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注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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アフリカの発展を妨げる「CFAフラン」の闇【後編】
配信元)
YouTube 23/8/15
【要約】
CFAフランの加盟国は、外貨準備高の50%をフランスの国庫に預けなくてはならないという規定がある。これはフランスにとっては重要な収入源になっていた。
フランスが共通通貨の仕組みをアフリカの国々に導入したのは1945年、まだ植民地支配をしている時代だった。以来70年以上、アフリカ諸国が独立した後も、CFAフランが存続してきた。
歴史的に見ると、アフリカの国々がフランスの植民地からの独立を果たしたのは、1950年代から1960年代の初めだった。1954年から1962年にかけてのアルジェリア独立戦争は熾烈を極め、アルジェリア人の死亡は100万人とも言われた。
第二次世界大戦後、世界的に「植民地支配の終わりは避けられない」機運が高まっていたことに加えて、植民地とフランスとの関係が悪化する前に独立をさせ、独立後にもフランスの影響力を残そうとした政治的な思惑もあって、当時のフランス大統領ド・ゴールは、植民地独立政策を実行した。
この政策によって、1960年にはフランス領だった13カ国が独立し「アフリカの年」と言われた。
こうしてアフリカ諸国は表向きの独立を果たしたものの、CFAフランは存続した。
「ある国が独立している」という状態は、自国の政府、または中央銀行が自国の通貨を発行する権利、つまり通貨発行権を持っていることを意味する。「独立した」アフリカの諸国は通貨発行権を失ったままだった。
フランスにとって有利な仕組みであり、大きな既得権益のCFAフランを維持するために、フランスは様々な手段を用いてきた。
・CFAフラン加盟国への国際支援
加盟国には、ニジェール、マリ、ブルキナファソ、チャドなど経済的に貧しい国々が多く、旱魃による食糧難も度々起きていた。フランスはこれらの国々に膨大な食糧支援を行なった。
・軍事支援
反政府組織やテロリストに対してフランス軍を派遣してきた。
これらによって、加盟国は「フランスには逆らえない」状況になり、CFAフランも拒否できない。
「フランスからの完全な独立を目指し、アフリカの自立を訴えるリーダー、CFAフランの廃止など、フランスの経済的な搾取から逃れようとした政治家たちは、軍事クーデターで失脚する」と言われている。
西アフリカの社会活動家の言葉
「CFAフランは、ベナンの経済と産業を破壊している。(CFAの為替レートをフランスに有利にすることで)せっけんから鶏肉まで、多くのフランス製品が安い価格でベナンに入ってくる。ベナンの製品は価格競争で勝てない。輸入に依存する状態が続き、その結果、ベナン経済は自立できない。西アフリカ諸国の大統領はCFAを廃止したくても、それを言えばフランスに暗殺されてしまう。政治家はフランスの言いなりになるしかない。西アフリカは"経済的な奴隷状態"だ。ベナンを含む西アフリカはまだ独立を果たしていない。」
これまでのアフリカの歴史を見ると、ヨーロッパやアメリカの支配に立ち向かったアフリカのリーダーが暗殺されるというのは、頻繁に起きてきた話だ。
例えば、コンゴ民主共和国の独立を率いたパトリス・ルムンバは、コンゴの天然資源を国有化する宣言をした後、ベルギーとアメリカの陰謀によって暗殺された。
1960年に独立したマリ共和国のモディボ・ケイタは、独自通貨のマリ・フラン導入などアフリカの自立を訴えていたが、1968年に軍によるクーデターで失脚。
アフリカ全体の共通通貨ディナールを導入しようと計画していたリビアのカダフィ大佐は、NATO軍による軍事介入で殺害された。背後に「フランスの諜報機関が関与していた」とする説もある。
CFAフラン加盟国には、フランスが大きな影響力を持っていたが、近年、その状況が変わりつつある。
経済においては中国が、軍事においてはロシアが、相対的に影響力を高めてきた。
中国・ロシアの進出によって、アフリカの国々にとっては、フランス以外にも支援先が出てきた。
フランスの言いなりになる必要がなくなってきた。
これまで数百年にわたってヨーロッパの支配を受けてきたアフリカの人々にとって、「いい加減、フランスの支配から独立したい。」と抗議活動が起こっていた。
2019年に、西アフリカで流通しているCFAフランを廃止し、ECOという新たな共通通過を導入する動きもある。
日本人が思っている以上に、アフリカの人々は「西欧諸国のダブルスタンダード」、つまり、自分達のことは棚上げして、他の国の批判はするという偽善に敏感に反応している。
1950年代から1960年代にかけて、世界の植民地が独立する機運が起こります。その時、西アフリカから中部アフリカを支配していたフランスは、植民地への既得権を手放すことなく、表向きの「独立」を認め、「独立」後にもフランスの影響力を残すという政治的な選択をしました。CFAフランの仕組みを存続させるために、加盟国への食糧など経済支援や軍事支援を展開しました。アフリカの経済的に貧しい国々は、フランスの援助を受けるべくCFAフランに加盟せざるを得ない状況となりました。
それでも、多くのアフリカのリーダーがヨーロッパやアメリカの支配に立ち向かったことが歴史に刻まれています。しかし真に自国の独立を目指したリーダーは次々に失脚し、暗殺されました。そしてその背後には宗主国などの謀略があったという説が根強く伝えられています。
近年、CFAフラン加盟国に対するフランスの影響力が大きく低下しました。それは加盟国への中国、ロシアの影響力が相対的に大きくなった結果でした。フランス以外にも支援先が現れた加盟国は、「もはやフランスの言いなりになる必要はない」「いい加減、フランスの支配から独立したい」と表明しました。"日本人が思っている以上に、アフリカの人々は「西欧諸国のダブルスタンダード」、つまり、自分達のことは棚上げして、他の国の批判はするという偽善に敏感に反応している"、と原寛太氏は指摘しています。
23/7/11時事ブログに「日本では『ザイム真理教』という言葉で、日本の衰退の責任を財務省の愚かさとしていますが、そうではなく日銀が本当の犯人です。彼らは本当に頭がよく意図的に行っています。」との、竹下氏のコメントがありました。まのじ的には経済の「肝」コメントでしたが、通貨をコントロールすることこそが主権だと分かるCFAフランの仕組みでした。