注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
————————————————————————
配信元)
長崎市は8月9日の長崎平和祈念式典にガザへの攻撃を続けるイスラエルを招待しないことを決定。一方、広島市は8月6日の広島平和記念式典にイスラエルを招待。また、両市ともロシアとベラルーシの招待を3年連続で見送っている。原爆の日が政治的配慮の象徴となっている。 pic.twitter.com/ycYEgccieA
— あいひん (@BABYLONBU5TER) July 31, 2024
20240801 #松井一實 広島市長会見#小山美砂 記者
— 🌈ラナンキュラス(川上 真二) (@Lanikaikailua) August 1, 2024
(平和記念)式典にイスラエルを招待してほしくないという市民の声、抗議行動が起こってる
受け止めは
市長
自分たちが心配すれば世の中思うように変えられるということではない
私はアンパイアでもない
どこの国が正しい、悪いと言ってる訳じゃない pic.twitter.com/LtxYOMTf7E
広島市の平和記念式典に関して、ワリード・シアム駐日パレスチナ大使のコメント全文を公開していただきました。
— 駐日パレスチナ常駐総代表部 (@PalestineEmb) August 2, 2024
ぜひご覧ください。
「広島のイスラエル招待は二重基準」 駐日パレスチナ大使コメント | 毎日新聞 https://t.co/tCkVigHWNb
————————————————————————
「世界に誤ったメッセージ」長崎市の対応批判 イスラエル駐日大使
引用元)
TBS NEWS DIG 24/8/1
長崎市が、8月9日の平和祈念式典にイスラエルを「招待しない」意向を表明したことに対し、イスラエルのコーヘン駐日大使が「X」に「世界に誤ったメッセージを送ることになっている」などと投稿し市の対応を批判しました。
(中略)
「イスラエルは過去数年来、長崎市主催式典に出席し、戦争被害者とその家族に敬意を表してきました」などと投稿し、遺憾の意を表明すると共に市の姿勢を批判しました。
(以下略)
(中略)
「イスラエルは過去数年来、長崎市主催式典に出席し、戦争被害者とその家族に敬意を表してきました」などと投稿し、遺憾の意を表明すると共に市の姿勢を批判しました。
(以下略)
————————————————————————
「広島のイスラエル招待は二重基準」 駐日パレスチナ大使コメント
引用元)
毎日新聞 24/8/2
広島市が平和記念式典にロシアやベラルーシの招待を見送った一方、イスラエルを招いたことなどについて、駐日パレスチナ常駐総代表部のワリード・シアム大使が毎日新聞にコメントを寄せた。
広島市の担当者は米ニュースメディアのCNNに「二重基準ではない。全ての国を招待するのが市の方針だが、ロシアとベラルーシはウクライナ侵攻を理由に例外とした」と述べた。
(中略)
長崎市はイスラエルを招待しないと決めた。その一方で、イスラエル大使館やイスラエルを支持している諸国からの圧力に屈したのか、広島市がイスラエルを招待したことは恥ずべきことだ。二重基準であることは明らかだ。
(以下略)
広島市の担当者は米ニュースメディアのCNNに「二重基準ではない。全ての国を招待するのが市の方針だが、ロシアとベラルーシはウクライナ侵攻を理由に例外とした」と述べた。
(中略)
長崎市はイスラエルを招待しないと決めた。その一方で、イスラエル大使館やイスラエルを支持している諸国からの圧力に屈したのか、広島市がイスラエルを招待したことは恥ずべきことだ。二重基準であることは明らかだ。
(以下略)
長崎市の決定に対してイスラエルのコーヘン駐日大使が「世界に誤ったメッセージを送ることになっている」とSNSに投稿して長崎市の対応を批判し、また駐日パレスチナ常駐総代表部のワリード・シアム大使は広島市に対して「ロシアとベラルーシはウクライナ侵攻を理由に例外とした」にもかかわらず、イスラエルによる「ガザの住居の破壊やインフラの完全破壊、集団墓地を造らなければならないほどの大量殺害」は目をつぶるのか、「広島市がイスラエルを招待したことは恥ずべきことだ。二重基準であることは明らかだ。」と述べています。
他方で、広島、長崎の両市は、ロシア、ベラルーシを3年連続で招待していません。ロシア・ウクライナ紛争の事実を知っている人々にとっては、イスラエルと同類のウクライナを支援しつつ、イスラエルを招待しない長崎市は確かにダブルスタンダードに見えますし、一貫してアメリカ様の望み通りの振る舞いをする広島市は確かに「今までのやり方を踏襲した。別に不自然なことはありません」というコメントに納得です。
いずれも、広島・長崎の原爆で亡くなった方々に対しての慰霊の気持ちも、平和への誠実も感じません。