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ままぴよ日記 7

 子育てはパートナーとの共同作業です。娘のパートナーは「初めから一緒に関わって良かった。こんなにかわいいとは思わなかった!」と夜中に何度も起こされる生活をしながら幸せそうに話してくれました。
(かんなまま)
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おっぱいの格闘とへその緒


生後5日目。急におっぱいが張ってきました。今度は赤ちゃんが飲み疲れて全部飲んでくれないので搾乳しなければいけなくなりました。溜まるとすぐに乳腺炎を起こすのです。これまた大変です。娘は飲ませた後におっぱいを15分ずつマッサージしながら搾乳して、それを冷凍保存して足りない時に飲ませることにしました。まるでおっぱいマシーンになったようで、明けても暮れてもおっぱいに格闘していました。でも徐々に飲む量も増えて、長めに寝てくれるようになったので助かりました。


そんな時です。へその緒がポロッと取れました。見ていると娘はそれを無造作にポイ!と捨てたのです!!

私は思わず「ダメ!日本ではそれを大事に取っておくのよ」と言いました。娘夫婦は怪訝そうな顔をして「何で?」と言いました。「赤ちゃんと繋がっていた証だよ」と言いましたが説得力がありません。夫にどう思う?とメールしたら「昔、出産自体が命がけで、へその緒が取れる頃まで生きている事も難しい時代があった時に、ここまで生きられたという意味で喜び、お守りのように大事にするようになった」という返事が来ました。娘はそれを見て感心していましたが「こちらではそんな習慣はないよ」と言われてしまいました。


1週間たちました。助産師さんに引き継いで今度は地域の保健師さんが訪問してくれました。主に母子の健康チェックと、子育てのアドバイスや生活面での支援を担当してくれるようです。母子手帳の使い方や地域の子育て情報もいろいろ教えてくれました。もうこの頃は1日で100gも体重が増え始めてあっという間にもとの体重になりました。もともと食欲のある子だったようで、その分泣き方も激しかったのでしょう。

2週間後は地域のファミリーセンターに行く日です。歩いていける距離にセンターがあります。黄疸も治まってきましたが日光浴を勧められたのでお散歩しながら行くことにしました。2週間、4週間、8週間、4か月、8か月、12か月、3歳半、4歳まで定期的に健診に行くそうです。センターは公園や保育園も併設されていて常駐の看護師さんがいます。子どもの発育のチェックと、子育て情報、親の相談窓口になっています。ここでも決まった看護師さんが担当してくれます。

又、同じころに生まれた子どもを持つ地域のペアレントの会へのお誘いと、子育てを支えてくれるボランティアやサークルの紹介もありました。パパの会、おばあちゃん、おじいちゃんの会もありました。子どもの図書館、おもちゃの貸し出しもあるようです。

pixabay[CC0]


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まみむのメモ(4)〈畑の野菜たち〉


 私たち(まみむ達)の畑の続報です。今年の日照りに毎日の水やりが必要です。タンクやペットボトルや1升びんなどにお水を汲んで車で運びます。近くの川からもバケツで汲んで来ますが、階段をもって上がるのが大変です。
(まみむ)
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まみむのメモ(4)〈畑の野菜たち〉
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まぁ

今、大豆に花が咲いているね。


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みぃ

大豆は花の時期に水が不足すると、実がのらないよ。鞘ができても中の豆が育たないんだよ。


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むぅ

草が地面を覆っているおかげで、乾燥を防いで暑さからも守っていますね。背の高い草も風や日照りから守っているようです。


畑の大豆


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みぃ

大豆は土が肥えすぎると木ばっかり育って、実が生りにくいからね。大豆よりちょっと低い草の中で日光は遮らないから、ちょうどいいみたいだね。


畑の大豆


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まぁ

紫の花と白い花がある。黄大豆や黒大豆を蒔いたから、紫の花は黒大豆かな?


大豆の紫花

大豆の白花

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[Twitter]放送事故  ポーランドの学者がインタビューに答えていたら、◯◯がー

ライターからの情報です。
真面目な話をしている学者さん、飼い猫がやって来て、
耳舐めたり、無茶苦茶邪魔する、



どーじない
(メリはち)
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配信元)

学生に無償ボランティアを強要する一方で役員報酬は超優遇、まさしく日本軍のやり方そのもの 〜 昭和20年の日本軍給与表が物語る日本を滅ぼす差別主義

竹下雅敏氏からの情報です。
 ぺりどっとさんが先日、東京五輪の無償ボランティアに中高生まで「学徒動員」させる異常さを取り上げられました。それに関連してさらに、竹下氏より興味深い情報が届きました。
 ボランティアにはビタ一文も払いたくない大会組織委員会ですが、会の役員には一体どのくらいの報酬が支払われるのでしょうか。役員報酬と「費用に関する規程」を見ると、その優遇ぶりにビックリします。
 月額最大200万円、年額では2400万円の支給に加えて、交通費、通勤費、宿泊含む旅費などに手厚く諸費用が支払われることになっています。
ではその役員には、どのような人がいるのでしょうか。森喜朗会長以下6人の副会長の中には、東京五輪招致の賄賂疑惑が消えない竹田恆和氏、理事24名の中には、秋元康氏、麻生セメント麻生泰会長、あべぴょん側近の萩生田光一氏など、およそ誰が選んだか見えてきそうな面々です。
 下はタダ働き、上はお飾りであっても超優遇。
この奴隷支配のような給与体系、実は日本軍も同様で、まさに「学徒動員」の言葉が出て来たのは偶然ではなかったようなのです。
 日本の給与史を研究されている北見氏が、昭和20年の「日本軍の給与表」を発見し解説されています。(動画0:45〜5:22)
そこからは、厳然たる階級の一番下である「二等兵乙」がいかにひどい扱いをされ、当時の軍部からすれば、彼らの能力とは無関係に使い捨てでしかなかった様子が伺えます。
「二等兵乙」の月額俸給は6円、この人が何年も勤め上げて軍曹になった場合は23円に昇給します。それに対して、大卒者のスタート時点はすでに70円、これが海兵や陸士などの学校であれば超特急で階級を登りつめ、大将にあっては550円という月額になります。まさに雲泥の差ですが、当時の女子学徒動員の給与ですら月30円だったことからも、二等兵の6円がいかに低い金額か分かります。
 北見氏は、こうした学歴偏重の形式的な差別主義が、結局は無能なリーダーを許し、無残な敗戦を招いたと言います。そして「この給与表は現代の日本にそのまま生きている」とも。
 ツイートに「(戦時中は)学徒動員にすら割と高い給与を払っていた」とありますが、それに倣えば日本軍は「学徒よりも低い二等兵乙にすらわずかな給与を払っていた」わけで、今の学生さん達は旧日本軍も驚く「ただボラ」の使い捨て、あべぴょん軍は「学歴偏重」よりもっとタチの悪い「縁故偏重」の差別主義で日本を滅ぼすおつもりらしい。

・・・とここで、コメントを終わるはずだったのですが、飛び込んで来たニュースに絶句。
支払いを渋るどころか、個人資産を差し出せと。すごいね、東京五輪。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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東京オリンピック組織委員会の役員報酬は年間2400万円、ボランティアに自己負担を強いる一方で宿泊・交通費なども全額支給
引用元)
(前略)

運転から通訳、医療、技術、メディア対応など専門職級のスキルを求められる一方で、オリンピック期間中や事前に複数回行われる研修に必要な宿泊費や滞在先までの交通費などは全額自己負担

はっきり言ってタダ働き以下の待遇を「ボランティア」の名の下に強いる東京オリンピック組織委員会の人々は、いったいどんな待遇なのかを調べてみました。詳細は以下から。
(中略)
一般財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
役員」とは理事および幹事を指すもので、「報酬」とは別に交通費/通勤費、宿泊費などの旅費、手数料などを含んだ「費用」の項目があります。

通勤の実態に応じた役員の通勤費だけでなく、交通費や宿泊費などの各種費用を組織委員会が負担するとのこと。

役員報酬一覧はこんな感じ。月額最大200万円、年額にして最大2400万円が支給されます。

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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた社会問題、教育問題 ~第17楽章 日本の働き方とドイツの働き方

ドイツ・ベルリンの暑さもだんだんと和らいで来ました。
ドイツの家は、一般的には、冷房、クーラーがついていないので、
夏は、窓を全開にしています。そして、日本のように網戸もないので、
蜂が家の中に遊びに来るのです。
お花を探しに来ているだけなので、お花がなければ、帰っていきます。
蜂に刺される!と思わなくていいのです。ドイツの蜂はとても穏やかです。

先日、家に入って来た蜂が、疲れたのか、地面にはいつくばり、
その後、逆さになってしまったので、ちょっと起こして、植木のところに
置きました。そのまま、永遠の眠りについたようです。
蜂は、一生懸命働いていたのかな・・と思いを馳せながら、
黄色いバラの花びらをそっと蜂のそばに置きました。

第17楽章は、日本の働き方とドイツの働き方について
書いていきたいと思います。
(ユリシス)
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江戸時代の日本人


日本の江戸時代の働く時間帯はこんなだったそうです。

午前8時から12時まで  お金を稼ぐ時間
午後2時から5時まで   ボランティア、ゆっくりする時間
夜17時から21時まで  心身を休める時間

Author:KCyamazaki[CC BY-SA]


まみむさんの記事でも、
昔の江戸っ子は暑い夏には、寝て過ごしたって聞いたよ
・・
と書かれていましたね。

そして、こちらの記事は、外国人が見た江戸時代の庶民の様子です。
記事より引用すると、

■6.「口論しあっている日本人の姿を見かけたことがなかった
 このような社会では、喧嘩や口論もほとんどない。
維新前後に2度、日本を訪問した英国人W・G・ディクソンは、こう述べている。

私は日本旅行のすべてにおいて、二人の男が本当に腹を立てたり、
大声で言い争ったりしたのを見たおぼえがない。

また、中国では毎日おめにかかる名物、つまり二人の女が口論したり、
たがいにいかがわしい言葉を投げつけあったりしているのも一度も見たことがない。
[1,p168]

明治7(1874)年から翌年にかけて、東京外国語学校でロシア語を教えた
レフ・イリイッチ・メーチニコフも
まったく同様の体験を記している。

この国では、どんなに貧しく疲れきった人足でも、礼儀作法のきまりからはずれることがけっしてない。・・・
わたしは江戸のもっとも人口の密集した庶民的街区に2年間住んでいたにもかかわらず、
口論しあっている日本人の姿をついぞ見かけたことがなかった。

 ましてや喧嘩などこの地ではほとんど見かけぬ現象である。
なんと日本語には罵りことばさえないのである。
馬鹿と畜生ということばが、日本人が相手に浴びせかける侮辱の極限なのだ。[1,p167]

口論や喧嘩は、利害の対立から生ずる。
思いやりと助け合いに満ちた共同体では、
各自が自己主張を自制するので、利害の対立は少なく、
その結果、人々は互いに争うこともほとんどないのであろう。

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