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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝15 ― シティのテンプル(聖堂)
シティの紋章
Wikimedia Commons [CC0]
世界金融支配の本拠地シティ ~シティに残されるテンプル騎士団の影
イングランド銀行を中心に、金融センター都市シティが構成されました。ロンドンのシティは無論英国国内にありますが、「国家内国家」と言おうか、英国の支配統制下にあるのではありません。逆です。ネイサンの言葉通り、国家は中央銀行の統治下にあるのです。
1815年 ネイサン・マイヤー・ロスチャイルドの有名なせりふ
「イングランドの王座に座って、日の没することのなき帝国を統治する傀儡など、誰でもかまわない。イギリスの貨幣供給を掌握する者が大英帝国を支配するのだ。そして、イギリスの貨幣供給を掌握しているのは、このわたしだ。」
(『ユダヤ・ロスチャイルド世界冷酷支配年表』)
中央銀行制度とは、一口で結べば「借金奴隷制度」であり、世界中が中央銀行制度下に置かれてきたのです。
ロンドンのシティは英国支配の本拠地のみならず、世界の植民地奴隷支配の本拠地といっていいでしょう。植民地はどのように仕上げられるのか? そのパターンはほぼ決まっています。
まず狙った対象先に調査員スパイが向かいます。これは大概、キリスト教宣教師がその役目を担ってきました。次に軍隊が向かい暴力による制圧です。最後は借金つまり金融による支配です。
第2次世界大戦後に植民地であった世界の多くの国々が独立したことになってはいます。しかし実像は違います。経済的植民地として搾取され続けている現実に変わりはありません。
イギリス帝国統治下の経験を有する国と地域
Wikimedia Commons [Public Domain]
さて、金融による経済的植民支配の本拠地であるシティの中にテンプルがあるようです。インナー・テンプル、ミドル・テンプルという名称の法曹院です。ウィキペディアでは、このテンプルは「自治体としての地位をもっており、シティの管轄下にはない」とのことですからシティの「聖堂」と見ていいでしょう。植民支配本拠の「聖堂(聖域)」です。
このインナー・テンプルのウィキペディアを見ていくと、「関係者」の欄の最初から奇妙な人物名が並んで順に記載されています。マハトマ・ガンディーとセシル・ローズです。
ガンディーはいうまでもなくインド独立の父で聖人として語られます。セシル・ローズは人種差別主義者で、南アフリカにて徹底的な略奪と奴隷支配を実行した人物で、ロスチャイルド家の代理人でした。世界植民支配本拠シティの聖域の座にセシル・ローズは全くふさわしいのですが、ガンディーはその対極に座するはずです。
ところが、両者が順に並列記載されています。聖人とされるガンディーの実像はどうだったのか?です。
四法曹院の紋章
Author:Marc Baronnet [CC BY-SA]
更に下ってウィキペディアを見ると関係者に面白い人物が登場します。フランシス・ドレイクです。エリザベス1世の「私の海賊」、東インド会社の源流の一つ、ドレイク海賊団船長です。およそ法曹院に似つかわしくない彼はテンプルの会員となっています。
テンプルの会員? どういう意味か? 答えを先に示すと、フランシス・ドレイクは「テンプル騎士団」の一人だったようなのです。ロンドンのシティは、もとは「テンプル騎士団」の所有地であり、テンプル教会を始め騎士団の各重要施設があった土地だったのです。
テンプル騎士団の概要 ~秘宝を見つけ出し保持した宗教騎士団
様々な噂がある謎の組織「テンプル騎士団」、この組織は1096年から始まった十字軍遠征を受け、1119年頃結成されました。この宗教騎士団設立の表向きの目的は、第1回十字軍の遠征でイスラム教徒からキリスト教世界がとり戻した聖地エルサレムの守護と、その聖地への巡礼者の保護です。
ローマ教皇から特権が与えられた戦闘集団テンプル騎士団は、欧州で隆盛を誇るようになります。彼らは自前の艦隊を有するいわば海賊団でもあったのですが、広大な領地を有し、国際銀行家として莫大な富と権力をその手中に収めるようになっていたのです。
テンプル騎士団は、国家相手ではありませんが欧州の各王家を相手に貸付をも行っていたのです。テンプル騎士団が国際金融業務を行っていた土地に、中央銀行イングランド銀行が設立されているのです。数奇というべきか、必然と言うべきか因縁の糸が深く繋がっているのです。
テンプル騎士団には様々な噂がついて回っていました。その最たるものが「エルサレムの神殿でとてつもない秘宝を手にしたらしい。その秘宝には秘密文書があり王家の血流にも関わるもののようだ。」との噂であり、この噂は事実だったのです。
戦闘集団で海賊と銀行業を業務として、王家の血流とそれにまつわる秘宝秘密文書等を手にして守護する集団がテンプル騎士団です。「黒い貴族」とピッタリと重なっても来ます。
既に指摘していますように、「黒い貴族」は2つの系統があるように見えます。
一つは「黒い貴族」の源流たるカナン族です。カナン族は海賊集団であり金融業を生業としていたのです。業務はテンプル騎士団と同じです。
「黒い貴族」のもう一つの系統は「王家の血流」です。テンプル騎士団が守護していたのが「王家の血流」です。こちらの系統もテンプル騎士団に重なります。そもそもテンプル騎士団は、十字軍遠征に伴い設立されており、一方、十字軍遠征のプロデューサーが「黒い貴族」とされているので、テンプル騎士団と黒い貴族が無関係であるはずがないのです。
さて、隆盛を極めたテンプル騎士団ですが、歴史の表舞台から突如その姿が消えます。フランス全土で団長ジャック・ド・モレーを始め団員が一斉逮捕されたのです。この出来事が起きたとされる日付は1307年10月13日、その曜日は金曜日です。
RT @NotableHistory Oct 13, 1307 – Knights Templar in France are simultaneously arrested by agents of Phillip the Fair pic.twitter.com/9UE9AWynQ2
— Maxime Duprez (@maximaxoo) 2015年10月14日
消えたテンプル騎士団の行方 ~海賊となった騎士団員
ジャック・ド・モレーを始め、逮捕された団員は拷問を受け処刑されます。しかし逮捕を逃れ生き残った多くの団員もいます。表舞台から正式組織の姿が消えたとは言え、テンプル騎士団が消滅したわけではありません。彼らの保持していた金銀の財宝も秘宝も取り上げられたわけではないのです。テンプル騎士団はその名称を、形を、活動を変えて存続していきました。現在も存続しています。どうなったか?
「ヘブライの館」のこの記事は短いながら極めて重要であり、以下のことが明かされています。
①テンプル騎士団(そのかなりの数の勢力)はポルトガルを本拠にする「キリスト騎士団」へと移行した。
②その騎士団の総長には航海王エンリケ王子が就任した。
③騎士団の高級幹部にはヴァスコ・ダ・ガマもいた。
④クリストファー・コロンブスは少なくとも騎士団員と血縁関係にあった。
⑤フランシスコ・ザビエル、つまりイエズス会と騎士団は連携関係にあった。
①から⑤までどの項目も重要ですが、②について、ポルトガル王国の王子エンリケこそが大航海時代の幕を開けた人物です。その彼が名称を変えたテンプル騎士団の総長だったのです。つまり、テンプル騎士団が大航海時代の幕を開け、その中に団員たちは(冒険者探検家とも言いますが)海賊として身を投じていったのです。
③の騎士団高級幹部ヴァスコ・ダ・ガマですが、彼の名で検索してみればすぐに分かります。彼は「インド航路」を開いたと同時に、砲艦外交の先駆けの人物であったことに。
第1回の航海で、ガマは西洋と東洋の圧倒的な文化程度の差と貧富の差を思い知らされます。西洋は東洋に比べ全く文化水準が低く貧しかったのです。西洋が勝るのは兵器軍事力でした。東洋との交易には大砲が必要不可欠だと痛感していた彼は、艦隊を率いて第2回の航海に向かったのです。兵力暴力でねじ伏せ略奪する植民地支配スタイル、インドから徹底的な収奪を行った東インド会社の先鞭をつけたのがテンプル騎士団幹部の彼です。
④の一般にアメリカ大陸の最初の発見者とされるコロンブス、数々の物証から彼もまた間違いなくテンプル騎士団の一人です。そして、これも彼の名で検索されればすぐ分かりますが、コロンブスの異常な暴力性と残虐さは、後輩のガマを大きく凌いでいました。
Illustrations:
— Native American Photos (@NativeAmPhotos) 2018年7月20日
Christopher Columbus' hunting dogs feeding on Indigenous people.
Spanish conquistadors cutting off hands and noses of Arawak Indians. pic.twitter.com/2gpbTVsnv8
左:先住民を餌にしているクリストファー・コロンブスの狩猟犬
右:アラワクインディアンの手と鼻を切断するスペインの征服者
右:アラワクインディアンの手と鼻を切断するスペインの征服者
彼の行動が事実を示します。到達した新世界、彼にはその現地にあるもの全てが略奪の対象であり、現地先住の人々は殺戮と強姦そして奴隷の対象だったのです。残虐行為こそが彼の悦びであった事は明白で、その点から彼が悪魔崇拝者であっただろうことは容易に察せます。
このコロンブスがテンプル騎士団です。テンプル騎士団がアメリカ大陸に事実として上陸したのです。ただし、同じテンプル騎士団ながら、コロンブスとは全く性格の異なる先輩も、その遙か以前にアメリカに向かっていました。その名はヘンリー・シンクレアです。
一方、英王室はスチュアート朝がオレンジ家に乗っ取られます。(その後英王室はハノーヴァー朝、つまりゲルフ家へと移行)。結果、英国は世界戦略を展開する「黒い貴族」の一大拠点へと化したのでした。ただし、世界支配をもくろむ「黒い貴族」の食指の先は、当然ながら英国だけではなかったのです。当時は、新世界であったアメリカへもその食指を伸ばしてもいたのです。
アメリカの独立戦争自体は、近代における非常に重要な事項です。かつ、ユダヤ問題が大きく絡むので、今回からしばらく「外伝」では米国に関わる事項を見ていきたいと思います。
ただし、内容的に「外伝」で扱うには、これまでの「近・現代編」での記述では全く資料が不足しているので、大まかな「見立て」だけになるのをご了承下さい。歴史的に「近・現代編」では全く納まらない性格のものとなるからです。
さて実は、新世界アメリカに向かったのは「黒い貴族」だけではありませんでした。「黒い貴族」と重なる密接な関係ながら、イコールでは括れない者たちがアメリカに向かっていました。「テンプル騎士団」です。