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ぴょんぴょんの「『世界史の原理』より(2)」 ~シベリア抑留者60万人はソ連が一方的に拉致したのではなく、大本営の承認のもと、ソ連側に「引き渡された」
ソ連が満州に侵攻してきた大義名分
プーチンさんの日本へのメッセージ、読んで泣いちゃったよ。「日本は我々の当然のパートナーです。我々は隣同士ですからね。…ロシアは日本が好きなのです。日本の文化が大好きで、日本料理も大好きです。我々は何も破壊していません。自身の為の結論を見出してください。」(時事ブログ)
だが、ソ連が終戦直前の満州に侵攻してきたことを、日本人は今だに根に持ってるからなあ。おれの母ちゃんなんか「ソ連コワい教」の熱心な信者で、ちっちゃい頃から洗脳してくれたよ。「日本との約束を破ったソ連軍が満州に攻め込んで、たくさんの人がシベリアに連れて行かれて死んだのよ」ってな。それを信じて、ロシアはソ連と同じでコワい、KGB出身のプーチンは「悪魔」だと信じて疑わなかった。
それに、ソ連には「ヤルタ会談の密約」という大義名分があった。1945年2月のヤルタ会談で、ソ連のスターリンは、対日参戦の時期を打診し、参戦の見返りを要求した。それに対して、アメリカのフランクリン・デラノ・ルーズヴェルト(FDR)とイギリスのチャーチルが合意したことで、「密約」が成立した。
理由の一つは、1941年4月に調印された「日ソ中立条約」。これには、5年間の中立が定められていた。つまりソ連は、法律上、1946年4月まで日本と戦争することはできなかった。(誰が第二次世界大戦を起こしたのか199p)
大本営はソ連が満州に侵攻するのを知っていた
ああ、ロシアと日本が仲良くなっちゃ困るからな。だが、「密約を知らなかった日本」というのは違う。茂木先生「あのシベリア抑留問題っていうのは何か僕らはね、突然攻め込まれて、だまし討ち受けて逃げ遅れて捕まっちゃったというふうに教わってます。違うんですよ。日本陸軍のトップがもうソ連とツーカーになっていた話があったんですよ。そういうふうな資料いっぱいありますよ。」(akm48)
小野寺は、随所で大本営に適切な情報を送っていた。たとえば、日米開戦の直前にソ連に侵攻したドイツ軍が、苦戦していることを知らせたのも小野寺。この情報に従っていたら、日本軍はアメリカと戦争せず、満州の守りを固くしたかもしれない。
そうなるのを一番恐れていたのがソ連だ。茂木「日本とドイツに東西から挟撃されることを恐れたスターリンは、ゾルゲ機関を通じて日本政府の動向を探り、日本を対ソ戦ではなく対中戦、対米戦へと誘導したのです。(世界史の原理354p) 」
日本人嫌いで共産主義者だったルーズヴェルト
FDRの日本人ぎらいは度を越していて、こんなことを言ったそうだ。「インド人やアジア人種を白人と交配させれば、彼らの文明は進歩するが、日本人は白人と交配しても文明は進歩しない」「日本人の頭蓋骨は白人のものより約2000年、発達が遅れている」。(世界史の原理313p)
こうなった原因は、FDRの母親にあったと思われる。フランクリン・デラノ・ルーズヴェルトのミドルネーム「デラノ」は母方の姓で、「デラノ家はアヘン戦争の少し前に広州に渡り、トルコ産アヘンの密輸と苦力(クーリー:中国人労働者)の輸出で利益を得ていたラッセル商会の取締役でした。(増補版「戦争と平和」の世界史 330p)」
そのとおり。「1917年にソビエトが成立してからFDRが政権につくまで、4人の大統領(中略)...と6人の国務長官がいた。誰一人としてソビエトを国家承認しようとしなかった。(誰が第二次世界大戦を起こしたのか46〜47p)」
その理由は、教科書的には「市場の拡大と日本・ドイツへの牽制の意味から(世界史の窓)」となっているが、茂木先生は「ソ連を国家承認したのもルーズヴェルトでした。ヤルタ会談でソ連の対日参戦を許したのもルーズヴェルトでした。彼の一貫した容共政策の根底には、『ソ連への憧れ』があったと私は見ています。(世界史の原理317p)」
それは明らかだ。ルーズヴェルトのやったニューディール政策も、「スターリンの5カ年計画」がモデルだった。また、アメリカ国家安全保障局(NSA)が1995年に公開した、ソ連暗号の解読記録「ヴェノナ文書」によれば、ルーズヴェルトは共産主義の共謀者で、政権中枢部にいたスパイや協力者がソ連・コミンテルンと通謀し、日本敵視政策を主導し、アメリカの反日世論を煽っていたと言う。(世界史の原理〜313p)
ソ連有利に働いた共産主義者 瀬島龍三
「日本を共産主義国にしたかった」というのが、茂木・宇山両氏の見解だ。実は日本にもルーズヴェルトのように、ソ連有利に働いた共産主義者がいた。小野寺氏の情報を握りつぶした瀬島龍三。前にここで話したことがある。
いやいや、ホントに優秀だったのよ。「瀬島は陸大51期を主席で卒業し、大本営作戦課に配属されました。大東亜戦争の作戦参謀として、マレー作戦、ガダルカナル撤収作戦、インパール作戦、台湾沖航空戦、本土決戦、対ソ防衛戦の立案に関わったのが、この瀬島です。(増補版「戦争と平和」の世界史396p)」
それだけじゃない、1944年10月の台湾沖航空戦の大本営発表は、「アメリカの空母11隻撃沈、戦艦2隻撃沈、巡洋艦3隻撃沈」だったが、実際は「空母2隻、巡洋艦2隻に軽い損害を与えただけ」。その戦果が水増しだと訴えた電報も、瀬島は握りつぶした。そして、この偽情報をもとに立案したレイテ海戦によって、日本の連合艦隊は壊滅し、フィリピンに取り残された日本兵を餓死させることになった。(戦争と平和の世界史 397p)
しかも終戦間際に、「ソ連の対日参戦を知らなかったのではなく、知っていてその情報を握りつぶし、ソ連に仲介役を求める和平交渉を続けていたのです。まるでソ連軍に対日参戦の準備期間を与えるかのような、奇怪な行動です。(増補版「戦争と平和」の世界史392p)」
そして、瀬島の部下、種村佐孝(さこう)大佐が作成した「今後の対ソ施策に対する意見(1945年4月)」には、こうある。「対米英戦を遂行するためには、日ソ戦を回避する。そのためには、ソ連の言いなりになって目をつむる」。(世界史の原理361p)
さらに、満州、樺太、千島列島をソ連に割譲し、中国の占領地も、毛沢東政権にすべて明け渡すと言う。(世界史の原理361p)茂木先生「中国から撤退できずにハル・ノートをつきつけられて対米戦争を始めたはずなのに、『対米英戦の完遂のため、支那の占領地を毛沢東に明け渡す』というのです。(増補版「戦争と平和」の世界史399p)」
だろ? 茂木先生「このタイミングで瀬島は大本営作戦課を離れ、関東軍参謀の肩書きで満州へ渡ります。その直後にソ連軍が満州へ侵攻する(1945年8月9日)と関東軍は総崩れとなり、停戦交渉にあたったのが瀬島でした。(世界史の原理362p)」
茂木先生「つまりシベリア抑留者60万人はソ連が一方的に拉致したのではなく、大本営の承認のもと、ソ連側に『引き渡された』ことになります。大本営はソ連の対日参戦を知りながら、むしろ積極的にこれを受け入れたのです。(世界史の原理362p)」
その後、瀬島ら将校は、ソ連軍の捕虜になってシベリアに連れて行かれ、スパイ教育されたが、瀬島は特別待遇だったそうだ。日本に帰っても、裁かれることもなく、伊藤忠の会長に収まり93歳まで長生きした。笹川陽平氏は言う、「昭和史のいくつかの重要な疑問点について、瀬島氏は沈黙を守られた。そして、その沈黙は永遠のものとなってしまった。(笹川陽平ブログ)」
「共産主義化」は将来のニューワールドオーダーの実験にすぎなかった
そう、グルだったと思う。前の大統領フーバーは、ルーズヴェルトが日米戦争を望んだ理由を、「ソ連の要望を満たし、共産主義を実現するため」だったと言う(世界史の原理314p)。茂木先生も「そもそも日本を泥沼の戦争に引きずり込んだ『昭和維新』の思想とは、天皇をいただく国家社会主義(中略)...であり、そのモデルはソ連型社会主義でした。(中略)...彼らは日本が敗北し、ソ連軍に『開放』されることが『昭和維新』の近道だと信じていたのです。(増補版「戦争と平和」の世界史407p〜408p)」
つまり、どちらも、日本の共産化を目指してたと言うんだね。でも、第二次世界大戦には、もっと深い秘密があったよね。「1921年に裕仁親王が欧州外遊し『国家間条約』が締結されています。日本、英国、仏国、米国による第2次世界大戦のあらましがここで合意。而もその裏には裏天皇・堀川辰吉郎、ウォルター・ロスチャイルド、エドゥアール・ド・ロチルド、ジョン・ロックフェラーの合意があったことが明かされています。」(ユダヤ問題のポイント)
そう、「いわゆる大東亜戦争の真の目的は、裏天皇の堀川辰吉郎のために莫大な金銀財宝を略奪することで」、それは「日本中心(地域としては満洲でしょう)のNWOを実現させるためのもの」だったらしい。(ユダヤ問題のポイント)
著者の茂木先生と宇山先生によると、日本を共産化するために日本・アメリカ・ソ連の共産主義者らが手を組んだのが、日米戦争だったということです。
(参考:渡辺惣樹著「誰が第二次世界大戦を起こしたのか? フーバー大統領『裏切られた自由』を読み解く」、茂木誠著「増補版『戦争と平和』の世界史」)