すべてが無駄に終わったかに見える、あべぴょんのイラン訪問と、イランを助け、戦後の日本人を大いに奮い立たせた「日章丸事件」

 “あべぴょん”がイランの手助け?をしようとして動いた。となれば、イランを助け戦後の日本人を大いに奮い立たせた、あの事件を語らない訳にはいかないだろう。
 この度あべぴょんはイラン外相の招きで、イランとアメリカの対立によって、経済的に困窮するイランを何とか助けたいとイランを訪問。ロウハニ大統領並びにハメイニ国家指導者と会談し、アメリカのトランプ大統領との対話を呼びかけた。席上、ロウハニ氏は「地域の緊張の原因は米国の経済戦争にある。緊張を高めているのは、イランへの経済制裁を強める米国側だ」と主張。ハメニイ氏にいたってはアメリカとの対話すら必要ないと言い切った。あべぴょんの訪問は結果的に、トランプ大統領のメッセンジャーにさえもならなかった。自作自演した?としか思えないようなタンカー攻撃事件まで引き起こされ、すべてが無駄に終わったかに見える訪問だった。
 ところで、今から60数年前に同じような状況にあったイランを、ある日本人の行動が救った、あべぴょんの行動とは比べようも無く壮大な、出来事を忘れる事はできない。一人の民間人の気骨ある行動が引き起こした事件が、日本とイランとの友好関係が生まれる切っ掛けとなっている。その当時イランは、国際石油資本によって経済的に追い詰められていた。ご存知の方もあると思うが、イギリス相手に起こした「日章丸事件」なる痛快劇である。この事件を引き起こした日本人、「海賊と呼ばれた男」のモデルになった出光佐三氏。出光興産(現在の出光昭和シェル)の創業者である。
 日章丸事件とは・・・当時、世界の産油国は欧米の国際石油資本(石油メジャー)に全部抑えられていた。イランの油田はイギリスのアングロ・イラニアン社(現在のBP社)の支配下にあり、奴隷型搾取システムの下で、国民の富が次々に搾取されて行くのを黙って見ているだけの状況だったイラン政府。イラン国民を貧困状態から開放しようと決死の覚悟を決め、1951年に自国内の石油を国有化すると宣言した。これに怒ったイギリスは、ペルシャ湾に海軍の艦隊を派遣し海路を封鎖、イラン石油を買おうとするタンカーには実力行使も辞さない構えを見せたという。
 他方、太平洋戦争に破れ、精神的にも経済的にも打ちひしがれていた日本に、もっと自由に、安価な石油を提供しようと出光氏が動いた。石油メジャーが売りつける割高な石油しか買うことができない、その不合理さに納得できないでいた出光氏。イギリス海軍に撃沈されるかもしれないリスクを背負いながらも、石油メジャーの目をかいくぐりタンカー(日章丸)をイランに派遣した。日章丸がイランの港に入るや、出光氏が取ったこの忍者顔負けの行動が、外電を通じて世界中に伝えられ、大騒動になったようだ。戦争に敗れた日本の一企業が、強大な海軍力を有するイギリスに喧嘩を売った瞬間である。周りの騒ぎなど気にもとめず、イランから買い付けた石油を満載し、日章丸は危険な航海を終えて川崎港に戻ってきた。港には「日章丸、万歳」の声が満ちていたという。国際社会に一矢(いっし)を報いた出来事だった。
 このようにして、世界の石油資本を敵に回したことで、欧米の経済制裁に遭い疲弊していたイランを日本が助けた。1953年の事である。喧嘩を売られたイギリスのアングロ・イラニアン社は積み荷の所有権を主張し、東京地裁に差し押さえを求めて提訴したが、世論の後押しもあり、出光側の全面勝利に終わったと言うことである。この歴史があればこそ、外交力に乏しいあべぴょんさえも、イラン首脳との会談を実現させることができたと言えよう。
 最後の動画は冒頭~2分30秒と9分以降をご覧ください。
(長哥)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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ロウハニ大統領、対米強硬姿勢崩さず=安倍首相「武力衝突回避を」-日イラン首脳
引用元)
(前略)
 安倍晋三首相は12日イランのロウハニ大統領とテヘランのサーダーバード宮殿で会談した。共同記者発表で首相は米イラン間の対立激化による中東情勢の緊迫化に関し「何としても武力衝突は避ける必要がある」と緊張緩和を促した。ロウハニ氏は「米国との戦争は求めないが、イランに対する戦争には厳しい答えを出す」と述べ、米国を強くけん制した。
(中略)
 ロウハニ氏は「地域の緊張の原因は米国の経済戦争にある。経済戦争が終われば安定確保が実現される」と強調。緊張を高めているのは、あくまでイランへの経済制裁を強める米国側だと主張した。
 首相は「緊張緩和に向け、日本としてできる限りの役割を果たしたい」と述べた。ただ、米国とイランの対話への直接の言及はなかった
(以下略)
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イランのハメネイ師「核兵器製造せず」=安倍首相会談、緊張緩和促すも米と対話否定
引用元)
(前略)
 安倍晋三首相は13日午前(日本時間同日午後)、日本の首相として初めてイランの最高指導者ハメネイ師と会談し、中東地域の緊張緩和に向けて協議した。ハメネイ師は「核兵器を製造も保有も使用もしない。その意図はない」と述べ、核合意を維持する従来の立場を改めて強調した。首相は対立が深まる米国との話し合いを促したがハメネイ師はツイッターでトランプ米大統領を厳しく批判し、対話を否定した。
 
 首相は、先に会談したトランプ米大統領から「事態のエスカレートは望んでいない」との発言があったとハメネイ師に伝えた
(中略)
 首相は「(ハメネイ師から)平和への信念を伺うことができた。この地域の平和と安定の確保に向けた大きな前進だと評価している」とも語った。同行筋は、首相が帰国後、トランプ氏にハメネイ師の考えを伝えることを明らかにした。
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イランとの直接取引で世界で初めて石油製品を輸入した「日章丸事件」
引用元)
1953(昭和28)年3月、出光は、石油を国有化し英国と抗争中のイランへ日章丸二世を極秘裏に差し向けました。同船は、ガソリン、軽油約2万2千キロℓを満載し、5月、大勢の人の歓迎を受けて川崎港に帰港しました。

これに対し、英国アングロ・イラニアン社(BPの前身)は積荷の所有権を主張し、出光を東京地裁に提訴。この「日章丸事件」は、法廷で争われることになりました。裁判の経過は連日、新聞でも大きく取り上げられ、結局、アングロ・イラニアン社が提訴を取り下げたため、出光側の勝利となりました。イラン石油の輸入は、その後、イランにおいてメジャー(国際石油資本)の結束が再び強化され、1956(昭和31)年に終了しました。

しかし、この「事件」は、産油国との直接取引の先駆けを成すものであり、日本人の目を中東に向けるきっかけになりました。また、敗戦で自信を喪失していた当時の日本で、国際社会に一矢報いた「快挙」として受け止められたことも歴史的事実です。
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「海賊とよばれた男」のモデル 日章丸事件の主人公 出光佐三 1/2
配信元)


Writer

長哥

会社勤務時代の健康診断で見つかったポリープが目覚めさせてくれました。それ以来、世の中の裏側に意識がいくようになり、真実情報を探求したいと思う気持ちが強くなったのですが、入手方法すらわからない始末で、それらの情報は殆どなく、あってもスピリチュアルな分野でしか見つけられない状況でした。

そんな中、「未来への分水嶺」というのがトリガーになったように思います。 支配するためだった筈の「インターネット」、いまでは情報拡散の道具となってしまったようです。 直感力(ひらめき)を第一に、日々接する情報から、多くの方々の気づきに成るようなものが発信できればと思っています。

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