フォーエバー」という絵本です。「どんなにヤンチャで不良のようなことをする子でも、親はいつでもいつまでも愛しているよ」というメッセージの本です。子ども達も真剣に聞いてくれました。



読んだ後にその子がやってきて「うちの母ちゃんはそんな事一回も言ったことない」と言いました。その日も不在でした。「それは寂しかったね。でも、大丈夫だよ。親は忙しいし、子どもにそんな言葉を言うのが恥ずかしいだけよ。子どもの事を好きじゃない親は1人もいないよ。きっと寝てしまってからこっそり言っているのよ。おばちゃんもそうだよ」と言いました。「うちの母ちゃんも言ってるかなあ?」「言ってるよ!」と言ったら嬉しそうに走って皆の所に行きました。

こんな時はみんな仲良く遊んでいます。説教するのではなく、親も関わり続けて「子ども達の事を大事に思っているよ」と伝えようと話しました。

その後、そんな会を何回かして、先生とも密に連絡を取り続けました。やはり先生は校長先生から指導が入り、毎日その子達の観察日誌をつけて、子どもの問題行動を徹底的に記録して、どう対処したか、反省点、次回に向けてどう取り組むかを毎日チェックされるようになりました。通常の仕事プラスこの作業で疲れ切っているようでした。子ども達にも毎日反省ノートを書かせます。これはきちんと対応していますという証拠であり、監視でもあります。校長先生の指導は、時として現場とのギャップがあり、子どもを信じていないと感じることが多々ありました。

もちろんその日誌等を見せてもらったわけではありません。でも、その観察日誌そのものに子どもへの愛を感じませんでした。向いている方向が1人ひとりの子どもの育ちではなく、自分達の保身のようです。私にはそんな組織に立ち向かう知恵も力もありませんので無視しました。ただ、先生は励まし続けました。その先生には愛を感じたのです。    

一番問題を抱えた子は時々喘息の発作を起こして入院していました。息子と一緒にお見舞いに行くと、いつも1人で寝ていました。病気になって親に構って!と言いたいのかなと感じました。親側に大いに問題があると思いますが、私が立ち入ることではありません。せめて子どもを守ってあげたいと思いました。嬉しかったのは誰も子ども達を責めませんでした。

やがて、その子達も落ち着いて前のようには騒がなくなりました。先生がその日誌を通して子ども達に優しい言葉をかけ続けたのも功を成したようでした。

pixabay[CC0]


5年生になりました。クラス分けがあり、その子達はバラバラになりました。もちろん、担任の先生も変わりました。その先生は1年間学校を離れて異業種体験研修(ほかの企業などで職場体験研修)に行くことになりました。その後復帰して、ずっと子ども達の成長を見守られて成人式にも出席されていました。もちろん私も先生との交流を続けています。


絶大な人気のある新しい先生


さて、新しい先生は男の先生で子ども達や保護者に絶大な人気のある先生でした。いつも子ども達の傍にいて、昼休みも放課後も日曜日も一緒に遊んでくれました。特にドッジボールとダンスが得意で、子ども達とチームを作ることになりました。

子ども達はまるで魔法にかけられたかのように、一気に先生の流れに乗りました。荒れていた子も楽しそうに仲間に入って踊っていました。授業も独特で発表の中身は手で合図します。できた子は自由に教室を動き回ってわからない子に教えます。授業参観でも皆が積極的に授業に参加していました。ハキハキ発表して、やじる子はいません。同じ子ども達?と目を疑う様でした。保護者も安心しました。

やがて秋の文化祭が近づいてきました。このクラスではダンスを披露することになりました。ロック調の音楽で振り付け指導は先生です。放課後はクラス全員で練習。土日も先生と遊園地に行ったりダンスをしたりしていました。


その頃からです。あんなに楽しそうにしていた息子が朝になると食欲がなくなり吐き気を催すようになったのです。

つづく

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(41)本当は反抗期はない

かんなままさんの執筆記事第41弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(41)本当は反抗期はない

子どもが困ったことをやるときには、必ず子どもの心に問題があるのです。子どもは悲しんでいるし、苦しんでいます。

その問題の背後には母親、父親の問題があります。なにか間違ったことを両親がやっているのです。

子どもが見せている態度は父親、母親が一番見たくない自分の姿です。

子どもを叱って直そうとするのではなく、まず、自分を直さないとどうしようもありません。

出典:「ぴ・よ・こ・と」竹下雅敏(著)


4年生の息子の様子がおかしい


もう20年も前、一番下の息子が4年生の時の話です。息子のクラスは1年生の時から担任の先生が病気や産休で次々に変わり、3年間担任の先生が不在の状態でした。そのため子ども達の落ち着きがなくなり心配していたところ、4年生になってベテランの先生が担任になってホッとしました。

ところが、息子の様子がだんだんおかしくなり、家で「くそ!」「ばか!」「死ね!」と言うようになったのです。よく観察していると家族に対してではなく自分で作った粘土の兵士に向かって暴言を吐き、殺しているのです。4人兄弟の末っ子で皆から可愛がられて育った息子の口からそんな言葉が出るのにショックを受けました。何が原因でそんなことをするのかわかりません。話を聞いても「くそ!」というだけです。


授業が成り立たない授業参観



そんな時、授業参観がありました。私は学校の様子を知りたくて参加しました。40人クラスです。国語の授業だったと思います。先生が子ども達に質問をしました。手を挙げた子が答えた時です。1人の子が大声で「違いまーす!」とやじりました。「あはははー!」と皆もからかうように笑います。先生が「どこが違うの?」と聞くと「わかりませーん!」「あはははー!」と瞬時に手を叩きながら笑うのです。

先生がその子を諭していると他の子が椅子をガタガタさせて隣の子にチョッカイを出しました。チョッカイを出された子が立ち上がってケンカが始まりました。先生が大声で止めに入りました。子ども達は囃し立てる子、無視する子・・で全く授業が成り立たなくなりました。

そして、ケンカを始めた子がいきなり「おまえ飛び降りて死ね!」「できないくせに!」と言いました。言われた子は「できる!」「やってみろよ!」のやり取りの後、いきなり教室のベランダに出て飛び降りようとしました。ここは3階です。私達は叫び声をあげました。先生が止めに入り・・。もみあいになり収まりました。

私は顔が青ざめ、自分の気が音をたててざーっと引いていき腹に集中した感じがしました。本気モードに入れ替わったのです。これはただ事ではありません。最近の息子の言動のワケもわかりました。息子は当事者ではないもののこの雰囲気の教室で色々な想いを抱えこみ傷ついていたのでしょう。そして受けたネガティブなエネルギーを発散するには「バカ!死ね!」を兵士にぶつけるしかなかったのです。


授業の現状


Author:ajari[CC BY]


授業が終わって保護者懇談会の時間になりました。先生はまず、この件について謝られ、簡単に最近の様子を話されました。子ども達が荒れている事。1人ではなく5人くらいの子が問題行動を起こすこと。時々授業にならなくなること。個別指導もしています。と報告されて他の議題に戻そうとされました。

私はちょうど役員をしていたこともあり、この状態を知ったからには黙っておれないと思いました。先生の話をさえぎり「授業中に起こったようなことは親としても大問題です。いつもこの状態ですか?予定されていた議題よりこちらが重要です」と言いました。

「現状を教えてください」と話を戻しました。他のお母さんも黙って聞いています。先生は自分が至らない事。赴任当初は良かったけれども次第に子ども達がイライラして授業中に相手をけなし始めた事。それに対処していたら別のところで又始まること。教室を飛び出す子。「バカ、死ね、殺すぞ」は日常茶飯事。でも今日のようにベランダから飛び降りようとしたことはありません、と話されました。先生もその状態に疲れ果てた様子です。

私は話を聞いて、「これはその子だけの問題ではありません。クラス全体が影響を受け、先生や親の問題でもあります。この状況を先生一人で解決できるとは思えません。先生はどうしたらいいと思われますか?」と聞きました。先生は「校長先生とも相談して、できるだけ指導します。申し訳ありません」と言われました。この先生はベテランで指導力もあり、落ち着かない息子たちのクラスに抜擢されて担任になった先生です。保護者もホッとした矢先でした。


一番大事なのは子ども達


pxhere[CC0]


とりあえず「保護者も考えます」と言って帰りました。その夕方、先生が我が家を訪ねてこられました。切羽詰って「お願いです。頑張りますから教育委員会に言う事だけは待ってください」と言われました。この先生は何を言っているのだろう?何を怖がっているのだろう?保身?問題は子ども達の事なのにと思いました。教育委員会に届けて先生を処罰したり犯人捜しをして解決する問題ではない。それより目の前の子ども達が待ったなしの危機的状態にある!と思いました。

私は「教育委員会に訴えようとは思っていません。それより原点に戻りませんか?今一番大事なのは子ども達です。我が子も家で「死ね」などの言葉を吐き、苦しんでいます。原因になった子も理由があるはずです。その子を叱ったり排除しても又同じ問題が起こります。それより先生と親が本気になって子どもを助けてあげませんか?我が子だけの問題ではないのです。先生できますか?先生が本気になるなら私たち親も先生と一緒になって頑張ります。親には私から伝えます」と言いました。

先生は泣きだされ、「ありがとうございます。助けてください。でも、こうなったら校長先生にも報告します。私は処罰を受けて動けなくなるかもしれません」と悲痛な声で言われました。

つづく

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(40)働き方

かんなままさんの執筆記事第40弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(40)働き方

今の瞬間を一生懸命に生きるのです。10年先、20年先を見越して、正しいと思うことをやり続けて生きるのです。

同じことを20年やり続けてごらんなさい。必ず人が聞きに来るようになりますから。

出典:「ぴ・よ・こ・と2」竹下雅敏(著)


ボランティアでやり続けたことが1つずつ市の事業に


この時期、市の事業は来年度の事業計画を精査して予算を組んでいきます。私達は10月ごろから次年度の事業計画を立ててお願いするのですが、ありがたいことに私達がずっとボランティアでやり続けたことが1つずつ市の事業になっていきました。

思えば、自分が子育てしていく中で支援して欲しかったことを当事者意識でサポートし始めたのは30年前。学校がいじめ問題で荒れ、子育ての孤立化が始まった頃です。

ちょうどその頃、小児科を開業するために引っ越してきたのですが、この町に図書館がないことにびっくりしました。子どもが通っていた幼稚園にも月刊雑誌のみで絵本がありませんでした。まずは園長先生にお願いして絵本の会を開き、お母さんたちの学びや交流の場を作りました。

幼稚園も推薦した本を全部購入してくださって部屋も開放してくださいました。1人の保護者が相談に行って、すぐに対応してくださる懐の深さに驚きましたが、その後、この園は素敵な園になり、絵本の会も受け継がれているそうです。

pixabay[CC0]


小学校でも絵本の読み聞かせのグループを作り、地域の民話を掘り起こして人形劇を作った事もあります。子連れで集まり、話し合って脚本を書き、画家のママが舞台を描き、ピアノの先生が音楽を入れて練習しました。懐かしい思い出です。

校長先生によっては親の読み聞かせは社会教育の分野で学校教育ではないと断られたこともあります。そんな時は担任と司書の先生が理解してくださり図書館事業として関わっていました。当時はそんな時代でした。

クラスが荒れたときには親の会を作って皆で支え合いました。不登校の子が増えた時も一緒に考えました。誰かのせいにするのは簡単ですが、それよりも先生と保護者が原点に戻って、どんな子も守りたいと思ったのです。もちろん言うのをあきらめて、ひたすら我が子を守ったこともあります。

どうしてそんな事ばかりしてきたのだろうと思いますが、子育て中の私は子どもから離れた生活は考えられないし、子育ての面白さに目覚めて、気が付いたらやっていたという感じです。5種体癖ですねえ!

でも、次々にそんなことをやるので、地域ではかなり浮いていたと思います(笑)。売名行為!目立ちたがり屋!など逆風も多々!初めはそんな声が聞こえてくるたびに落ち込んでいましたが、自分に正直で野心がなければ恥じることはないと言い聞かせてきました。


子育てと行政


でも、同時に子ども4人を抱えて子育てに悩み、家族関係も含めて生きる指針を求めていました。そんな頃に竹下先生に出会いました。先生の子育ての講話が乾いた大地を潤すようにしみ込んでいきました。「子どもを見なさい。自分に問いなさい。真摯に生きなさい。」と原点を教えていただいた気がしました。

やがて北欧の子育てが気になり始めました。県の事業に応募して視察の旅に出ました。その経験を活かしてジプシーのように公民館を渡り歩いて子育て広場を作りました。

その頃、市から教育委員の要請がきてびっくりしました。学校の事は保護者の立場でしかわかりませんでしたが、縦割り行政の中で子育て現場の人間が教育委員会で発言できる機会を与えられたと思って引き受けました。

正直言って行政は体制で固められています。又、毎年人事異動があって、担当職員によっては事業そのものの意味がなくなることさえあります。何度無力感に襲われたことでしょう。でも、そのたびに自分の気持ちを確認して、やる気が新たに生まれるから不思議です。幸せなのは同じ気持ちの友達がいること。その分野でいつも一歩先を行く先輩が全国にいることでした。

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そのおかげで11年間、私の信念は変わらず、子どもの育ちに焦点を当てて発言し続けることが出来ました。私の小さな発言では体制を変えることなどできませんが関わった行政や学校の先生方とは子どもの事を真剣に話し、信頼関係を築けたと自負しています。

退任の時「あなたほど、叩かれても一貫して子育ての事を言い続けた人を知りません」「あんなに叩かれたら私は怒って出ていく。よく我慢しましたね」と言われて逆にびっくりしました。当の本人は傷つくどころか、子ども達の幸せのために!と思って全く揺らぎませんでした(2種体癖ですね!)。そして、それ以上のことは神様にお任せするしかないという事を知っているだけでも強くなれました。

今は、子育て広場の中で親育ち、子育ち支援に取り組んでいます。初め、新米ママの講座を年に1回認められるのがやっとでしたが、来年度は行政から頼まれて4回開催することになりました。中学校での子育て広場も10年来ずっとボランティアでやって来ましたが来年度、市の事業として認められ、予算も付くことになりました。ほとんどの事業が削減される中で快挙です。自分でびっくりしています。


気が付いたことをやれる範囲でやり続ける


さて、今年も、その仲間と一緒に年に一度の市長と懇談する日が来ました。
最新の子育て事情を話して、産前産後の切れ目のないサポート体制の必要性と、夫婦で子育てをするために育休と働き方改革の話をしてきました。市長から逆に「保育料を無償にする事とそういう支援事業をすることはどちらが優先だと思いますか?」と聞かれました。

私は「保育料を無償化することだけでは子育て支援にならない。むしろ預け易くなって母子分離を早めます。母子愛着形成が最優先です。そんな目先のパフォーマンスではなく、親になる支援をし続けたほうがいいと思います」と答えました。

pixabay[CC0]


市長から「家でがんばっているお母さんへの支援を考えようと思っています」と言われました。去年ママ達が市長と懇談して「我が子を保育園に預けないで育てるからお金を下さい」と金銭要求に行ったと誤解されて落ち込んでいたことを思い出しました。
でも、ちゃんと市長の心に届いていたようです!

自分の人生を振り返ってみたら、気が付いたことをやれる範囲でやり続けて来ただけです。
たとえそれが認められなくても、わかってもらえなくても、現場の赤ちゃんやママ達が喜ぶ顔を見ていたらそれだけで幸せで30年なんてあっという間でした。そしてこれからも同じようにやっていくだけです。

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かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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