[In Deep 他]サイコパスとその理念が世界を動かしている「悪意の時代」の中で 〜誰もが子供の様に生きていける社会へ〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 サイコパスでなければ言えない言葉です。森友学園疑惑に続いて、加計学園の第2の森友学園疑惑があり、さらに第3第4の疑惑が出て来ています。国民の財産を、お友達のために無償譲渡するという事を、いろんな所でやっておきながら、“一部の人だけに富が集まる、あるいは無法者が得をする状態を作ってはなりません”などとスピーチし、なおかつ経済連携協定の早期締結の必要性を訴えているのです。
 グローバリズムが、一部の人だけに富が集まるシステムだということは、いくらこいつが阿呆でもわかっているでしょう。これほど矛盾したことを平気で言えて、しかも恥ずかしいとも思わない、このタイプの人間がサイコパスであることは、はっきりとしています。In Deepさんの記事の中に、サイコパスの定義が出てきますが、あべぴょんの場合、このすべてが完全に当てはまります。残念ながら現在は、このプラウダの記事の通り、“サイコパスたちがこの世界を動かしている”のです。問題は、その事実にほとんどの人が、気づいていないことです。
 記事では、西洋文明全体を覆いつくす資本主義という価値観が、サイコパスにいわば免罪符を与えていると主張しています。資本主義では、“利益の最大化こそが企業の唯一の責務“だとされます。利益を上げるためなら何でも行うようになり、むしろサイコパスのような冷酷な人間の方が、社会的成功の意味では評価されるのです。
 私が思うに、資本主義の本質である株式会社は、株価という、いわば外部の採点表を持っているのです。大手メディアなら視聴率です。数字のみで評価される業界の人々に、人間性が欠如しているのはよく見られることです。生き馬の目を抜く業界では、他人を同情している余裕はなく、そうした資質はむしろ出世を妨げます。こうした忌まわしい世界では、いわば上司の思惑を忖度(そんたく)出来る人物が出世していくのです。
 “チームをまとめる協調の精神を持たず、従業員からの評価も悪い…客観的には実力のない管理者であるにもかかわらず…上司によって評価される”のです。サイコパス集団の目に留まり、出世するか否かの指標は、上司に対する忠誠心なのです。上司に忠誠を誓い、権力や地位のためならどんな悪でも平気で行える人物には、扉が次々に開かれる仕組みになっています。
 いわば西洋文明は、悪そのものになっていると言えるでしょう。しかし、その出発点は何かを見ると、株価や視聴率といった、いわば外部の評価というモノサシなのです。もしも、人々の意識が転換して、株価や視聴率などの数字を一切気にしないようになり、良い仕事をすること、良い商品を生み出すこと、良い番組を作ることのみに集中するならば、結果としてそれらのものは、真に見る目のある者たちに、評価されるようになるでしょう。そのことが、価値や評価を超えた充足感につながります。
 子供の時のことを思い出してください。遊びの中に価値を見出したり、誰かの評価を気にしたりしたでしょうか。むしろ、価値や評価を離れたこうした体験こそ、充足感と共に喜びそのものではなかったでしょうか。
 私たちは、大人になると、子供のように生きられないと思い込んでいます。そうではなく、真の意味で平等な社会なら、誰もが子供の様に生きていける社会になると思うのです。そうした社会では、誰もが創造的で、喜びに満ちて暮らしていることでしょう。
 昆虫学者、海洋生物学者など、どう考えてもそのまんま遊びですよね。数学者も物理学者も音楽家も画家も、お金の為の職業でなければ、遊びですよね。人々を奴隷状態から解放するというのは、お金の為に働く必要のない社会を作ることです。もうじき、そんな社会がやってきます。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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欧州訪問中の安倍首相、経済連携協定の早期締結訴え
引用元)
引用元でご覧ください

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 安倍総理はドイツで、日本とEUの経済連携協定について早期締結の必要性を訴えました。(中略)… 

 安倍総理は、ドイツ北部の都市ハノーバーで開かれている世界最大級の情報通信関連の産業見本市「CeBIT」のオープニングイベントでスピーチし、(中略)… 

 「自由な貿易と投資の恩恵をふんだんに受け伸びた日本は、ドイツと共に開かれた体制を守るチャンピオンでありたい。一部の人だけに富が集まる、あるいは無法者が得をする状態を作ってはなりません。だからこそ、そこを高らかに示すため、日本とEUのEPA(経済連携協定)を早く結ばなければなりません」(安倍首相)

(以下略) 

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配信元)


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サイコパスとその理念が世界を動かしている「悪意の時代」の中で
転載元)
(前略) 

今日は、この「サイコパスたちがこの世界を動かしている」というタイトルのロシア・プラウダの記事を翻訳してご紹介したいと思います。

(中略) 

このブラウダの記事のクレジットを見ますと、これは転載して翻訳されたもので、オリジナルはイタリアのメディアの記事でした。

(中略) 

ちなみに、「サイコパス」という言葉は、辞書的には、下のようになります。

精神病質 – Wikipedia

精神病質とは、反社会的人格の一種を意味する心理学用語であり、主に異常心理学や生物学的精神医学などの分野で使われている。

その精神病質者をサイコパスと呼ぶ。

この「定義」は、現在は下のようにされるのが一般的です。

犯罪心理学者のロバート・D・ヘアによるサイコパスの定義

・良心が異常に欠如している
・他者に冷淡で共感しない
・慢性的に平然と嘘をつく
・行動に対する責任が全く取れない
・罪悪感が皆無
・自尊心が過大で自己中心的
・口が達者で表面は魅力的

(中略) 

ひとことで言えば、サイコパスというのは、

「自分のナルシズムを満足させるためには他人をどれだけ傷つけても構わないし、無慈悲で冷酷で共感の気持ちもない。しかし、人をコントロールする魅力と能力を兼ね備えている人物」


というような感じでしょうか。

(中略) 



The disturbed psychopaths running this world 
Pravda 2017/03/17 

わずらわしいサイコパスたちがこの世界を動かしている

(中略) 

これから述べようとしていることは、サイコパス、つまり「反社会的人格障害」または「自己愛的人格障害」を持つ人間のことだ。

(中略) 

犯罪心理学の研究者ロバート・ヘア(Robert Hare)氏は、囚人などのサイコパスと、企業トップや政治家などとの関連についての数少ない研究を指導した一人だ。

それによれば、大企業や金融企業のトップにいる人たちの中のサイコパスの割合は 20人に 1人、あるいは全体の 4%だった。少ないように見えるかもしれないが、これは、一般の社会のサイコパスの割合の4倍高いのだ。

(中略) 

完全自由主義のエコノミストで、彼の教え子たちの考えを釘付けにしたミルトン・フリードマン(Milton Friedman)氏は 1970年に以下のように記している。

株主価値の最大化こそが企業の唯一の責務であり、つまり、企業の唯一の社会的責任は、利益を最大化することなのだ」

(中略) 

ビジネスで成功する「連中(bastard)」は、利益を上げるためなら何でも行い、そして、それは彼らの文化と環境が利益を供給しなければならないという「道徳的な正当性」によって動機づけられている。

彼らは、彼らのサイコパスとして定義される行動や言動が(企業利益の増加に伴い)現実として評価されるので、社会で「成功」していく。

(中略) 

彼ら(サイコパス的な精神性を持つ人たち)は、チームをまとめる協調の精神性を持たず、従業員たちからの評価も悪いという、客観的には実力のない管理者であるにも関わらず、彼らは、「創造的かつ革新的で、素晴らしい戦略的思考を持つ者」と上司によって評価されることが多い。

(中略) 

この種のサイコパスには、意思決定者(上司など)の心理を操作するための大きな力があることが精神科医たちに長い間知られている。

(中略) 

歴史を見てみると、有名な石油界の大物ジョン・D・ロックフェラーは、競争相手を躊躇なく台無しにするような、「私のお金は神によって与えられた」というようなことを宣言したことが思い出される。

(中略) 

これらの精神性は、アメリカ合衆国の環境に見出される。すなわち、その「自由」と「個人主義」においてだ。

経済的に繁栄する理想的な場所であるアメリカは、同時にこの(利益第一主義の)考え方を形作った。

つまり、自由の国アメリカの理念は、「貧しい人たちは彼らの過ちにより貧しいのだ」ということであり、そんな人たちを支援する価値はないという理念だ。

(中略) 

下の言葉は、社会的に成功したアメリカ人女性の告白本にある下りだ。

「他人の人生を台無しにするという考えは実に愉快だ。それは人ではなく食べ物のようだ。権力こそが、私の人生の中で本当に興味のあることだ。破壊的な力と知識と眼に見えない影響力」

(中略) 

今、西洋「文明」全体が、米国のエッセイストであるマイケル・エナーによって記述された点に達しているのだと思わざるを得ない。それは以下の記述だ。

「見るといい。何もかも逆さまだ。医師は健康を破壊し、弁護士は正義を破壊し、大学は知識を破壊し、政府は自由を破壊し、主要メディアは情報を破壊し、宗教は精神性を破壊しているばかりだ」

(中略) 


ここまでです。

今の世の中では、たとえば日本でも、私たちは、

「企業の利益を上げることが何よりも優先され、個人の苦痛や悲哀などはそれに比べると(あるいは人の死なども)どうでもいい」

という社会
に生きていて、「企業はそれが当たり前」だと思うようになっています。

(中略) 

最近はブラック企業とか、そういう言葉もありますが、厳密にいえば、

「全部がブラック企業であるべきなのが現在の資本主義の理想的な姿」


だと思われます。

人間は使い捨てにして、その使い捨てによる小さな企業収益を上積みさせて株主利益に還元する。それ「だけ」が「企業の正義」ということになります。(中略)… 

プラウダの記事にも出てきますが、「株主価値の最大化こそが企業の唯一の責務であり、企業の唯一の社会的責任は、利益を最大化すること」だという意識が、とても広く行き渡っているのです。

(中略) 

しかし・・・誰がこんな世の中にした?

(中略) 

この数年で、私に「こんな社会なら存続するより滅びたほうがいい」と強く思わせるようになってしまった社会にどうしてなったのかと。

(以下略) 

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