ぴょんぴょんの「かてもの」 ~穀物と混ぜたり、その代用品として食用に用いることができる植物

 日本各地には、飢饉の供養碑が数多く残されています。
 江戸時代にあった四大飢饉とは、
寛永の大飢饉(1642年〜1643年):全国(特に東日本日本海側)
享保の大飢饉(1732年):中国・四国・九州(特に瀬戸内海沿岸)
天明の大飢饉(1782年〜-1787年):全国(特に東北)
天保の大飢饉(1833年〜1839年):全国(特に東北)です。
 凶作の翌年は飢饉になるのを見越して、領民を救うために対策を立て、食料不足時の工夫を本にしたのが、上杉鷹山(うえすぎようざん)で有名な米沢藩でした。
(ぴょんぴょん)
————————————————————————
ぴょんぴょんの「かてもの」 ~穀物と混ぜたり、その代用品として食用に用いることができる植物

食糧難の時に助かるドングリ


ねえねえ、ドングリ、食べたことある?

ドングリ? 縄文人は食ってたが、あれはクマの食いもんだろ? 横取りしちゃあかん。

でもね、食糧難の時は助かるんだよ。岩手県では今なお、ドングリで作った「しだみ団子」を作っているそうだよ。


ドングリって、カラ割って、中身を食えばいいのか?

そのままじゃ、アクが強くて食べられないそうだよ。

ドングリは渋みが強く、渋抜きが必要とのことなのですが、それは時間のかかる作業。水を何度も取り替えて、灰汁水も使って煮沸すること、なんと丸二日。(中略)...そうやってじっくり煮たドングリに、黒糖と白糖・塩を加えて、しだみ餡を作ります。

ヒエエ〜! 2日もかかる? 腹が減ってる時に、そんな手間ヒマかけられっか? 作りながら、低血糖でぶっ倒れるわ。

でもね、ドングリって栄養満点なんだよ。

凶作時も実る「しだみ」は、乾燥保存できる備蓄食料として重宝された。味がよく栄養があり、カロリー、たんぱく質、脂質、炭水化物は白米と同じくらい含まれる。

なるほど、乾燥して粉にしておけば、いつでも団子が作れるんだ。



とにかく、東北は飢饉が多かったからね。

明治時代以前の東北地方では、数年に一度の割合で凶作の年があったことが、歴史文献から分かります。そして、中でも宝暦(1750頃)、天明(1780頃)、天保(1830頃)の飢饉はとても悲惨で、仙台藩の『三大飢饉』として語り継がれてきました。胆江(たんこう)地区でも、「牛馬の肉を食するのはふつうで、人肉を食する者さえあり、老母の死体を五百文で売買し、嬰児(えいじ)を食う母親もあり(中略)...」や「…幼き者の手を取り、老いたる親か母かとおぼしき者連れ立ち、さまよい行く姿、哀れなり。道具、身のまといの物一つ一つを売りて次第に食い果たし、ついには、ここかしこに倒れ伏し、飢えて死するこそ哀れなり。(中略)...」といった記録が残されており、飢饉の凄惨(せいさん)な状況がこれらの文献からもうかがい知ることができます。

うわあ〜〜! うわああ〜〜!


飢饉を何度も乗り切ってきた米沢藩


そこで、先人たちは飢饉を乗り越える方法を考えた。たとえば、米や麦などの主食が足りない時に、どうやって満腹感を得られるようにするか?

そう言えば、最近、そういうレポートがあったぞ。米の値上がりで、育ち盛りの子どもがいる家は大変らしい。

7種類のカサ増し食材を試した結果、コスパと味を総合的に判断した結果、我が家的なランキングはこんな感じになりました!↓
1位: 押し麦(安い!&味と食感の影響がほぼない)
2位: ぷちまる君(プチッと食感が楽しめる!おいしい!) 
3位: オートミール(スープに入れるならコレ一択!)
4位: じゃがいも飯(中学生の娘激推し)
5位: もち麦(美味しいけどちょい高め)
6位: 大豆(私はめっちゃ好きだけど子供の反応いまいち)
7位: おからパウダー(コスパ良いけどモッサリ感が)
note

だ〜か〜ら〜、飢饉の時は麦だって穫れないんだからね。

それなら、これだ。


これ、これ、これだよ。お腹を満たすために何かでかさ増ししたご飯。こういうのを「かてメシ」と言って、入れる食材を「かてもの」と言うんだ。

「かてもの 」?

そもそも「かてもの」とは主殻に混ぜて炊くもの。主殻は主食になりうる穀類のこと。米はもちろんのことムギ、アワ、ヒエなども含めて主殻ということになる。つまり「かてもの」というのは主殻を増量するためのものであり、現代の栗ご飯やわかめご飯のような楽しいものではなく、ご飯を食べたような満腹感の錯覚を起こさせるようなもの、というようなとても寂しいものである。

寂しいものかあ、おしんの「大根メシ」も「かてメシ」だな。

そうだね。東北の米沢藩では、飢饉に備えるために、「かてもの」と題した本も出版されたんだよ。

へえ?

内容は主に身の回りの食べられる草、その食べ方について。だけど、この本のおかげで、天保の大飢饉の時、米沢藩は1人も餓死者が出なかったそうだ。

すばらしい!!

そもそも、この本が作られたきっかけは、天明3年(1783年)の凶作だった。米沢藩主、上杉治憲(はるのり)、のちの上杉鷹山(ようざん)は、藩の第一人者、莅戸善政(のぞきよしまさ)らに対策を講じるよう命じた。莅戸(のぞき)らはまず、藩士・領民に白米を食べることを禁じ、米を原料とするお酒、お菓子を作るのを止めて、米に代わる代用食を探した。Wikipedia

上杉鷹山
Wikimedia_Commons[Public Domain]

たしかに、大事な米を使って、酒や菓子を作ってるバヤイじゃない。

さらに米沢藩は、米に余裕がある庄内、越後、尾張から米を借りた。そして、飢饉の間、藩の穀物倉庫を全て開いて、領民に米や穀物を配給した。Wikipedia

小泉農水大臣の備蓄米放出とは、次元が違うな。

でも、飢饉が明けてみると、藩の財政は破綻していた。上杉治憲(はるのり)は責任を負って藩主を退き、上杉鷹山(ようざん)と名を改めた。そして、家督を養子の治広(はるひろ)に譲った。

引退して、上杉鷹山になったのか。

治広(はるひろ)の代になってからも、藩政の中心には、天明の大飢饉で活躍した莅戸(のぞき)がいた。

デキるやつが残ってて、良かった。

莅戸(のぞき)はふたたび、飢饉対策に取り組んだ。まずは、天明の大飢饉で底を突いた、穀物倉庫を満杯にすること。そのために20年計画を立て、藩士と領民が、みな平等に、収入に応じて、一定額の穀物や金銭を積み立てることを義務づけた。Wikipedia

藩士と領民が平等、しかも収入に応じての積み立て。それなら、領民も文句を言わない。

フェアだよね。さらに、莅戸(のぞき)は平常時から、藩の侍医らの助けを借りて、代用食になる動植物の調査と研究を行った。これをまとめたのが、「かてもの」という本。Wikipedia

穀物と混ぜたりあるいはその代用品として食用に用いることができる植物「糅物(かてもの)」を82項目で立項して「いろは」順で掲載している。(中略)...「村役人共常々心を用うべき個条(味噌の製法各種)」、「かて物の心懸に蒔植置くべき物」、「干かて数年を経て変らぬ物」が記され、最後に魚や肉の調理法について解説した「魚鳥獣肉の心がけ」が記されている。
Wikipedia

スゴい! 味噌の作り方、「かてもの」に使うために植えるべき植物、乾物のリスト、魚や鳥、日ごろ食べない肉の食べ方まで、なんと行き届いた本だ。

出版に貢献した上杉鷹山、莅戸(のぞき)らが亡くなった後、天保3年(1832年)にふたたび大凶作となり、翌年は天保の大飢饉になったけど、米沢藩は、領内各所に貯蔵米が確保され、当時の藩主上杉斉定(なりさだ)は、自ら白米食を絶って粥をすすって「かてもの」の手本を見せて、藩士も領民もこれに倣った。そのおかげで、大飢饉になっても、米沢藩の領民は食べられただけでなく、他藩から逃げてきた領民にも食べさせることができた。

お見事! 余裕をもって、備蓄していたんだな。


食糧難で役立つ書物


「かてもの」という本は、その後も、昭和9年の東北飢饉や、第二次大戦後の食糧難で役立ったそうだ。草の実堂

どんな本だろう?読んでみたい。

現代語訳も出ているよ。


実は、この「かてもの」を書く時に参考にされたのが、「備荒草木図」という本だ。飢饉を乗り越えた知恵の結晶:建部清庵と『備荒草木図』」によると、この本は、一関藩の藩医だった建部清庵(たけべせいあん)(1712〜1782)が、飢饉に苦しむ人々を救う目的で書いたもので、食用となる山野の植物をまとめた「救荒植物の図鑑」だよ。


一関の藩医が書いたのか。

「一関に過ぎたるものは二つあり、時の太鼓に建部清庵」と歌われるほどの、名医だったそうだよ。

一関と言えば、さっきの「人肉を食らった」話が伝えられる胆江地域の近くだな。

もしかすると、建部清庵も、そういうショックな光景を目撃したかもしれないね。

で、どんな本なんだ?

本書は上下2冊から成り、スミレ、キキョウ、ヘチマ、クヌギなど、104種に及ぶ食用可能な草木が詳細な図とともに紹介されています。各植物には漢名と和名が併記され、その特徴、食用としての調理法、さらには解毒法や注意点まで具体的に解説されています。例えば、「接続草(すぎな)」の項目では、つくしと共にすぎなも食用として、「茎と葉、ともによくゆでて、水に浸し、米や麦に混ぜてかて飯にするとよい」と具体的な調理法が記されています。


この本、欲しい!

残念ながら、現代訳は出ていない。でも、上巻だけなら、「『備荒草木図』上巻に掲載されている草木について」という論文で読めるよ。

う〜ん、写真が小さくてわかりにくい。なんかこう、もっと見やすくて、まとまってるのがないかなあ。

それなら、オススメがあるよ。

どこだ? 早く教えろ、今すぐポチるから。

灯台もと暗しだねえ、目の前にあるよ。「まみむのメモ〈食べられる野草図鑑〉」シリーズだよ。


お! 写真がきれいで大きいし、説明もていねいだ。これこそ現代版「かてもの」、現代版「備荒草木図」じゃねえか。

使わないと、宝の持ち腐れだよ。

よし! 現代の「かてもの」マスターになって、令和の大飢饉を乗り切るぞ!

いやいや、令和の大飢饉なんて起こってほしくないから。



Writer

ぴょんぴょんDr.

ぴょんぴょん

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
(クリニックは2014年11月末に閉院)
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)


Comments are closed.