現地の人が語るカストロという人物
実は、気になってることがあるんだ。
なになに、食欲の秋でお腹が出てきた?
ちゃうわ!
前回の、BAPPA SHOTA氏が言ってた話…。
前回と言うと、キューバの動画?
そう、気になるのは、
この動画の5:17〜 だ。
「ぼくは、キューバに来る前、キューバ人にとって、キューバ革命をおこし、真の独立を勝ち取ったカストロやチェ・ゲバラは、英雄的な存在だと思ってたんですけど、今回、いろんなキューバ人と話してみて、その意見とは違う意見が多かった。(中略)... ぼくの、今回話したキューバ人の中に、カストロを好む者は誰一人としていなかった、というのが現実です。カストロがキューバ革命を起こしたのも、ぜーんぶ彼自身のため、彼に関係のある人のためのもの。カストロの方向性、意見に反する多くのキューバ人は、彼によって逮捕されたり、殺されたり。政権を取ってから、自分たち政府上層部だけが、裕福な生活をできるシステムを作ったと。カストロは、プライベート・アイランドを所有し、豪遊してたっていう話も聞きました。そういった理由で、チェ・ゲバラとも、方向性の違いから喧嘩別れしたっていうのも、現地の人は話していました。」
カストロは今でも、キューバ国民から愛されていると思ってたのに。
もしかすると、SHOTA氏が会ったキューバ人が、たまたま全員カストロぎらいだった?
だが、カストロが命を張ったキューバ革命も、自分や身内のため? プライベート・アイランドを持ってた? ぜんぜん、カストロのイメージに合ってねえし。
でも、現地の人が言うんだから、ぼくたちが知らないだけかも。カストロさんも、キューバのビバリーヒルズに住んでたかもしれないよ。
ストイックで自分に厳しいカストロ
ちゃうちゃう〜、
カストロが住んでた家は、警備こそ厳しいが、「普通の住宅」だった。それに着ているものだって、いつも軍服だったし。(
BUZZFEED)
たしかに、ストイックで自分に厳しいイメージだよね。
そうだ、
自分が賛美されたり、美化されるのを極端に嫌い、自分の顔がプリントされたTシャツでさえ、許せなかったヤツだ。公の場所に自分の銅像を建てる話も、法律で禁じたぐらいだ。(
Wiki)
同じ社会主義の、レーニンやスターリンとはずいぶん違う。
レーニンの銅像
アメリカの世界長者番付、君主・独裁者部門7位にランクインした時も、カストロは激怒した。「もし誰かが、私の口座が国外にあって1ドルでも預けてあると証明するなら、私は議長を辞める」。(
Wiki)
へえ、フェイクニュースだったの?
それに、
カストロとチェ・ゲバラの喧嘩別れも、ウィキペディアに書いてあるのと違う。
なんて、書いてあるの?
キューバ危機の時、ソ連が核ミサイルを撤去する条件はなんだった?
アメリカがキューバを攻撃しないこと、だよね。
実は、ソ連のトップだった
フルシチョフは、アメリカにそれ以外の条件も飲ませていたんだ。
ニキータ・フルシチョフ
へえ、はじめて聞いたよ。
ソ連が煙たがっていた、トルコのジュピターミサイルも撤去するのを条件に入れていた、カストロに内緒で。
ジュピターミサイルと支援機材
内緒で?
カストロはフルシチョフに不信感を抱いた。おそらく、そばにいたチェ・ゲバラも同じだったろう。なのにカストロは、「プラハの春(1968年)」で、チェコスロバキアにソ連軍を侵攻させたフルシチョフに理解を示した。「このようなソビエトへの態度が、チェ・ゲバラとの決別の大きな要因になった」 とある。(
Wiki)
プラハにて、ソ連軍の戦車が燃え上がる様子
「平等な社会」を作りたかったカストロ
なるほど、カストロさんの贅沢三昧が原因じゃなかったのか。でも、カストロさんはやっぱコワい人だよ。
キューバ革命で、バティスタ政権を倒して首相になった後、まっ先にやったことが、「バティスタ派に対する簡易裁判を行い、即時に600人を処刑した。(
Wiki)」って、コワくない?
フルヘンシオ・バティスタ大統領
600人?!
カストロさん自身も、「自分は地獄に落ちる」と言ってる。「資本家どもとともに私は地獄に落ち、マルクスやエンゲルス、レーニンに会いまみえるであろう。地獄の熱さなど、実現することのない理想を持ち続けた苦痛に比べればなんでもない。」(
BUZZFEED)
たしかに殺しすぎだし、民衆の反発も大きそうだ。
そういう反対派をアメリカは、カストロ政権打倒のために利用している。その一例が、亡命キューバ人で構成される「
キューバ系アメリカ人財団(CANF) 」。このNPO、「アメリカ政府の外交政策の一環として誕生した」そうだよ。
カストロ、もちっと過激じゃないやり方はなかったんか?
政権の座についてからも、キューバ国民に「絶対服従」を求めたそうだよ。「革命政権の理念は『革命に追随するのものはすべて許し、革命に反するものは何も許さない』だった(
BUZZFEED)」。コワくない?
それでも国民は、カストロに全幅の信頼をおいたんだろ?「キューバの人々は、自分たちの善意や信条、判断をフィデル・カストロに委ねました」「それは非常に大きな政治的資本となりました。それで彼は権力を集中できたのです」。(
HUFFPOST)
不満分子はすべて弾圧、粛清、亡命でいなくなったからね。キューバに亡命した人がこう言ってるよ。「わたしたちは彼に従いました。みんなだまされていました」。(
HUFFPOST)
あちゃー。もしかしたら、国内より国外の評価の方が高いかもな。ロンドン市長だった政治家は、アメリカから不法な経済制裁を受け続けたにもかかわらず、国民に最高の医療制度とすばらしい教育をもたらしたカストロは偉大だ、と言っている。(
HUFFPOST)
一方は「アメリカに立ち向かい、社会主義の理想のために戦った英雄」ともてはやし、もう一方は「無慈悲の独裁者」と見る。まさに「フィデル・カストロは生涯を通して評価が分かれる人物だった」。(
HUFFPOST)
ただ言えるのは、
カストロは「平等な社会」を作りたかったんだ。だがそれは「茨の道」だった。彼自身も話している。「先人たちの多くが夢見たような社会を作りたかったんです。とりわけ、イエス、・キリストが望んだような、ね。彼の受けた試練を見てください。彼は間違って非難され、苦しめられ、中傷され、貼り付けにされました。」(
YouTube 7:00)
自分をキリストにたとえている。
ああ、実際、キューバの救世主だからな。キリストは革命未遂で殺されたが、大変なのは革命が終わった後だ。カストロはキリストよりも苦労したんだよ。
「平等な社会」を作るために、カストロさんはどんな政治をしたの?
アメリカの「不公正」に対抗し、常に「社会的公正」を追求した。(
日本の科学者)
「社会的公正」って、なに?
「社会的公正(Social Justice)」とは、国民の「誰一人として見捨てない」こと。(
日本の科学者)
かっこいい!
「誰一人として見捨てない」と言っても、怪しげなSDGsの「一人も取りこぼさない」じゃないぞ。あれは「誰一人、デジタル監視の網から逃さない」だからな。
そんなのわかってるよ。じゃあ、日本政府は?
「誰一人、失われようとも無反応」。原発事故も、能登地震の対応も、レプリコンワクチンも、国民はどうでもなれ、って感じだ。
はあ〜。
キューバで、「誰一人として見捨てない」を実践することは、めちゃくちゃ大変だった。キューバの食料自給率は 30%、エネルギー自給率 60%、わずかな軽工業以外、工業生産力がほとんどなくて、課題が山積み。
日本だって食料自給率は 30%以下だし、エネルギー自給率も太陽光を除けばゼロだからね。工業生産力だってほとんど海外に移転してるし。せめて、「誰一人として見捨てない」を実践してもらいたいよ。
だが、「誰一人として見捨てない」を実践するのは、「言うは易し、行うは難し」「聞くも涙、語るも涙」の苦難の連続だった。だって、カネがいるのよ。なのにキューバには、カネがないのよ、アメリカのせいで。
はあ〜、アメリカめ〜。
とにかく、
緊急課題はモノ不足、特に食料。少ない食料を「誰一人として見捨てない」ように分配するにどうしたらいいか? 答えは「ボデガ(配給所)」だった。
配給制度だね。日本でも戦中戦後にやってた。
そうだ。
配給制によって、 主食のコメや砂糖、塩。日用品の石鹸や嗜好品のコーヒー、タバコなどが、各家庭に配られる「リブレタ(配給手帳)」で割り振られる。それを「ボデガ(配給所)」に持っていけば、タダか、市場より安い値段で買うことができる。(
日本の科学者)
SHOTAさんの動画にもあったね。でも、「ボデガ」にはお米と砂糖しかなくて、赤ちゃんのいるお母さんは、闇市で粉ミルクを買ってたよ。
実際に、配給制では国民のカロリーの60%しか、まかなえない。それによって、体調を崩す者が増えたが、医薬品も設備も足りない。本当は、食料の配給を増やせばすむことだが、それはできない。
そこでカストロは考えた、治療医療より予防医療を目指そう。
賢い! それが、一番経済的で、国民の体にも負担がない。
さらに、医師を増やした。医師を増やしたことで、医師の海外派遣が、キューバの重要な収入源になった。
そう言えば、石油とのバーターで、ベネズエラに医師を派遣していたね。
キューバ政府の本音は、キューバで生産した工業製品を輸出したかった。だが、技術者がみんな亡命して、いなくなっちまった。
医師の派遣も、苦肉の策だったんだね。
苦難の道を歩み続けるキューバ
そうやって
あれこれ試して、結局、ソ連のまねをすることにした。それで、なんとかやっていたのが、頼りのソ連も1991年に崩壊し、再びキューバに厳しい時代がやってくる。
ソ連の崩壊後、ソ連構成国はみんな自由主義になったよね。なんで、キューバはならなかったの?
社会主義を棄てて自由主義を選ぶことは、キューバにはできなかった。自分たちが推進してきた「社会的公正」を棄てることは、アメリカの「社会的不公正」を肯定することになるからな。(
日本の科学者)
なるほど、アメリカみたいにはなりたくはない、と。
1992年、アメリカのさらなる対キューバ禁輸措置が出された。キューバを援助した国に対して、アメリカの援助を打ち切る。キューバに食料と医薬品を輸出していた、アメリカ子会社との貿易も禁止する。これが、迷えるキューバに決定打を与えた。(
Wiki)
食料と医薬品が入らなくなると、困るよね。
キューバは自由主義、資本主義に転換しないと決断した。それによって、キューバの自由化を期待していたキューバ国民は、失望してキューバを捨てた。
あ〜あ、また人口が減ってしまう。
1993年、そんな圧力の中、キューバは政策を変えた。①自営業をもっと認可する。②採算がとれない大規模国営農場を協同組合農場(UBPC)に分割して独立採算化する。③農産物の自由市場を再開。④外貨・兌換ペソ(CUC)による二重通貨制度。⑤外資導入促進などを実施した。これらによって1994年、キューバの GDP 成長率はプラスに転じた。(
日本の科学者)
やったー!
さらに、世界情勢もキューバを後押しする。
1997年に始まったアジア通貨危機を契機に、世界はアメリカのヤクザ性に気づき始め、アメリカ従属を断ち切って、アメリカの経済制裁に耐え抜き、独自の「社会的公正」を追求するキューバに注目するようになった。
そうだ、キューバは世界のお手本になってくれ。
しかし、キューバが、
「誰一人取り残さない」「社会的公正」を維持する難しさを思い知らされたのが、外貨の流入だ。それによって格差が生まれ、金持ちが増える一方、貧乏人は貧しいまま。不満をもつ低所得者による、軽犯罪や不正も増えていった。
「みんな等しく貧しい」平和な時代は、終わってしまうのか。
2008年、この状況を嘆きながら、カストロは政界を引退した。
悔しかっただろうね。
弟のラウル・カストロが政権を引き継いでから、リーマンショック、ベネズエラの経済悪化、観光客の減少など、再びキューバは荒波にもまれたが、ラウルは規制を緩和して、臨機応変に対応した。
ラウル・カストロ
変革してキューバは安定したのかな。
いや、何をやっても、
依然として歳入が足りない。その結果、設備投資が縮小され、インフラ整備が間に合わず、停電や断水などがしょっちゅう起きている。
う〜ん、それなら、1%の富裕層から、バンバン税金を取ればいいじゃん。
きっと、それをやったら、富裕層は国外に逃げるだろう。カネを落とすやつがいなくなって、もっと貧しくなっちまう。
はあ〜、カストロさんの理想、「誰一人として見捨てない国、キューバ」は、これからどうなるんだろう?
アメリカがいなくなった後、に期待だな。
キューバが世界のリーダーになる日は来るのか?
Writer
白木 るい子(ぴょんぴょん先生)
1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
2014年11月末、クリニック閉院。
現在、豊後高田市で、田舎暮らしをエンジョイしている。
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)
これまで何度も危機をくぐり抜け、そのたびに貧困に耐えてきたキューバにも、1%の富裕層が存在することに驚きました。
キューバをいかにして理想的な国家にするか、という希望に燃えていたカストロ。一方、なんとしてもキューバの繁栄を阻止したいアメリカとの戦いの中で、キューバはいつも財政難でした。キューバの言論統制、反体派に対する迫害には批判もありますが、理想を追い求めたカストロは、やっぱり英雄だと思います。