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里山Ubuntu通信:9日目  UbuntuとWindowsの共存形態

UbuntuとWindowsの共存形態

ハードディスクについて

パソコンは自転車を組み立てるように部品を買ってきて組み立てることができます。最先端、あるいはこだわりのパーツを組み上げる「自作パソコン」派の方は今も存在しますが、大多数の方はお店に行って、あるいはネットで買ってきたものを使われている方が多いことでしょう。パソコンのケースの中には、CPU(演算装置)、メモリ、ハードディスク、有線/無線のネットワークやサウンド機能を利用するための部品などを組み合わせた基板(「マザーボード」と呼ばれます)が電源装置とともに納められています。Windows OSやみなさんが作成したデータ(ファイル)は、このうち「ハードディスク」に記憶されています。

ハードディスクについて、名前は聞いたことがあっても(パソコンのケースを開けて)実際にものを見たことがある方は少ないかもしれません。そこで、どんなものか写真をご紹介します。

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ここに並んでいるのは、ノートパソコン用のハードディスクです。ノートパソコンは特殊なものを除き、ドライバがあるとハードディスクが取り出せるようになっています(最近のデスクトップ型はドライバすら不要で取り出せるものが多いです)。ひっくり返してみると、こんなふうになっています。

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手前側にパソコンに接続するためのコネクタが見えます。いずれも同じ形状で、シリアルATAと呼ばれる規格に対応しています。左側の2台は、だいたい同じ感じですが、右端の1台は見た目が異なることにお気づきになったかと思います。左側の2台は昔ながらの、あるいは本当の「ハードディスク」で、中には薄い円盤が入っています。この円盤に釣り糸を垂れるようにアームを垂らし、磁気を書き込んだり、消したりして情報を記録しています。右側のものは、SSD (Solid State Disk)と呼ばれるもので、円盤は入っておらず、電子回路が中に入っています。SSDは円盤を回したりしないので、軽量でショックに強く、高速です。良いことずくめですが、同じ容量を持つハードディスクに比べて割高となります。

Ubuntuのさまざまなインストール形態

さて、みなさんが購入してきたWindowsパソコンのハードディスクの内容を簡単に図示すると次のようになります。

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この箱はハードディスクを現しており、「ハードディスク全体」がまるごとWindows用に使われていることを意味しています。連載では、UbuntuのインストールDVDの作成方法と使い方(起動の仕方)を説明しましたが、「体験する」と「インストールする」の違いは、前者がハードディスクに変更を加えないのに対して後者はハードディスクに書き込む点にあります。特に「新規インストール」あるいは「クリーンインストール」と呼ばれる方法でインストールすると、次の図のようになります。

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この図では、Windowsのマークがなくなっています。建築で例えるならば、一旦家(Windows)を壊して更地にする、その後に新しい家(Ubuntu)を建てるイメージです。全区画(ハードディスクの容量)をUbuntuで占有しており、すっきりしてすがすがしいのですが、もはやWindowsは起動しませんし、Windows上に作成したファイルも残っていません。「もう、Windows(マイクロソフト)にはこりごりだ!金輪際縁を切ってやる!」という方は良いかもしれませんが、なかなかそうもいかないと思います。では、どうするか。

パソコンでは、本物の家と違って、「一旦建てた家の区画を狭くする」ということができます。Windowsパソコンを買ってきたら、全領域が「C:(Cドライブ)」になっていますが、これを次の図のように狭くすることができます(裏技でもなんでもなく、Windowsの標準機能で実行できます)。この場合、Windowsは通常通り起動し、それまでインストールしたアプリケーションや作成したファイルもそのまま利用できます。

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この状態で、Ubuntuをインストールすると「空き地にインストールしましょうか?」と聞かれ、同じハードディスクにWindowsとUbuntuが共存する状態が実現できます(賢いですね!)。実は、UbuntuのインストールDVDは、この「Windowsの区画を狭くしながら、Ubuntuをインストールする」ことができるようになっているので、通常自分でWindowsの領域を狭くしないで、インストールの中で行います。「Windowsの環境も残しながら、Ubuntu生活を始められる」わけです。

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実は、Windows家の上にUbuntu家を建てる(乗せる)ということもできたりします。この図でWindowsの上に乗っている平たい板は、「仮想化機能」という特別なアプリケーションを示しています。このアプリケーションは、「自分自身が独立したパソコンのふりをする」というもので、このアプリケーションを使うと、UbuntuインストールDVDは自分が本物のパソコンの上で実行されていると騙されて、インストールしてしまいます。

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何を隠そう、3日目 竹下氏、Ubuntuをインストールで、「「VirtualBoxのインストール」から「VirtualBoxとUbuntuを立ち上げる」までの動画を、シャンティ・フーラ・白井薫代表が作ってくれました。」とあるのは、この形態になります。この形態では、Windowsの環境はこれまで通り残っていて、仮想化アプリケーション(VirtualBox)を実行するとUbuntuの環境が同時に利用できます(Windowsの中にUbuntuが表示されているアプリケーションがあるイメージです)。

ここまでの説明を読むと、「Windows環境がそのままで、Ubuntuも同時に使えるなんて最高!」と思われるかもしれません。それは実際そうなのですが、デメリットもあります。仮想化アプリケーションが作り出す環境は、その下にあるWindowsの環境を一種間借りするわけなので、借りる側であるUbuntuは一種の居候状態です。メモリなどの資源を割り当てすぎると大家さんであるWindowsが遅くなりますし、気を遣って遠慮すると今度はUbuntuのほうが実用にならなくなります。ある程度新しく、パワフルなパソコン(ひとつの目安として、6GB以上のメモリを搭載しているパソコン)をお使いの方以外にはお勧めしません。

今回は、Ubuntuのハードディスクへのインストールの形態についてご紹介しました。実際のインストールの手順については、この後の記事でご説明する予定です。

(Haru)

著者:Haru(ペンペン先生)

1962年、北海道生まれ。うお座。
1985年、北海道大学工学部卒業、IT系企業に入社。
2003年、業務テーマとしてLinuxに取り組む。
2015年、関東地区交流会参加をきっかけに上映会スタッフに参加。
横浜市在住

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愉気(ヒーリング)で子育てはずいぶんと楽に… / 子供の頃の飢えは、将来攻撃性を高める? 〜両親が子供の要求に無頓着だと将来、手に負えない状況に〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 愉気というのは、わかりやすく言うと、ヒーリング(手当療法)のことです。天才整体師であった野口晴哉氏の造語です。ヒーリングをする際、イライラしていたり、不安な状態の施術者が患者に手を当てると、施術者のそうしたネガティブな感情を患者に注入してしまうことになり、かえって症状を悪化させてしまうことがあるため、野口氏はヒーリングをする際には、天心で愉しい気持ちで行う必要があるとして、“愉気”と名付けたのです。関心のある方は、野口晴哉氏の著書「整体入門」をご覧下さい。
 ツイートにあるように、愉気法のこの簡単なやり方を知っているだけで、子育てはずいぶんと楽になります。多くの方は意外に思われるかも知れませんが、幼い子供たちは、意外にあちこちが凝っていることがあり、両親が優しくマッサージをしてあげると、すぐに凝りがほぐれ機嫌が良くなります。赤ちゃんは、ハイハイをしたり歩いたりすることで、意外に太ももや腰が張っていることがよくあるのです。
 ポイントは、1秒に5〜10センチぐらいのゆっくりとした手の動きで、優しく撫でるようにすることです。力を入れて揉んだりするのはよくありません。
 こうしたベビーマッサージと愉気を身に付けると、子供がすくすくと成長し、病院に行く必要はまず無くなります。本当は学校教育の中で、こうした基本中の基本は教わった方が良いのではないかとも思います。
 下の記事は、子供の頃の飢えが将来大きな問題となり、攻撃的な傾向や否定的な感情の爆発を抑えられないなどの傾向を生むとしています。おそらく、これはこの通りだと思います。加えて、両親からの愛情に対する飢餓状態も考慮に入れて下さい。子供は両親の気を引くために様々な行動を取りますが、両親が子供の要求に無頓着だと、子供は最後には両親を困らせる行動を取り、叱られることで両親の気を得ようとします。子供の非行の原因の大きな割合として、両親の子供に対する無関心があります。
 こうした愛情不足という問題も、子供を優しく抱擁することやこの愉気で、ある程度カバーすることが出来ます。こうした時間も取れないという忙しい方は、どうか、子供を母親の寝床に招待してあげてください。布団の中で20分一緒に過ごすだけで、子供はずいぶんといい子になります。
 それすら出来ないとするならば、生活スタイルそのものに大きな問題があると言えるでしょう。今は子供が幼いので問題が顕在化していませんが、このまま放っておくと、将来、手に負えない状況になる可能性があることを理解して下さい。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)



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子供の頃の飢えは、将来攻撃性を高める?
転載元)
米国の学者たちは、子供の頃に飢えを感じたことのある大人は、十分な食事をとって育った人たちよりも攻撃的になる傾向が高いとの結論を導き出した。 

専門家たちは大規模な世論調査を実施し、子供の頃の食生活について質問したほか、他人にけがを負わせたことがあるかについても聞き合わせた。

Dni24によると、子供の頃に十分な食事をとっていなかった人たちは、攻撃性を示したり、否定的な感情の爆発を抑えられない頻度が2倍だという。

子供の頃に十分な食事をとっていた回答者のうち、他人にケガを負わせたことのある人はわずか15パーセントだったが、子供の頃に飢えを感じた人たちは37パーセントだった。

調査結果は、世界中の子供たちの飢餓問題について今一度考えさせるきっかけの一つとなった。

先に伝えられたところによると、情報の選択的蓄積、たとえば美化された事実のみを記憶することは、記憶をつかさどる脳のシステムの適切な動作にとって有害だ

[世界の裏側ニュース]ホセ・ムヒカ元大統領が語る人生哲学「人間とは」

 生き方を学べる政治家は、世界でもごく少数だと思いますが、ホセ・ムヒカ元大統領は間違いなくその一人だと思います。この動画でムヒカ元大統領は「真面目に生きる」ことを提唱しています。ムヒカ元大統領にとって、大統領専用のジェット機を買うより、レスキュー用のヘリコプターを一台でも多く購入することの方が「真面目に生きる」ことであり、いつも「金か命か」と深く自分自身に問いかけながら、これまで人生を歩まれてきたことが分かります。人生からこの問いかけが消えたとき、人は道を踏み外し、最終的には国が滅びてしまうところまで行くのだと思います。
(編集長)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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【日本語字幕付】ホセ・ムヒカ元大統領が語る人生哲学「人間とは」
転載元)
ホセ・ムヒカ元大統領の人生哲学「HUMAN」

私はホセ・ムヒカです。

私は人生の最初の頃、農家として生計を立てるために田畑で働いてきました。

その後、変化を求めて苦戦している人たちのために自分の人生を捧げました。
私の住む社会の生活をよりよいものにするためにです。

私は今では大統領です。

そして明日には、他の皆と同じように朽ち果てて消えていくでしょう。

私はこれまで何度も敗北を味わいました。怪我もたくさんしましたし、刑務所内で数年を過ごしたこともあります。

世界を変えようとして決めて、毎日を過ごしました。

私が今もここにこうして生きているのは奇跡のようです。

そしてなによりも、私は人生を愛しています。


バーに入り、バーテンダーに「ここにいる皆さんに、私のおごりで一杯ごちそうしてください!」と言うような生き方を、人生という旅の最後にしたいものだと思っています。



私が目立っているのは、私の価値観や生き方が社会にいる実際の人たちを映し出しているからです。そして私は、自分がそこ(普通の人たち)に属していることを誇りに思っています。

そしてそこに必死にしがみついているのです!大統領だからいっても、関係のないことです。これまでこのことについて何度も考えてきました。

私は10年近くを世捨て人として過ごしました。考える時間は充分にありました・・・7年間は本も一冊も読まずに過ごしたのです。

そのおかげで考える時間を持つことができました。

その時に私は、ほとんどものを持たず余計な荷物全部に拘束されない幸せな人は、幸せは頭の中にあることを知っている人で、そうでない人はどこに行っても幸せを手にすることができない、ということに気がつきました。

何も貧困を提唱しているわけではありません。

私が提唱しているのは、真面目に生きることです。

しかし私たちが消費者文明をを作り出してからというもの、経済は常に成長し続けなければならなくなりました。

経済が成長しない場合は、それは悲劇なのです。私たちは山のように必要のないニーズを作り出しました。

新しいモノを買って、古いモノを捨てる・・・

それは私たちの人生を無駄遣いしていることになるのですが!

あなたが何かを買う時、そのモノのために支払っているのはお金ではありません。あなたが差し出しているのは、そのお金を稼ぐためにあなたが費やした人生の数時間で支払っているのです。


しかしお金では買うことのできないモノの一つが人生である、というところが違っています。

人生は短くなる一方です。

そして自分の人生や自由を新しいモノを買うために無駄遣いするというのはみじめなことです。

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里山Ubuntu通信:8日目 起動順序を確認する 〜 バイオス(BIOS)とは?

起動順序を確認する 〜 バイオス(BIOS)とは?

〜 今回の記事が役に立つ方 〜

★前回の手順でDVDをセットしたのに、Windowsが起動してしまった
★パソコンの起動時間を早くする方法を知りたい
★書籍などに書かれている「パソコンのBIOSの設定を…」が何のことか分からなかった

前回はインストールDVDを用いたUbuntu体験についてご紹介しました。正しく作成されたDVDをセットしてパソコンを起動したら、記事の内容のようにUbuntuが起動されるはず、ですが、お使いのパソコンの設定によっては、セットしたDVDがスルー(無視)されて、いつものWindowsが起動してしまった方があったかもしれません。安心してください、その問題は解決することができます。

ということで、今回はBIOS(「バイオス」)設定について解説します。と、ここまで読んで、「私は問題なくUbuntuを体験できたから、今回の記事は読まなくて大丈夫」と思ったあなた、今回の記事はUbuntuに関係なくパソコンの起動時間(電源ボタンを押してから利用できるようになるまでにかかる時間)を短縮するノウハウも含まれていますので、良ければおつきあい下さい。

パソコンが「起動するOSの場所」を探す順番


次の写真は私が使っているノートパソコンを上から撮影したものです。

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右側に①DVDのトレイが開いていて、左側には②USB接続のDVDドライブ、同じく③USB接続のハードディスク、そして右上に見えているのは、④USBフラッシュメモリです。

このパソコンの内蔵ハードディスクには、Windowsがインストールされているので、DVDをセットせず何もつながずに電源を入れるとWindowsが起動します。もし、①DVDトレイ、あるいは②USB接続のDVDドライブにUbuntuのインストールDVDをセットして電源を入れると、通常はUbuntuが起動します。

では、①②の2つのドライブにそれぞれ違うインストールDVDがセットされていたとしたら、どうなるでしょう?その場合どちらかのDVDが読み込まれ、インストールが始まります。つまり、パソコンはどこからOSを起動するかについて優先順位を持っているわけです。では、その優先順位は誰がどこで覚えているのでしょう?OSを起動する順番ですから、WindowsやUbuntuなどの設定ではないのは明らかです。

答えは、バイオスと呼ばれるパソコンの設定の中にあります。バイオスは、パソコンが「起動するシステム」を探す順番を記憶しているのです。

バイオス編集画面の呼び出し方


「あー、また面倒くさい用語がでてきた」と思われたかもしれませんが、あなたはすでにバイオスを知っていますし、バイオスの表示する画面も見ています。パソコンに電源を入れた直後、ごく短い時間、英語で表示される画面、あれこそがバイオスが表示する画面です。その画面は、すぐにWindowsのロゴに切り替わってしまいますが、目をさらのようにして画面を注視していると、以下のように「設定はF2」のようなメッセージが表示されていることに気がつくはずです。

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DELL製パソコンの電源を入れたときの画面。
右下に「F2 Setup」と表示されている。


"Setup"とあるのがバイオスの設定のことですが、この名称は他にもBIOS(バイオス)、Setup(セットアップ)、Setting(設定)などパソコンにより様々です。上の画面で「F2 Setup」とあるのは「F2キーを押すと、バイオス設定ができますよ」という意味です。このメッセージが表示されている間に素早くF2(ファンクションキーの2番、キーボードで数字の1〜3の上にあります)を押下します。(慣れないとなかなかうまくいかずWindowsが起動してしまうと思いますが、その場合、Windowsを再起動してやり直します)

タイミングよくキーを押すことができると画面はバイオス設定に切り替わり、そこでいろいろな設定を行えるようになります。その設定項目の中に「電源を入れたときにOSを探しに行く順番」があります。

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バイオスの呼び出し方と操作方法は、パソコン(メーカ)ごとに異なります。一番確実なのは、マニュアルを参照することですが、マニュアルを保存していない方のために、調べ方を説明します。例えばLenovoのパソコンであれば、検索エンジンで「Lenovo(注:この部分をお使いのパソコンのメーカ名にします) バイオス 設定」のようにキーワードを指定すると、お使いのパソコンのバイオス画面の呼び出し方と操作方法の情報が見つかります。バイオスの画面は、大半が英語表記ですが、日本製のパソコンではメッセージが日本語化されているものもあります。

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“托卵女子”が少なくとも2割居るのではないかという衝撃的な記事 〜問題の根底にあるのは、男女の結びつきが愛情ではなく、お金だということ〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 「たくらんだな!」
 記事を読んで、そう思うしかないものです。科学技術の発展で“パンドラの箱”が開けられるようになって、誰の子かはっきりとわかるようになった今、“托卵女子”が少なくとも2割居るのではないかという衝撃的な記事です。彼女たちを一言で言うと、“結婚するなら金持ちのキモメン、産むならイケメン”ということで、経済的に不自由の無い、もっと言うと、セレブならキモメンで十分、ただし、イケメンの子供を産んで、夫と我が子を騙し続ける選択をするということのようです。
 この記事で衝撃的だったのは、このような托卵女子の行動は、“男にとっては血縁に対するテロリズム”でしかないが、“女にとっては、愛する男のDNAを階級上昇させるレジスタンス”との一文。あまりにも見事な表現だけに、この記事は紹介せねばなるまいという気になりました。
 記事では、DNA鑑定で父子関係が調べやすくなった現在、彼女たちのような悪女をどうすれば良いのかと語られています。しかし、よく考えてください。代々続く名家と言われる血筋の家長は、地位や階級の安定のために愛情を伴わない政略結婚をし、公然と何人もの女性を妾にして子供をたくさん儲けています。残念ながら現代の社会は、地位と名声、そして財産を獲得した男性が何人もの女を囲うのは半ば当然であり、男の甲斐性ぐらいにしかこのような問題を捉えていません。
 ところが、容姿で評価される女子が同様のことをすると、悪女と非難されるのです。違いは、一方は公然と行っているのに対し、一方は隠し続けるということでしょうか。
 彼女たちを“悪女”と言うなら、何人もの女性を囲う男性は、“悪”ですよね。そういう観点で世の中の王族・貴族を眺めて見ると、確かに悪そのものです。ということは、やっぱり彼女たちは、悪女ですね。
 男性にせよ、女性にせよ、こうした問題の根底にあるのは、男女の結びつきが愛情ではなく、お金だということです。何人も女性を囲っている男性が居たとして、その男性が破産した時に何人の妾が残っているでしょう。おそらく金の切れ目が縁の切れ目で、全ての女性が破産した男性から去って行くのではないでしょうか。要するに、問題の要点は、婚姻関係がお金で結びついていることだと思います。
 記事の中で、托卵女子の言い訳は、“子供が不細工だったら苦労するため、托卵でイケメンの子供を産むことは、自分にも子供にも、ひいては夫にもメリットがある”というものです。よくまあ、こんな欺瞞に満ちた言葉を吐けるものだと思いますが、要はそれでなくても嫌いな夫の不細工な子供は、とても愛せないということではないかと思います。
 そもそもこういう間違った倫理観に基づいた結婚をしないことが大切です。人間が地上に転生する目的は、愛を育むことであって、安楽な生活をするためではありません。ここを勘違いすると、自分だけではなく、自分に関わる周りの人たち全てを不幸にしてしまいます。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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「托卵女子」という恐怖の悪女〜DNA鑑定で暴かれる「ホトトギスの罪」
引用元)
DNA鑑定の結果、2割が夫の子どもじゃない?

(中略) 

昔はいくら父子関係に疑念を抱いても、正確に調べる術がなかった。しかし、科学の進歩により、パンドラの箱を開けられるようになってしまった現在。「知らぬが仏」で済んだ時代は終わり、現代的な「悪女」として、「托卵女子」が男を悩ます種となってきている。

(中略) 

いったい、「托卵女子」とは、どのような女たちなのだろうか。

(中略) 

「ロケットニュース」の記事「【男子は注意】別の男の子供を夫に育てさせる『托卵女子』が急増か」(2014年2月6日)では、婚活中だという30代女性の「結婚するなら金持ちのキモメンで、産むならイケメンの子がいい」という衝撃的な声が掲載されている。

ようは、「金持ちのキモメン」なら浮気の心配がなく、経済的にも不自由ない結婚生活が送れる。しかし、子どもが不細工だったら苦労するため、托卵でイケメンの子どもを産むことは、自分にも、子どもにも、ひいては夫にもメリットがあるはずだ、ということらしい。

(中略) 

つまり、彼女たちは「婚姻関係の選択」とは別に、「精子の選択」を行っているということになる。「DNAの選択」とも言い換えることができるだろう。

(中略) 

地位や階級の問題が絡んでくれば、より深刻なものになる。血縁によって相続されるはずだったものが、他人の子に渡ってしまうからだ。(中略)男にとっては血縁に対するテロリズムにほかならないが、女にとっては、愛する男のDNAを階級上昇させるレジスタンスとして托卵が機能していたのではないか。

(中略) 

さらに、「DNAのつながりだけが父子関係なのか」という意見もある。血縁も大事だが、子どもを育てた精神的なつながりも重視されるべきだ、と。托卵が判明した後でも、自分の子どもとして育てることを望む夫もおり、父子関係は理屈で割り切るほど単純ではない。

(中略) 

しかし、忘れてはならないのが、傷つくのは夫だけではなくて、子ども同じだということ。そういう意味では、DNAのつながりだけが父子関係ではなく、また、どういった経緯にしろ我が子を産みたいと思う女性の気持ちは尊重されるべきだとしても、やはり周囲を欺いて托卵することは、罪深い行為だと言えそうだ。

(以下略)