注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
気象庁は5日午後2時に記者会見を開き、8日にかけて東日本から西日本の広い範囲で記録的な大雨となる恐れがあると発表。(中略)… 内閣府はそれから1時間半後に、各省庁課長らを集めた災害警戒会議を開いた。小此木八郎防災担当相が出席したのは、24時間の雨量が400ミリに達するとの予報に政府内の緊張感が高まったからだった。
(中略)
午後10時までに、京都、大阪、兵庫の3府県約11万人に避難指示が出た。安倍晋三首相らが自民党の国会議員による酒席の懇親会に出席したのは、この夜のことだった。
(以下略)
首相官邸が連絡室を設置したのが6日、関係閣僚会議開催は7日で、災害対策基本法に基づいた非常災害対策本部を設置したのは8日の朝だった。5日の夜には68万人に避難指示や勧告が出されており、6日には264万人に避難勧告、8府県に大雨特別警報が出され、7日の夜の時点で51人の死亡と76人の行方不明が明らかになっていた。
はたして本当に政府の対応は「先手先手」だったのか?
(中略)
なお、安倍首相は昭恵首相夫人とともに11日からベルギー、フランス、サウジアラビア、エジプトを歴訪する予定だったが、9日午後に中止を発表した。安倍首相は外遊の実現に最後までこだわっていたらしく、9日正午頃に記者会見を開いた公明党の山口那津男代表は外遊について「(首相は)『検討している』との話だった」と明かしている(ロイター 7月9日)。9日正午の時点で外遊の中止を決断していなかったということになる。
(以下略)
(中略)
爆笑させられる右翼の反論として、当時は雨が強すぎて自衛隊がヘリを飛ばせなかったのだという言い訳がある。実際には、7日、新聞社はヘリを飛ばして上空から現場を空撮していた。(中略)… 国民の命を守る神聖な使命を負う自衛隊にとって、5日から7日こそが有事だった。(中略)… 気象庁が5日に異例の会見を二度行って警戒を発した段階で、6日以降に何が起きるか、自衛隊は予測ができたはずだ。
(中略)
真相を言えば、最高司令官の安倍晋三が、今回の大雨災害の救助に自衛隊を出そうとしなかったのである。(中略)… 最高司令官は、5日夜は「赤坂自民亭」の酒宴に興じ、6日夜は大田弘子らと公邸で深酒に酔っていた。7日朝、被害が深刻に広がる中、アリバイ工作のテレビ撮りのための関係閣僚会議に15分間だけ出て、午前中にさっさと私邸に帰ってお昼寝してしまう進行になる。災害対策本部は設置されず、安倍晋三と政府には危機感や緊張感が微塵もなかった。
(以下略)
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世に倦む日日さんの記事では、“7日午前の時点で、真備町では…まだみんな生きていた”とのことです。なので、早い時期から自衛隊を出動させていれば、多くの命が救えたと思われます。
この緊急時に、最高司令官あべぴょんは何をしていたのか?
記事によると、“最高司令官は、5日夜は「赤坂自民亭」の酒宴に興じ、6日夜は大田弘子らと公邸で深酒に酔っていた”とのことで、7日朝に、どう見ても二日酔いの顔で15分間だけ関係閣僚会議に出て、さっさと私邸に帰ってしまいました。
あべぴょんのすごいところは、これほどの大災害になり、自身の不手際から多くの命が失われた可能性があるにもかかわらず、“9日正午の時点で外遊の中止を決断していなかった”ことです。
こうした一連の流れを見ていると、あべぴょんが、リーダーとしての資質を欠くだけでなく、最高司令官としてのあべぴょんは、まさに災厄であるということです。ネットでは、今回の大災害は、人災というよりも晋災であると言われています。