ぴょんぴょんの「瀬島龍三さん」 ~重要情報を何度も握りつぶして、いっぱい迷惑かけた人

先日、サハリン2について調べていたら、
「伊藤忠はサハリン1に出資している、伊藤忠と言えば瀬島龍三。」
というような、ツイートを見かけました。
「瀬島龍三」?ということで、調べてみると、
「おいおい!!」な、お方でした。
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「瀬島龍三さん」 ~重要情報を何度も握りつぶして、いっぱい迷惑かけた人

ことごとく作戦失敗するのになぜか罷免もされない瀬島龍三


ねえねえ、あべぴょんの国葬、どう思う?

どうもこうもねえ、こいつと同じ意見だよ。


瀬島龍三? だれ? 
あべぴょんに匹敵するくらいの、困ったちゃん?

いや、もしかすると、あべぴょん以上か?

でも、名前も聞いたことないなあ。
どんな人?

いま風に言やあ、「エグい」っつうか?

へえ、どんなふうに「エグい」のか、知りたいねえ。

ウィキペディア的には、
瀬島龍三、せじま りゅうぞう(1911年〜2007年)。
大東亜戦争のほぼ全期間を、大本営陸軍参謀として戦争の立案・遂行の中枢にいた、帝国陸軍のエリート中のエリート。敗戦を満州で迎え、ソ連軍の捕虜としてシベリアに11年間抑留された後、1956年釈放され帰国し、1958年以降伊藤忠商事に勤務し、最終的に伊藤忠の会長として頂点を極めた。その間、政界・財界に広く深く人脈を培い、退職後は中曽根康弘元首相の顧問などに就任し、「日本のブレーン」「昭和の参謀」などと呼ばれた。

hojorohnin’s diary)(Wiki

陸士本科卒業時の瀬島龍三
Author:Rikushi44-2[CC BY-SA]

うわあ、中曽根さんとお友だち?
「エグい」の意味が、ちょっとわかる。

茂木誠氏は、瀬島についてこう語っている。
「ガダルカナル以降ですね、沖縄戦まで全部の作成(作戦)にかかわっています。
で、ことごとく失敗しているんですよ。
ことごとく失敗するのになぜか罷免もされずにですね、
その大本営作戦課に居座り続けるんですよ。」

akm48

ほお、ふしぎだ。


日本人のソ連に対する偏見の責任は「瀬島龍三」にある


茂木「彼はですね、戦争が負けた段階で満州にいたんですよ。
満州にいて攻め込んでくるソ連軍との和平交渉に当たったんですよ。
(中略)...とにかく関東軍は全部引くと、で、満州はソ連に明け渡すと、それどころか満州に日本の開拓民がいますね。その開拓民をソビエトに委ねると、労働力として使ってくださいと。そういう交渉をソ連の極東軍司令官とやってですね。
akm48

ヤ・・ヤバすぎ!!

茂木「つまり、あのシベリア抑留問題っていうのは何か僕らはね、突然攻め込まれて、だまし討ち受けて逃げ遅れて捕まっちゃったというふうに教わってます。違うんですよ。
日本陸軍のトップがもうソ連とツーカーになっていた話があったんですよ。そういうふうな資料いっぱいありますよ。
akm48

ナホトカにあった日本人シベリア抑留者用収容所
Wikimedia_Commons[Public Domain]


ちょっと!!
陸軍のトップがソ連とツーカーになってたって、ホント?
それこそ今、「ロシア=悪」にだまされている日本人に知らせたいよ。
「ロシアはコワい、満州に攻め込んだソ連は悪だ」って信じてるよ。

まずもって、ロシアはソ連と違うことを、わかってくれよ。
だがそれよりも、日本人のソ連に対する偏見の責任が、この「瀬島龍三」にあると言っていい。

なんだって〜?!

ドイツの敗北が目に見えてきた1945年、日本とドイツに挟まれる恐れがなくなったソ連にとって、日ソ中立条約は無用の長物になっていた。
そこで、米英ソの首脳が黒海の保養地ヤルタに集まり、「ドイツ降伏後、3カ月以内にソ連が日ソ中立条約を破棄して日本と開戦する」と、密約したんだ。
WEB Voice

ヤルタ会談に臨む米英ソの首脳
Wikimedia_Commons[Public Domain]

やっぱ、ソ連は裏切りものじゃん。

だが、そのことを日本の上層部は知ってたんよ。

なぬ?!

教科書的には、ヤルタ密約は「極秘扱い」で、1945年8月9日からのソ連の満洲侵攻は、日本にとって「寝耳に水だった」・・・ことになっている。
しかし、小野寺信(まこと)という情報将校が、あるスジから「ドイツ降伏の3か月後、8月8日以降にソ連は対日参戦してくる」という極秘情報を手に入れ、即、東京の参謀本部に打電していたんだ。WEB Voice

小野寺信 さん、めっちゃ、お手柄じゃん!
なのに、いったいどうして?

電報を受け取った参謀本部が、小野寺の送った暗号電報を握りつぶしてしまった。
「小野寺信の電報を無視した参謀本部の責任者が瀬島龍三だったと言われている。」akm48

なんだって!!

ドイツが降伏して3ヶ月間、ソ連は着々と戦争の準備をしていたのに、日本の大本営はそれを知りながら、何の手も打たなかった。

ひどい、ひどすぎる!
そうか、だから、ソ連の侵攻時、関東軍のトップと家族はトンズラしてたんだね。民間人や一般兵は、ソ連兵にひどい目に合わされたのに。
なんで、なんで、そんな大事な情報を握りつぶしたんだろう?

ロシアと交渉したのは、瀬島だったから。
「満州はソ連に明け渡すと、それどころか満州に日本の開拓民がいますね。その開拓民をソビエトに委ねると、労働力として使ってくださいと。」
akm48

うわああ!! 発狂しそうだよ!


瀬島の電報握りつぶし事件


なんか知らんが、こいつのやったことは、ことごとく日本にとって大きな迷惑だった。たとえば、日米開戦の時も・・・。

開戦のときも、この人、いたの?

ああ、こいつが開戦を後押ししたと言ってもいい。
旧日本軍は、日米開戦の直前にルーズベルトが天皇にあてた親電が、天皇の手に渡るのを遅らせたと言われていたが、そのことを明確に裏付ける資料が見つかった。
旧陸軍参謀本部作戦課の瀬島龍三少佐(当時)の関与を示唆した文書が見つかったのは初めて。親電の一時差し止めが最後通告の遅れにつながった可能性を指摘する専門家もおり、通告の遅れをめぐる論議に一石を投じることになりそうだ。」
Akm48

瀬島が、天皇への親電を渡すのが遅らせた?
もしかしたら、真珠湾攻撃を止められていたかもしれないんだね?

炎上する真珠湾上空を飛行する九七式艦上攻撃機
Wikipedia[Public Domain]

そうだったら、どんなに良かったことか・・・。

瀬島という人は、人間の命をどう考えていたんだろう?

瀬島はずっと、参謀本部詰めだった。
当然、一度も戦場の弾の下をくぐったこともないし、酷寒や炎熱の下で死と対決するような苦労もしたことはなく、兵隊は将棋のコマにすぎないと考えていたんだろう。
akm48

今のウクライナもそうだね。
前線で戦う苦労を知らないヤツらが上にいて、多くの人を死なせているよね。

だから、戦争なんか、おっぱじめたらアカンのよ。
ところで、瀬島の電報握りつぶし事件は、まだある。

もしかして、握りつぶすのが趣味?

敗戦の色濃い1944年10月頃、台湾・フィリピン沖で、アメリカ軍の飛行機が攻撃を仕掛けて、日本軍と航空戦になった。
海軍はその戦果を「空母19隻、戦艦4隻、巡洋艦7隻、(駆逐艦、巡洋艦を含む)艦種不明15隻撃沈・撃破」と発表した。


米空母に魚雷を投射後、超低空で避退する艦上攻撃機天山
1944年10月14日、空母エセックス(CV-9)艦上より撮影
Wikimedia_Commons[Public Domain]

すごい数の船だね。

だが、疑問を感じた大本営の情報参謀、堀栄三少佐が現地に飛んで聞き取りしたところ、事実は「多くとも二、三隻、それも航空母艦かどうかも疑問」とのことだった。
この「幻の大戦果」は大ウソだったことを、堀少佐はすぐさま大本営に電報で報告した。
ところがだ!


はあ・・またか・・。

「この電報を受け取った瀬島参謀は顔色をかえて手をふるわせ、『いまになってこんなことを言ってきても仕方がないんだ』といって、この電報を丸めるやくず箱に捨ててしまったという。」alm48
その時の瀬島の異常な表情を、作戦課にいた参謀たちは目撃しているそうだ。

ため息・・。

そして、ウソの戦果が正式に発表され、その結果、「幻の大戦果」に浮かれた陸軍は作戦を変更し、アメリカ軍のすさまじい空爆と艦砲に曝され壊滅してしまった。
さらにこれが、沖縄戦の戦力不足の原因にもなった。
alm48

ひどい話だ。
ただでさえ、戦力が激減して、敗戦濃厚なのに、追い打ちをかけるとは。


捕虜となってシベリアに送られた瀬島のその後


ところで、敗戦を満州で迎え、捕虜となってシベリアに送られた瀬島。
その後どうなったのか、知りたくないか?


知りたい。

笹川陽平ブログ」によると、笹川氏は、シベリアに抑留された旧日本兵の親ソ化工作をやっていた、イワン・コワレンコ氏に会って、こんな話を聞いたと言う。
「瀬島はラーゲリ(収容所)では静かで目立たない男であった。ただある時、ラーゲリの集会で演説を始めた。何を話したかは記憶にないが、演説の終わりに、突然、ソビエト共産党万歳、日本共産党万歳と、両手を挙げて大声を発したのには正直いって驚いた。ひょっとしてこの男は対日工作に使えるかもと考えた。」
ラーゲリで瀬島が3年間近く行方不明になったことが、今も日本では謎とされているようだが、話は簡単。ウラジオストック郊外の一軒家に、女中もつけて、ソ連側検事証人として準備をさせていたのだ」と語ったそうだ。
笹川陽平ブログ

女中??

・・ご想像におまかせしますわ。

シベリアに送られたと聞いて、強制労働で死にそうな思いをしたんだと思ったら、スパイ養成所で優雅な暮らしをしてたんだ。

日本でも、瀬島が「ソ連のスパイ」というのは、有名だった。
佐々淳行(さっさあつゆき)氏とは、「浅間山荘事件」で陣頭指揮を取り、警視庁時代に外事・警備課長を歴任し、第三次中曽根内閣が創設した内閣安全保障室の初代室長を務めた人物だ。
彼は、「瀬島龍三はソ連の『協力者』だった」という論文も書いている。

へえ、公認だったのか。

それと言うのも、佐々氏が、警視庁・外事課・ソ連欧米担当だったとき、「ソ連大使館のKGB容疑者を張り込み、尾行し、神社仏閣・公園などで不審接触をした日本人又は外国人を突き止める仕事を毎日毎晩やっていました。そのような作業の過程で、不審接触をした日本人を尾行して突き止めたのが、当事伊藤忠のヒラのサラリーマン、瀬島龍三氏だったのです。外事の連中は当時からみな知ってます」と証言した。(hojorohnin’s diary

在日本ロシア連邦大使館(元ソ連大使館)
Author:Nissy-KITAQ[CC BY-SA]

ほお!

その後、瀬島は伊藤忠の会長になったが、佐々氏が内閣安全保証室長のとき、日米関係を震撼させる事件が発生した。「東芝機械ココム違反事件(1986年)」だ。
東芝機械が、スクリュー加工用の高性能機械などをソ連に不正輸出したことによって、ソ連の原子力潜水艦のスクリュー音が消え、アメリカ軍はソ連の原潜を探知できずに危険にさらされた。
そのことに抗議するため、ワインバーガー国防長官が来日
したくらいだ(1987年)。そして、警視庁の捜査によって浮上したのが、瀬島だった。hojorohnin’s diary

ワインバーガー国防長官
Wikimedia_Commons[Public Domain]

うわあ、やっぱソ連のために働いていたのか。
逮捕されたんだね?

いいや、何のお咎めもなし。

おかしい。

佐々氏は言う。
「瀬島が事件に関わっていたことは限りなく濃厚なのに、なぜ本人のウソが最後まで世の指弾を受けることなく、今日まできてしまったのか、まったくの謎である」と。(hojorohnin’s diary

バックがすごいんだ、きっと。

ソ連のスパイ、と見せかけて実は二重スパイだったかもよ。

ソ連の情報を日本に流していた?

それともひとつ、時の首相が中曽根だったのもあるな。
瀬島は中曽根の大先輩で、おともだちだったから。

中曽根康弘
Wikimedia_Commons[Public Domain]


瀬島は裏天皇の忠実な部下だった


そうゆうことか。
天皇に電報を渡すのを遅らせて、真珠湾攻撃。
「幻の戦果」を隠して、日本軍を大敗に導く。
終戦後、満州へのソ連侵攻を知ってて、握りつぶし。
シベリアの収容所では、スパイ養成所で恵まれた待遇。
日本に帰れば、伊藤忠商事の役員の椅子が用意され、ソ連のスパイをしても、お咎めなし。
そして、中曽根さんのおともだち。
いったい、この人は何者?

帝国陸軍の中枢、大本営すらコントロールする「鉄の密室」と呼ばれるグループと言えば?

もしかして、裏天皇に仕える人だったの?

正解!
「実際のところ、太平洋戦争の主犯は裏天皇組織だと言えます。昭和天皇の戦争責任は表向き全権を掌握していた以上、免れないと思いますが、それ以上に糾弾されるべきは、当時の裏天皇堀川辰吉郎のはずです。アジアにおける残虐行為、金銀財宝の略奪、アヘンの密売などなど、全て裏天皇組織の行ったことです。」
時事ブログ

そうだったのか〜!
それなら、わかるよ。

時事ブログに紹介された記事によると、「日航機123便墜落事故」にも関わったようだ。
「では、こんなこと(日航機123便墜落事故)を仕出かした旧陸軍勢力とはどんな連中なのか? その勢力は瀬島龍三(元陸軍参謀)をはじめ中曽根(当時首相)など。
ところがB氏によれば、旧陸軍勢力の表向きのトップは瀬島龍三や中曽根だが、彼らが本当のトップではない。本当の頂点は『裏天皇』であり、太平洋戦争の頃から、裏天皇が実権を握っているとのこと。」(るいねっと

日航機123便墜落事故の事故機JA8119
Author:Kjell Nilsson[CC BY-SA]

日航機の事故もそうだったのか〜!
結局、瀬島は裏天皇の忠実な部下だったんだね。
でも、裏天皇は、たくさんの人が死ぬことを望んでたのか?
だとしたら、裏天皇って、あまり、いい人じゃないね。

ああ、その当時の裏天皇は、どんなに多くの人命が失われようとかまわない、人の命より、アジアの金銀財宝を集めて大東亜を統一支配することしか考えてなかったんだろう。

映像配信で見たよ。
本来、裏天皇の役割は、国民の幸せを祈る祭祀だって。

おれも、見た。
裏天皇も代が替わり、護衛の八咫烏も改心しようとしている、今後に注目だな。


Writer

ぴょんぴょんDr.

白木 るい子(ぴょんぴょん先生)

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
2014年11月末、クリニック閉院。
現在、豊後高田市で、田舎暮らしをエンジョイしている。
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)

東洋医学セミナー受講者の声

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