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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝17 ― 聖杯の持つ真の意味と作用
ダビデ神殿跡地下に秘匿された聖杯 ~イエスたちが所属していたクムラン宗団
前回「聖杯」を以下のように定義し、このうち①と③をテンプル騎士団は探していただろうとしました。
① キリストの遺物(遺体の一部)を載せた物質としての杯
② ユダヤ王の血流をその身に受けたマグダラのマリア(その遺体)
③ キリスト(ユダヤ王)を生みだす器としての知識文献
④ ユダヤ王とマグダラのマリアの血脈子孫
まず①について少し補足します。
映画や漫画などで髑髏の海賊旗をよく目にします。都市伝説などで多く指摘されているのですが、あの髑髏マークはテンプル騎士団由来なのです。それについては、火あぶりにされたジャック・ド・モレーからその旗のデザインがされたとの記述が多くあります。そしてそれはそうでしょう。
@HankKraychir 16th & 17th Century masonic gravestones at Balantrodoch church, Temple Scotland. Predating origins pic.twitter.com/AyL8Y5UaSP
— Robert MJ Benham (@CllrRobBenham) 2015年5月2日
編集者註:スコットランドのテンプル村 Balantrodoch教会(テンプル教会)にある16世紀・17世紀頃のフリーメーソンの墓石。
基本的にはキリストは男性原理であり、キリストを受け入れ包み、且つキリストを生みだす器の「聖杯」は女性原理です。
①のキリストの遺物、遺体の一部とは、ダビデ王の血統子孫でマグダラのマリアのパートナーだった男性の首です。聖杯はその首を載せる杯(大皿)となります。一部の者たちの間では「その首を所持する者は世界を支配する」とささやかれもする代物です。
ヨハネの首を持つサロメ
Wikimedia Commons [Public Domain]
そして更に重大なのが③です。詳述の余裕はないですが、約2000年前、ユダヤはローマ帝国の属州でした。当時イエスそしてマグダラのマリアたちはパレスチナのクムラン宗団に属していたのです。①の人物を含め、彼らは革命を起こし、ユダヤの独立を目指していました。
しかし、その計画はイエスの磔刑後も果たされることなく頓挫します。クムラン宗団は、革命のための金銀財宝を含んだ宗団の膨大な重要文書を幾つかに分けて秘匿します。その最も重要なものは、ヘロデ神殿の地下に強固な建造物が建設されており、そこに秘匿されたのです。
このことはマグダラの子孫である「聖杯家」には秘かに伝えられていたのでしょう。それを受けて、「聖杯家」で十字軍指導者のゴドフロワ・ド・ブイヨンはエルサレムを占拠し、ヘロデ神殿跡を探し、発掘に向かったと推察されます。
ユーグ・ド・パイヤンとゴドフレー・ド・サンオメールにソロモン神殿を与えるボードゥアン2世。第4の人物(右端)は、エルサレム総大司教ヴァルムント。
Wikimedia Commons [Public Domain]
③の秘密文献の内容は多岐にわたり、その中にはイエスの言行録もあったでしょう。そしてその秘密文献の中心は、イエスたちが信奉実践したエジプトからの秘教、いわゆるグノーシス、カバラであり性錬金術です。
錬金術とは鉛を黄金に変える秘法ではありません。人間を超人に、つまりキリストへ変容させる技法です。
クリストファー・ナイトとロバート・ロマス共著の『封印のイエス』では、テンプル騎士団がこれらの重要物を1120年に発見したと見ています。聖杯はヘロデ神殿の地下聖所に秘匿されてから約1000年の時を経て地上世界に出てきたわけです。
テンプル騎士団創設主要メンバー ~ユーグ・ド・パイヤンと結婚したシンクレア家
テンプル騎士団、並びにシオン修道会の創設主要メンバーについて改めて確認します。
まずその中心にあったのがゴドフロワ・ド・ブイヨンです。以下主要メンバーはブイヨンの弟のボードゥアン1世、甥のボードゥアン2世、ブイヨンの友人のシャンパーニュ伯、シャンパーニュ伯の一統で親しい家臣で騎士団の長ユーグ・ド・パイヤンそして創設8名の騎士となります。
秘密を守るため騎士たちは、発足以来、エルサレムの地で創設メンバーの9名だけで活動していました。しかし、発掘した重要文書の翻訳に成功したのでしょう、1128年頃以降、テンプル騎士団はその勢力を一気に飛躍的に拡大します。聖杯を発掘・発見し、その保護者となったテンプル騎士団は、以降莫大な財力と強大な権力を有する組織となるのですが、その裏に聖ベルナールの存在がありました。
シャンパーニュ伯領内の人間であるベルナールはカソリック有力聖職者で、シャンパーニュ伯と強い繋がりがあり、さらにはテンプル騎士団創設メンバーの中に叔父もいたのです。そしてベルナールには面白い絵が残っていて、彼は肩書上カソリック聖職者ですが、中身はどう見ても黒いマリア、即ちマグダラのマリアの崇拝者なのです。
聖ベルナルドゥス(聖ベルナール)と聖母
Wikimedia Commons [Public Domain]
つまり、ベルナールは最初からゴドフロワやシャンパーニュ伯、ユーグ・ド・パイヤンたちとの仲間で、彼がカソリック教会との仲介などプロデューサー役を勤めたのです。
また、テンプル騎士団に「ローマ法王以外誰にも何にも縛られない」との破格の特許を与えたイノケンティウス2世は、ベルナールの後輩だったのです。
さて、主要メンバーに関してはもう一つ重要点があります。「テンプル騎士団―聖杯の秘密」というブログの第5章に、創設時の騎士団の長ユーグ・ド・パイヤンの妻となっていたのが「サン・クレア家のカテリーヌ」とあります。サン・クレア(シン・クレア)家はスコットランドの古くからの有数貴族であり、「聖杯家」の一つなのです。
外伝15の最後「同じテンプル騎士団ながら、コロンブスとは全く性格の異なる先輩も、その遙か以前にアメリカに向かっていました。その名はヘンリー・シンクレアです。」としていたヘンリー・シンクレアを輩出しています。
テンプル騎士団とアメリカ、そしてフリーメーソンを繋ぐ極めて重要なキーとなる家系がシンクレア家なのです。そのシンクレア家はテンプル騎士団の創設から深く関与していたわけでもあります。
Petroglifo que parece un caballero medieval...¿como es posible?.. llegaron a América antes que Colón.. @LorenzoFBueno #EnigmasHistoria3 pic.twitter.com/Sy62UfSLjT
— Juan Gómez (@nuevadradio) 2016年12月22日
編集者註:マサチューセッツ州(アメリカ)ウェストフォードに残されている平たい岩に描かれた騎士の絵。アメリカ先住民・ワンパノアグ族の伝承によると、コロンブスがアメリカを発見したとされる約90年前(単純に引き算すると1402年となる)には、ヘンリー・シンクレアはアメリカに到達しており、彼とともに、ジェームズ・ガン卿が、マサチューセッツ州ウェストフォードを訪問したようです。
テンプル騎士団一斉逮捕の内幕 ~それで誰が得をしたのか?
ローマ法王からの破格の特権もあり、テンプル騎士団は巨大勢力になったのですが、反面テンプル騎士団とカソリック教会は、その最初から鋭い対立緊張関係にあったはずです。
「聖杯」は「王権」の意味があり、それはテンプル騎士団一斉逮捕に向かったフランス王フィリップ4世にとっては、自らの王朝を揺るがすものでした。しかし、それ以上に「聖杯」が自らの命脈を絶つ危険物であったのはカソリック教会です。
聖杯③は、意味としては、約1000年も絶対的宗教権威であったカソリック教会、その教義が全くの「虚構」であったことを証明する文献でもあるのです。
一例を挙げれば、カソリックではイエスを「神」として扱います。しかし、聖杯③の文献中にあるであろうイエスの言行録では、イエスを「人間」として記していたでしょう。イエスの信仰実践も、カソリックのそれとはかけ離れています。これら文献が表に出て広まればカソリック教会の崩壊です。
「聖杯」を発見し守護するテンプル騎士団とカソリック教会は、その最初から内実は「不倶戴天の敵」の関係にあったのです。
前回見たように、テンプル騎士団一斉逮捕は、“嫉妬”と“強欲”に狂ったフリップ4世の一方的蛮行犯行の文脈で語られます。
この文脈そのものは事実と反しているのですが、この文脈の中では、カソリック教会はフリップ4世の影に隠れ正面に出でてきません。しかし、異端裁判の権限はフリップ4世にはなく、カソリック・ローマ法王庁にしかありません。そこで文脈上は、時のローマ法王クレメンス5世は、フィリップ4世の傀儡で「仕方なくテンプル騎士団を有罪にした」としています。
しかし、このカソリック教会不本意従属説の文脈とは異なり、テンプル騎士団逮捕の黒幕の主役・主犯はローマ法王であると見る方もいます。動機を考えてみても、この見方は充分その可能性があります。現に逮捕を逃れたテンプル騎士団は、ラ・ロシェルの港から船団で脱出するのですが、その多くが向かった先はスコットランドでした。
なぜスコットランドに向かったか? そこはカソリック教会の手が届かない場所であり、シンクレア家の領地があったからです。つまり、テンプル騎士団が恐れたのはローマ法王庁なのです。従って、テンプル騎士団一斉逮捕の主犯はローマ法王庁と見る方が自然なのです。
それと、付け加えるともう一つの隠れた存在があります。歴史上の事件の犯人を追う時まず見るべきは「その事件で得をしたのは誰か?」なのです。
一斉逮捕でテンプル騎士団の所有地などの財産はどうなったか? 財産を譲り受けたのはテンプル騎士団のライバルであった聖ヨハネ騎士団です。間違いなくテンプル騎士団一斉逮捕の裏側には聖ヨハネ騎士団の存在があるでしょう。
さて、逮捕を逃れたテンプル騎士団の多くがスコットランドに向かいますが、それと違う方向に帆を向けた船団もあり、その中には「ラ・メリカ」、アメリカに向かう船団も・・・。
編集者註:テンプル騎士団のラウンド・チャーチ。【左上】はテンプル騎士団の紋章。【左下】は12世紀後半、テンプル騎士団によって建てらたトマール(ポルトガル)のキリスト教修道院内のもの。【右】はロード・アイランド州(アメリカ)のニューポート・タワー。
Wikimedia Commons [Public Domain]
Author:Alvesgaspar [CC BY-SA]
Author:Decumanus [CC BY-SA]
テンプル騎士団の逮捕劇は、フィリップ4世の一方的蛮行犯行の文脈で語られますが、善悪は別として、この文脈が世界に流布しているのは、テンプル騎士団の末裔がフィリップ4世の末裔よりも強い力を有し、世界支配層にあることを意味します。
そして同様に現実世界で力を有するが故に、都合の悪い事実から身を隠せている存在もいます。フィリップ4世の影に隠れたカソリック教会です。
テンプル騎士団が発掘・発見し守護することとなった「聖杯」、それは権力争いを演じる者たちにとっては「(世界)王権」をも意味する代物でした。
同時に「聖杯」は、カソリック教会の当時では、約1000年間にもわたるその教義の「虚構」を証明し、教会の命脈をも絶ちきる作用を有するものだったのです。
絶対的権力保持のため、カソリック教会がこの超危険物をその守護者を抹殺したいとの動機を持つのは当然だったと思えます。聖杯を通して見ることで、テンプル騎士団逮捕劇の表に出ていない真相、そして隠れた存在も垣間見えても来るのです。