ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝18 ― テンプル騎士団「メリカ」の地へ

 今回の記事は、映像配信「宗教学講座 225回」の焼き直しの内容なので、この「225回」をご確認下さいますよう、先ずお伝えします。
 さて、この世界で一度定説として染みついてしまったものを覆すのは、中々困難で厄介なことです。支配層は意図的に実体のない物語を定説としてしつらえて世界に流布します。この様な定説は数え切れないほどあるのですが、その中の一つが「コロンブスのアメリカ大陸の新発見」です。
 実際は、1000年にはノルマン人が北米に到達しているので、この定説は全くの誤りです。そしてコロンブス自身がテンプル騎士団員でしたが、その遙か先輩たちも既にアメリカに到達してもいました。ヘンリー・シンクレアたちです。
 コロンブスがアメリカに赴いた動機は「黄金の獲得」でしたが、同じテンプル騎士団でも、ヘンリー・シンクレアたちの動機は、コロンブスのそれとは全く異質のものでした。アメリカに“新エルサレム”を築き、そこを中心とした理想国家の建設が彼らの目的であり、動機だったのです。
 彼らの元々のスタートとなるルーツが、約2000年前のクムラン宗団であり、宗団はユダヤの独立、エルサレムの再建を目指した活動を行っていたのです。
 そして、約1000年の時を経て、ヘロデ神殿地下から発掘された彼らの秘密文書には、「星の指し示す土地」として「メリカ」が記されていたようなのです。その書の内容に導かれるようにして、シンクレアたちは新世界に向かったのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝18 ― テンプル騎士団「メリカ」の地へ

アメリカに向かったテンプル騎士団 ~1000年にはノルマン人が北米到達


1307年、一斉逮捕を逃れたテンプル騎士団員は、10月13日ラ・ロシェルの港から二手に分かれて出航。一方はスコットランドへ、もう一方はポルトガルで物資の補給を行った後に「ナザレ教の巻物に「メリカ」と書かれた星の指し示す土地を目指していた。」と『封印のイエス』では記しています。

同書によると、フランス人であるテンプル騎士団員は「この星を「ラ・メリカ」と呼んでいた。そしてこの名は、のちに「アメリカ」に転じた」とし、続いて「1308年初頭、彼らはニューイングランド州(註:マサチューセッツ州の間違いだと思われる)のケープ・コッド、もしくはロード・アイランド州あたりに到着した。」としています。

一般には、「アメリカの発見」はコロンブスの1400年代末の仕事とされていますから、これだとコロンブスよりも200年近く前に、テンプル騎士団がアメリカに到達していたことになります。

実際はどうだったのか?といえば、コロンブスがアメリカ大陸の最初の発見者で到達者という定説は全く違っていそうです。無論、人類初の意味では、先住民がいるのですからコロンブスの発見は誤りなのですが、ヨーロッパ人最初の発見でも間違いのようです。

ヴァイキングの航海。緑色はヴァイキングの居住地(植民地)、青線は経路、数字は到達年。黒海やカスピ海、北アメリカ大陸のニューファンドランド島にも到達している。
Wikimedia Commons [CC BY-SA]

この「世界史の窓」の記事等を読んでもらえば分かるように、日本ではバイキングの名称で知られるノルマン人が、少なくとも1000年には北米に到達し、現地の人々と交易を行い、更に失敗はしていますが、幾度も植民も試みているようなのです。1000年といえば、ノルマン人であるウィリアム征服王がイングランドを征服し、王朝を開いたのが1066年ですから、その70年ほど前になります。

ウィリアム征服王は、ノルマン人北米到達の知識は当然持っていたと見るのが自然でしょう。そして、それはシオン修道会、テンプル騎士団にも伝わっていたでしょう。ウィリアム征服王は、別名ギョーム2世、つまりマグダラのマリアの血流「王家の血流」であり、「王家の血流」を守護するのがシオン修道会とテンプル騎士団なわけですから。

シオン修道会の創設は1090年代で、その枝分かれでテンプル騎士団が創設されたのですが、その創設までのルーツ・前身があり、それは「王家の血流」とずっと絡んできているのです。

また、テンプル騎士団に関して、キーワードになる海賊、蛮勇、戦闘能力の高さ、フロンティア精神、地中海レバント貿易と並べてみると、これらはノルマン人とテンプル騎士団に共通した事柄です。

1130年頃までにノルマン人が征服した地

アメリカに帆を向けたテンプル騎士団はフランス人ですが、フランス北西部にノルマンディ公国があったこともあり、どうもテンプル騎士団員は、ノルマン人系が多かったのではないか?との気がするのです。

ともあれ、テンプル騎士団が1307年10月にアメリカに帆を向けて、翌年に到達していたとの説は全く不自然ではなく、事実だったでしょう。

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1300年頃のヨーロッパにおけるテンプル騎士団のサイト

ヘンリー・シンクレア船団を率いてアメリカに ~ウエストフォードで発見された騎士の絵


1308年以降、テンプル騎士団がコロンブス以前にアメリカに到達していた痕跡、その証拠になるものは、1368年のケンジントンストーンがありますが、特にヘンリー・シンクレアのアメリカ大陸上陸は決定的です。

©2018 Google

超能力者の独り言 前世や過去世への旅」というブログに以下の文が載せられています。

1398年ごろ、アメリカのインディアンミクマク族の伝説では、『男が東の方向からクジラ(インディアンからすると、船をみたことがないので、クジラと表現したのかもしれません。)に乗ってやってきた。』とあります。この男というのは、スコットランドの貴族の王子、ヘンリー・シンクレア。

どうやらヘンリー・シンクレアがアメリカに渡り、そこで先住民ミクマク族と交友関係を結び、それがミクマク族の伝説になったようなのです。

ノバスコシア州からケベック州にかけてのミクマク族の居留地
Author:Mikmaq [CC BY-SA]

ミクマク族の国旗
Wikimedia Commons [Public Domain]

このヘンリー・シンクレアのアメリカ大陸上陸に関しては、著書『テンプル騎士団とフリーメーソン』で以下のように指摘されています。

「サー・ヘンリー・シンクレアが、ヴェネツィアの探検家アントニオ・ゼノンとともに大西洋を横断しようと試みた。たしかにゼノンはグリーンランドに到達し、・・・のちに新世界(アメリカ大陸)と呼ばれる土地にも達していたのかもしれない・・・彼がメキシコに向かったことを示唆する興味深い証拠があるという。」

その他デービッド・アイクが『大いなる秘密 下』で、王子ヘンリー・シンクレアとヴェニスの黒い貴族アントニオ・ゼノ(ゼノン)がアメリカ大陸に渡航したと指摘してもいます。

そして更に『封印のイエス』では、ヘンリー・シンクレアの孫のウィリアム・サン・クレアが建てたロスリン礼拝堂の管理者ジャネット・ダイア―師によれば...として、ヘンリー・シンクレアは、テンプル騎士団の資金で12隻の船団を作り、自身と共に新世界アメリカに送った記録があること。

更に、その船団でアメリカに来た騎士の一人が命を落として葬られ、その墓石こそがマサチューセッツ州ウェストフォードで発見された騎士の絵であり、その騎士の名前はサー・ジェイムズ・ガンである、としています。

1600年頃のニューイングランド南部におけるインディアン部族の分布
Author:Nikater [CC BY-SA]

墓石として騎士の絵が描かれ、その本人の名前も記録に残っている・・・。これらの情報から、どう見ても1398年のヘンリー・シンクレアのアメリカ大陸上陸は、動かしがたい事実です。そしてヘンリー・シンクレアの船団は200人規模であり、この時点から、既にアメリカでの植民を開始したようなのです。

ウェストフォードの平たい岩に描かれた騎士、サー・ジェイムズ・ガンの絵は、前回もその画像が載せられていたもので、この絵が作成されたのは1403年と竹下さんは見られています。

そして、前回この絵にアメリカ先住民ワンパノアグ族の伝承の記事をもとに、編集者さんが註釈を入れていたのですが、記事の内容は、サー・ジェイムズ・ガンがヘンリー・シンクレアと共に1402年頃、ウエストフォードの地に訪れ、先住民ワンパノアグ族と接触交流し、サー・ジェイムズ・ガンはこの地で亡くなったとされているのです。


アメリカに向かったその動機は? ~悪魔崇拝ではなかったヘンリー・シンクレアの一団


ヘンリー・シンクレアは、そのアメリカ大陸上陸船団の中に財宝、つまり聖杯であるマグダラのマリアの血流人物を入れていたようです。

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ロスリン礼拝堂の薔薇の文様

更に彼らは、植民でいずれアメリカで人口が増加し、経済活動が大きくなることを見こしたようです。それでその経済活動の元になる貨幣、その裏打ちとなる金銀財宝も、ミクマク族の活動地でもあったノバスコシア州のオーク・アイランドに持ち込み、埋蔵したようなのです。
この裏付けとしては事実、オーク・アイランドでは埋蔵金発掘が(誰も成功していませんが)一大ブームとなっていました。

さて、そもそも、なぜテンプル騎士団がアメリカ大陸に向かったのか? もちろん彼らはカソリック教会の手の届かないところに拠点を作ろうとしたのでしょう。ただし、それのもっと根本的な本質は「メリカ」の地、新世界アメリカに新たな“エルサレム”を築き、そこで彼らなりの理想国家を建設しようとしたことです。


テンプル騎士団は、前回見たクムラン宗団の流れから創設されているのです。クムラン宗団には、テンプル騎士団がキリストと崇める斬首された男マグダラのマリアイエスが所属し、彼らはユダヤの独立、エルサレムの再建を目指し活動していたのです。「ナザレ教の巻物」とは、発掘された聖杯・クムラン宗団の秘密文献です。そこにある「星の指し示す土地」がアメリカだったのです。

テンプル騎士団がアメリカを目指すのは当然と言って良いでしょう。そして、彼らヘンリー・シンクレアを頭とする一団には際だった特徴があります。それはミクマク族の国旗からも伺えるように、彼らは現地人と友好融和関係を結んでいるところです。

これは現地人を殺戮・強姦・略奪の対象としたコロンブスとは全く異なります。コロンブス自体がテンプル騎士団で、シンクレア家とは血縁関係を結び、その縁でアメリカ大陸航路の海図を譲り受けてアメリカ大陸に向かったのです。
しかし、間違いなく悪魔崇拝であったコロンブスとは異なり、ヘンリー・シンクレアの一団は悪魔崇拝ではなかったのです。

出発点のクムラン宗団は当然悪魔崇拝ではなく、そこからシオン修道会、テンプル騎士団創設の流れの上にそのままあった集団です。彼らが中心となり、アメリカが建国されたわけです。同じテンプル騎士団でも、悪魔崇拝とそれ以外があり、この構図はフリーメーソンも同様です。


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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