ぴょんぴょんの「寒い日々の物語」 ~ウスタシャが運営していた、ヤセノバッツ強制収容所とは

 詩人の山崎佳代子氏は、セルビア空爆時もベオグラードに留まり、その日々を「ベオグラード日誌」に書き綴った方です。ご主人はセルビア人と日本人のハーフで、セルビア人の親族や友人から聞いた戦争体験を、詩や文章に書いておられます。数冊読んだ中で、特に印象に残っているのが、「ドナウ、小さな水の旅」の一章、「寒い日々の物語(94p〜)」です。ここには、凍るような氷点下の日にあった悲しいできごとが、淡々と書かれています。
ページ数:「ドナウ、小さな水の旅」
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「寒い日々の物語」 ~ウスタシャが運営していた、ヤセノバッツ強制収容所とは

ノビサドで起きた悲惨な大量虐殺事件


う〜、ブルブル、寒くなってきたね。

こんな寒い日には、思い出してしまう。

なになに? 失恋した話?

アホ! 山崎佳代子氏の「寒い日々の物語」だよ。

へえ、どんな話?

セルビアの北、ボイボディナ自治州の州都、ノビサドで起きた悲惨な事件だよ。


ノビサドって、どんなとこ?

ハンガリーと接しているから、セルビアの中でも垢抜けた街だそうだ。



へえ、かの有名なドナウ河も流れる、詩情あふれる街だね。

このノビサドに、山崎氏は、わざわざ雪深い冬を選んで訪れた。ドナウ河の岸辺も、夏には、パラソルが並ぶ水浴場になってにぎわうが、冬は閑散として、河の流れも強く速く冷たい。

「だが水浴場は、悲しい冬を記憶する。第二次大戦中、ノビサドは、ハンガリーのホルティ政権の支配下にあり、ナチズムの嵐が吹き荒れた。とりわけ残酷だったのは、1942年1月下旬の『寒い日々』と呼ばれる大量虐殺事件で、ユダヤ人、ロマ人(ジプシー)、セルビア人が、ドナウで命を失った(95p)。」
「あの日、ここで多くの人が殺された。(中略)...雪道を歩かされた人々は、コートもマフラーも手袋もなく、3日で1300人あまりが犠牲になった(98p)。」 
虐殺は20日間ほども続けられたのですよ。その日は厳冬、マイナス20度、ハンガリー軍は、シュトランド水浴場に人々を連行します。ドナウ河は凍っていた。人々に氷を割らせて、その穴に沈めていったのです。あまりの残虐ぶりに、ブダペストから中断するようにと命令が下ったほどでした。ユダヤ人、セルビア人、ロマ人、反ファシストたちが犠牲となったのです(100p〜101p)。」

ブルブル! 身も心も震え上がるような光景だね。

現在、山崎氏が住むベオグラードを流れるドナウ河の岸辺にも、第二次大戦中、「寒い日々」の犠牲者の遺体が流れ着いたと言う(274p)。その他、上流のヤセノバッツ強制収容所や、シーサック子供絶滅収容所からの水死体もあったと言う(162p)。


アウシュビッツよりも恐ろしい強制収容所


ゾゾ〜! そんな光景、見たくないよ。てゆうか、ユーゴスラビアにも強制収容所があったんだ。それに、子供絶滅収容所ってなに?!

絶滅収容所とは「囚人を殺すために設置された強制収容所」。文字通り、子供を殺すための収容所だよ。子供時代にそこに連れて行かれたが、運良く逃げのびた女性の体験談も、山崎氏は書いている。

ソビボル絶滅収容所(1943年夏)
Wikimedia_Commons[Public Domain]

そんなヒドい所があったなんて、知らなかった。

だが、ユーゴスラビアのナチス占領時代を語るには、ここら辺は避けては通れない。特に「ヤセノバッツ強制収容所」。と言っても、聞いたこともないだろうが。

ぜんぜん! アウシュビッツなら知ってるけど。

「残虐さにおいて、ヤセノバッツはドイツの多くの強制収容所、いやアウシュビッツよりも、はるかに恐ろしい収容所であった。」Wiki

ひえ〜、知らなかった。

ヤセノバッツは、1941年8月末に開設され、1945年4月末まで運営されたが、「野蛮な慣行と多数の犠牲者で悪名高い」絶滅収容所と言われる。Wiki)ちなみに、セルビアのヴチッチ大統領の祖父も、ヤセノバッツで殺されたそうだ。(YAHOO!ニュース

ヤセノヴァツ強制収容所の入り口
Wikimedia_Commons[Public Domain]

そうだったんだ。

ヤセノバッツの囚人の扱い方は、ナチスもビックリだった。(YAHOO!ニュース


ウスタシャの目標とは


ナチスの強制収容所もヒドかったけど、どこが違うの?

運営者が「ウスタシャ」だったこと。

ウスタシャってなに?

ユーゴスラビアがナチスに占領された後、1941年4月10日、ナチスとウスタシャが手を組んで、「クロアチア独立国(NDH)」が建国された。

だから、ウスタシャって何?

一言で言えば、テロ集団だな。

テロ集団が国を仕切っていた?

ネオ・ナチが国を仕切る、今のウクライナみたいなもんだ。ウスタシャは、結成5年目にして、ユーゴスラビア王アレクサンダル1世を暗殺するという、大仕事をやってのけている(1934年)。

アレクサンダル1世
Wikimedia_Commons[Public Domain]

本物のテロ集団だ。

まあ、アレクサンダル1世にも原因はあったがな。セルビア人、クロアチア人、スロベニア人から成るユーゴスラビア王国を、自分と同じセルビア人だけで支配しようとしたから。

それは反感を買うよ。

ウスタシャのリーダーだったアンテ・パヴェリッチは、こう述べている。「ウスタシャが目標を達成するための主な手段は、暴力とテロである。」

アンテ・パヴェリッチ
Wikimedia_Commons[Public Domain]

う〜ん、わかりやすい。で、「ウスタシャの目標」ってなに?

セルビア人の排除だよ。ヤツらにとって大事なのは、クロアチアとクロアチア人、そしてクロアチアの独立。それを邪魔するセルビア人は、暴力で排除する。

セルビア人憎し、だねえ。

そこにナチスの方針も追加されて、ユダヤ人やロマ人も迫害の対象になった。

なんと言うか、憎しみと暴力が原動力みたい。ちょっと、子どもじみてない?

・・つうか、こいつらの行動を見ると悪魔的だな。

へえ、どんなことしたの?

それは後で話すとして、1941年5月に政権を握ったウスタシャは、まず、「ウスタシャの目標」を達成しようとした。その目標とは、1.セルビア人の3分の1を殺害する 2.セルビア人の3分の1を追放する 3.セルビア人の3分の1を強制的にカトリックに改宗させる。

セルビア人、しか頭にない。


ウスタシャ最大の強制収容所「ヤセノバッツ」


そして、クロアチア独立国誕生のわずか5日後、ただちに目標に向かって動き出した。まずは「ダニツァ強制収容所」を設立。その4ヶ月後(1941年7月)には、ウスタシャ最大の強制収容所「ヤセノバッツ」の建設を開始した。

出たね、ヤセノバッツ。

Author:NordNordWest[CC BY-SA]

今のクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境付近にあったのか。

ヤセノバッツに収容されていたのは、セルビア人、ユダヤ人、ロマ人、クロアチア人の政治犯。3年半以上の運営期間に殺害された犠牲者の数は、少なくとも8万人〜10万人。ヤセノヴァツ追悼施設のリストによると、83,145人の犠牲者のうちセルビア人47,627人、ロマ人16,173人、ユダヤ人13,116人。クロアチア人、ボシュニャク人、その他が残りを占める。そのうち成人男性が39,570人、成人女性が23,474人、そして子供が20,101人。(BALKAN TRANSITIONAL JUSTICE

セルビア人がダントツに多い。そして子ども…。

ユダヤ人はもっといたが、ナチスの要請によってアウシュビッツへ送られたから少ない。セルビア人がダントツに多いのは、セルビア人を絶滅させるのが目的だからな。

でも、そこまで憎むなんて、ちょっと異常だね。

ああ、悪魔的だ。ヤセノバッツには、アウシュビッツのようなガス室もない。殺人に使われた道具は主に、ナイフ、ハンマー、斧。「セルビア人とユダヤ人の男性、女性、子供たちは文字通り切り刻まれて殺された」「ポケットナイフで胸を切り取られたセルビア人女性、目をえぐり取られ、去勢され、身体を切り刻まれた。」Wiki

・・・・・。

このやり方には、傍で見ていたドイツ軍人もビックリ。ゲシュタポがヒムラーに出した報告書にはこう書かれている。「ウスタシャは、徴兵年齢の男性だけでなく、無力な老人や女性、子供に対して、獣のような行為を犯した。ウスタシャが虐殺し、サディスト的に拷問して死に至らしめた正教徒の数は、約30万人である。(1942年2月17日付)」Wiki

ゲシュタポが、ふつうの人に思えてきた。

ドイツ軍将校も証言している。「ウスタシャが女性や子供を家畜のように殺害し、一連の獣のような処刑を行った。」 クロアチアの全権大使ホルスタナウ将軍は「女性はレイプされた後に拷問されて殺され、子供たちは殺された。私はサヴァ川で、目玉をくり抜かれ、性器に杭を打ち込まれた若い女性の死体を目撃した。この女性は、この怪物たちの手に落ちたとき、せいぜい20歳だっただろう。」 (Wiki

・・・ルワンダの大虐殺を思い出す。アウシュビッツに送られたユダヤ人はかわいそうだけど、ここよりマシだったかもしれない。


悪魔的ウスタシャに協力していたバチカン


この、悪魔的ウスタシャに協力していたのは、なんと、カトリックの聖職者たち。

たしか、クロアチアの国教はローマ・カトリックだったね。

Author:Martin Möller[CC BY-SA]

たとえば、カトリックの修道女らが、野球のバットを振るような動作で、子どもの足でつかんで強く振り回し、頭部を壁に打ちつけて殺していたという証言がある。Wiki

ひええ〜〜?! イエスの教えはどこ行った?

フィリポヴィッチというフランシスコ会修道士は、軍司祭としてウスタシャに加わったが、約2730人のセルビア人(500人の子どもも含む)の虐殺に加わった(1942年2月)。彼はヤセノバッツの看守長となり、クロアチア人の同僚から「ブラザー・サタン」と呼ばれた。

「ブラザー・サタン」?!

第二次大戦後、ウスタシャと指導者パヴェリッチは、クロアチアを追われて南米に密航した。その際、バチカンの高位聖職者が密航ルートを手引きしたという。

バチカンの偉い人までウスタシャの味方?

カネだよ。ウスタシャが、セルビア人とユダヤ人から略奪したゴールドの大半が、バチカンに送られたとする報告書もある。(Wiki

そういうことかい。

クロアチアの大司教だったシュテビナツ枢機卿は、カトリックへの強制改宗に加担した聖職者をかくまったとして、第二次大戦後に告発され、投獄された。なのにヨハネ・パウロ二世は、シュテビナツを聖人に次ぐ福者に列福した(1998年)。(Wiki

シュテビナツ枢機卿
Wikimedia_Commons[Public Domain]

これも、カネの力か?

まだある。ヨハネ・パウロ2世は、ヤセノバッツの看守長「ブラザー・サタン」こと、フィリポヴィッチ修道士が所属した修道院で、ミサを行ったことで世間を騒がせた(2003年)。

ブラザー・サタンの修道院でミサ?

それだけじゃない、教皇はその修道院で、1923年にウスタシャの前身「クロアチア鷲の会」を創設した、カトリック信者イヴァン・メルツも列福した。Wiki

やっぱ、バチカンはサタンに仕えてる、ってホントだったんだ。

国連もNATOもアメリカもEUも、セルビアばかりを悪魔に仕立てあげてきたが、なんで、本物の悪魔ウスタシャに、「ジェノサイド」のレッテルを貼らないんだ?!

今のクロアチアはどうなの?

今はヨーロッパ全体で、ウスタシャはナチスと同じくらい否定されている。だが、サッカーの試合になると、クロアチアのチームは今だにウスタシャのシンボルを出してくる。


北は、ウスタシャが暴れたクロアチア。南は、マフィアのアルバニア。そのアルバニアに乗っ取られたコソボを抱えるセルビア、ご苦労さんだねえ。



Writer

ぴょんぴょんDr.

ぴょんぴょん

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
(クリニックは2014年11月末に閉院)
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)


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