詩人の山崎佳代子氏は、セルビア空爆時もベオグラードに留まり、その日々を「ベオグラード日誌」に書き綴った方です。ご主人はセルビア人と日本人のハーフで、セルビア人の親族や友人から聞いた戦争体験を、詩や文章に書いておられます。数冊読んだ中で、特に印象に残っているのが、「ドナウ、小さな水の旅」の一章、「寒い日々の物語(94p〜)」です。ここには、凍るような氷点下の日にあった悲しいできごとが、淡々と書かれています。
ページ数:「ドナウ、小さな水の旅」
参考:「ウスタシャ」「ヤセノバッツ強制収容所」
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ぴょんぴょんの「寒い日々の物語」 ~ウスタシャが運営していた、ヤセノバッツ強制収容所とは
ノビサドで起きた悲惨な大量虐殺事件
【地理豆知識】
— 頽廃卿ポッピー (@BigBrother_Popy) February 4, 2023
ヴォイヴォディナ自治州はコソボと(セルビア側から見れば)同じセルビア内の自治州である。
ここでセルビアからの独立運動が盛んでは無い理由は住民の過半数がセルビア人だからであり、住民の大多数がアルバニア系のコソボとは対照的である。 pic.twitter.com/fEpNp33zAK
ノビサドNovi Sadセルビア第二の都市。ハンガリー帝国だったので建築物が細かいというか女性らしいというか。小腹が空いて食べる飲む全てが美味しい、食材のパワーを貪り吸収。ドナウ川沿いに要塞。 pic.twitter.com/S1vrLp6qBh
— Michiko Shida (@mchshd) May 13, 2023
「だが水浴場は、悲しい冬を記憶する。第二次大戦中、ノビサドは、ハンガリーのホルティ政権の支配下にあり、ナチズムの嵐が吹き荒れた。とりわけ残酷だったのは、1942年1月下旬の『寒い日々』と呼ばれる大量虐殺事件で、ユダヤ人、ロマ人(ジプシー)、セルビア人が、ドナウで命を失った(95p)。」
「あの日、ここで多くの人が殺された。(中略)...雪道を歩かされた人々は、コートもマフラーも手袋もなく、3日で1300人あまりが犠牲になった(98p)。」
「虐殺は20日間ほども続けられたのですよ。その日は厳冬、マイナス20度、ハンガリー軍は、シュトランド水浴場に人々を連行します。ドナウ河は凍っていた。人々に氷を割らせて、その穴に沈めていったのです。あまりの残虐ぶりに、ブダペストから中断するようにと命令が下ったほどでした。ユダヤ人、セルビア人、ロマ人、反ファシストたちが犠牲となったのです(100p〜101p)。」
「あの日、ここで多くの人が殺された。(中略)...雪道を歩かされた人々は、コートもマフラーも手袋もなく、3日で1300人あまりが犠牲になった(98p)。」
「虐殺は20日間ほども続けられたのですよ。その日は厳冬、マイナス20度、ハンガリー軍は、シュトランド水浴場に人々を連行します。ドナウ河は凍っていた。人々に氷を割らせて、その穴に沈めていったのです。あまりの残虐ぶりに、ブダペストから中断するようにと命令が下ったほどでした。ユダヤ人、セルビア人、ロマ人、反ファシストたちが犠牲となったのです(100p〜101p)。」
現在、山崎氏が住むベオグラードを流れるドナウ河の岸辺にも、第二次大戦中、「寒い日々」の犠牲者の遺体が流れ着いたと言う(274p)。その他、上流のヤセノバッツ強制収容所や、シーサック子供絶滅収容所からの水死体もあったと言う(162p)。
アウシュビッツよりも恐ろしい強制収容所
ヤセノバッツは、1941年8月末に開設され、1945年4月末まで運営されたが、「野蛮な慣行と多数の犠牲者で悪名高い」絶滅収容所と言われる。(Wiki)ちなみに、セルビアのヴチッチ大統領の祖父も、ヤセノバッツで殺されたそうだ。(YAHOO!ニュース)
ウスタシャの目標とは
それは後で話すとして、1941年5月に政権を握ったウスタシャは、まず、「ウスタシャの目標」を達成しようとした。その目標とは、1.セルビア人の3分の1を殺害する 2.セルビア人の3分の1を追放する 3.セルビア人の3分の1を強制的にカトリックに改宗させる。
ウスタシャ最大の強制収容所「ヤセノバッツ」
そして、クロアチア独立国誕生のわずか5日後、ただちに目標に向かって動き出した。まずは「ダニツァ強制収容所」を設立。その4ヶ月後(1941年7月)には、ウスタシャ最大の強制収容所「ヤセノバッツ」の建設を開始した。
ヤセノバッツに収容されていたのは、セルビア人、ユダヤ人、ロマ人、クロアチア人の政治犯。3年半以上の運営期間に殺害された犠牲者の数は、少なくとも8万人〜10万人。ヤセノヴァツ追悼施設のリストによると、83,145人の犠牲者のうちセルビア人47,627人、ロマ人16,173人、ユダヤ人13,116人。クロアチア人、ボシュニャク人、その他が残りを占める。そのうち成人男性が39,570人、成人女性が23,474人、そして子供が20,101人。(BALKAN TRANSITIONAL JUSTICE)
ああ、悪魔的だ。ヤセノバッツには、アウシュビッツのようなガス室もない。殺人に使われた道具は主に、ナイフ、ハンマー、斧。「セルビア人とユダヤ人の男性、女性、子供たちは文字通り切り刻まれて殺された」「ポケットナイフで胸を切り取られたセルビア人女性、目をえぐり取られ、去勢され、身体を切り刻まれた。」(Wiki)
このやり方には、傍で見ていたドイツ軍人もビックリ。ゲシュタポがヒムラーに出した報告書にはこう書かれている。「ウスタシャは、徴兵年齢の男性だけでなく、無力な老人や女性、子供に対して、獣のような行為を犯した。ウスタシャが虐殺し、サディスト的に拷問して死に至らしめた正教徒の数は、約30万人である。(1942年2月17日付)」(Wiki)
ドイツ軍将校も証言している。「ウスタシャが女性や子供を家畜のように殺害し、一連の獣のような処刑を行った。」 クロアチアの全権大使ホルスタナウ将軍は「女性はレイプされた後に拷問されて殺され、子供たちは殺された。私はサヴァ川で、目玉をくり抜かれ、性器に杭を打ち込まれた若い女性の死体を目撃した。この女性は、この怪物たちの手に落ちたとき、せいぜい20歳だっただろう。」 (Wiki)
悪魔的ウスタシャに協力していたバチカン
フィリポヴィッチというフランシスコ会修道士は、軍司祭としてウスタシャに加わったが、約2730人のセルビア人(500人の子どもも含む)の虐殺に加わった(1942年2月)。彼はヤセノバッツの看守長となり、クロアチア人の同僚から「ブラザー・サタン」と呼ばれた。
クロアチアの大司教だったシュテビナツ枢機卿は、カトリックへの強制改宗に加担した聖職者をかくまったとして、第二次大戦後に告発され、投獄された。なのにヨハネ・パウロ二世は、シュテビナツを聖人に次ぐ福者に列福した(1998年)。(Wiki)
そういえばサッカーの次の相手はクロアチアとのこと。クロアチア国旗(左)は最上段の市松模様が赤白赤白赤。まちがえて白赤白赤白にしないように。こちらはウスタシャの旗(右)でカギ十字ぐらいヤバい。というか当時ナチスから「君たち、そんな残虐なことはやめろ」と言われた人たちの旗。 pic.twitter.com/z0qlLsn7MY
— 津久田重吾@プリキュア20周年アニバーサリーブック&キャラクターブック (@rockpeek) December 2, 2022
「石の花」#KameniCvijet #Jasenovac
— ポポリ🌏⁷ #CeasefireNow #FreePalestine #StandWithGaza (@kindness_world_) December 18, 2024
クロアチア ヤセノヴァツ強制収容所でのウスタシャによる大量虐殺の犠牲者を追悼するスポメニック pic.twitter.com/ZKZOe9jcqZ