注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
高校の友達との話で出てくるのは「スタバ」や「ダイソー」など、新しいものを次々に生み出していく大企業の商品ばかり。こんな話題で盛り上がる度、暗い気持ちになります。かつては人口100万人を超えていた北九州市ですが、今はシャッター通りになった商店街が少なくありません。もし大学を出て就活する時、故郷での就職を考えるだろうか。派手な成人式と今はもう無いスペースワールド……それだけがこの街の魅力なの? 「そこそこの都会」に住む女子高生の私が「地元で就職したくなるか」という視点で、地方を見つめ直してみました。(高校生記者・梶木瞳)
(中略)
「チェーン店は繁盛、地元の商店街は……」
私は現在、高校3年生。お嬢様芸人の、たかまつななさんが運営する「笑下村塾(https://www.shoukasonjuku.com/)」の高校生記者として活動しています。
北九州市は、かつて人口100万人を超えていた九州一の都市でした。でも、2019年8月現在の人口は約94万人で、企業の数も年々、減っています。
私の周りの友達の多くは地元での就職を望んでおらず、海外との関わりが強い企業に就職したいと思っている人が少なくありません。
(中略)
「たしかに、スタバの新商品は映える」
商店街にあった昔ながらの商店に変わって進出してきたのが、スタバやダイソーなど大企業のお店です。
たしかに、スタバの新商品はおいしいだけでなくインスタ映えするし、学校で使うポーチや文房具など可愛くて安く買えるダイソーは高校生のお財布に優しいです。しかも、次々に新商品が生まれるため飽きることなく定期的に通いたくなります。
(中略)
「ソーシャルビジネスで商店街を活性化」
「地域に根付いた商店街の活気が戻るにはどうすればいいか?」。私は友達と一緒に、学校の授業でビジネスプランに取り組み、その中で「ソーシャルビジネス」という案が出てきました。
「ソーシャルビジネス」とは、貧困、環境などの社会問題の解決するための取り組みを、持続可能な事業として取り組むこと。簡単にいうと企業とボランティア団体などのメリットを合わせ持ったビジネスを指します。ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏が中心的に世界に広めていったビジネスとしても知られています。
(中略)
「なぜ私は地元を活性化させたいのか」
(中略)
かつて日本には大規模小売店舗法という法律がありました。1974年に施行されたこの法律は、開店日、売り場面積、閉店時刻、年間休業実数を周辺地域の商業の事情を考慮し調整するために設けられました。この法律によって商店街の多くは大型スーパーに客を奪われる心配がほとんどありませんした。
しかし、1990年の日米構造協議でアメリカはこの法律を強く批判し、2000年に廃止されました。そして、規制緩和の結果生まれた2000年施行の大規模小売店舗立地法によって、大型スーパーの進出が相次ぎ、商店街の衰退を招いたと言われています。
(中略)
全国的な問題になっている高齢者の交通事故、ひきこもりや孤独死などコミュニティーからの断絶。もちろん商店街だけですべてが解決できるわけではありませんが、日本が直面している問題を解く糸口の土台として、時代をかけて築いてきたコミュニティーとしての商店街の生かし方はあるのではないでしょうか。
(以下略)
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北九州市(福岡県)は、福岡県の北部に位置し、関門海峡に面した九州最北端の都市である。九州の玄関口として栄えた歴史を持ち、1963年(昭和38年)に門司、小倉、若松、八幡、戸畑の五市の対等合併を経て、九州初の政令指定都市として誕生したところだ。
今は日本で手に入れるのが非常に難しくなった台湾バナナ。バナナの叩き売りで売られていたのがこの台湾バナナ、発祥の地は門司である。ご承知のように、船で台湾から輸送してくるバナナ、門司港に到着した頃には完熟したものがある程度出てしまう。これを的屋(てきや:祭りや縁日などの屋台や露天等を営む業者)さんなどに売り捌いてもらったことがはじまりで、バナナの叩き売りが生まれた。筆者も、地元神社の秋祭りで、お上さんの合いの手と共に旦那が語る口上に引き付けられたことを覚えている。
八幡の名前を冠する、八幡製鉄所(現在新日鉄住金㈱から⇒日本製鉄㈱に改称)は、明治34年(1901年)官営製鉄所として操業開始以来、一貫して日本鉄鋼業界のリーダーとしての役割を果たしてきた企業で、戸畑と八幡を跨ぐ広大なエリアに位置する。商業の街としての小倉、無法松や小倉祇園太鼓が印象的な街である。さらに、港湾の街としてのイメージが強い若松、現在では国際物流拠点港としての役割が期待されている。
以前はこれ程までに活況を呈していた北九州市、100万人を越えていた人口も、現在では約94万人にまで減少してしまったようだ。この様に衰退して行く街が何とか以前の活力を取り戻し、この街で就職したいと思う人々が多く出て来てくれる事を願って、地域の高校に通う高校生が、街の活性化プログラムに取り組んでいる。この高校生、 現在高校3年生。お嬢様芸人の、たかまつななさんが運営する「笑下村塾」の高校生記者として活動している。
この高校生記者が提案するプログラムは、「ソーシャルビジネスで商店街を活性化」である。
【「ソーシャルビジネス」とは、貧困、環境などの社会問題を解決するための取り組みを、持続可能な事業として取り組むこと。簡単にいうと企業とボランティア団体などのメリットを合わせ持ったビジネスを指します。ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏が中心的に世界に広めていったビジネスとしても知られています】と述べている。さらには徹底して環境に配慮し、【地元商店街の中でゴミを出さない「zero waste/日本語ではゴミゼロとでも」商店街づくりや、商店街を地元民のコミュニティーとして活用していくための方法も考えたい】と述べている。zero wasteが理想郷に終わらない様、関わる人々の理解と絶大な協力が必要である。
この記者も指摘しているが、地元小売店をシャッター街にしてしまったのは、1990年代、米国企業が日本進出を計画した折、日本の既存小売店への影響が及ぶと日本側が主張したのに対し、米国政府にその理由が不当であると批判され、結局ジャパンハンドラーズが日本政府をねじ伏せて、大規模小売店舗法(1974年施行)、略称「大店法」を廃止させたことが最大の原因である。この大店法の廃止に合わせて2000年に誕生した「大規模小売店舗立地法」、地元小売店の存続など全く考慮していないこの法律により、大型スーパーの進出が相次ぎ、今まで存在が守られていた小売店が、つぎつぎと閉店に追い込まれていった。
苦境にあえぐ地元の商店街のこの現実を受け入れた上で、街の活性化に取り組もうとしている高校生記者にエールを送りたい!