ぴょんぴょんの「昔の光、いまいずこ」 ~台湾のTSMC誘致に沸く日本

ローカルニュースで知りました。
2024年、熊本県菊陽(きくよう)町に大きな半導体工場ができるそうです。
そのおかげで、熊本はじめ九州全体が活気づくと言っていました。
世界的に半導体が不足しているのはわかるけど、
日本じゃなくて、台湾の半導体工場ってどういうこと?
日本の半導体はどこ行った?
(ぴょんぴょん)
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ぴょんぴょんの「昔の光、いまいずこ」 ~台湾のTSMC誘致に沸く日本


熊本に誘致される世界的な半導体メーカー「TSMC」の工場


今、熊本が熱い!

だよねえ、でも9月だし、そろそろ涼しくなるよ。

「暑い」じゃねえ!
「熱い」って、言ってんだよ!

まあまあ、そんなアツくならないで・・。

世界的な半導体メーカー「TSMC」の工場が、熊本にできるって言ってんだよ。


うわあ、クレーンがいっぱいだ!
でも、TSMCなんて、聞いたことないよ。

台湾の「台湾積体電路製造(Taiwan Semiconductor Manufacturing Company)」。略してTSMC。
「TSMCは他社が設計した半導体を製造する、台湾の半導体ファウンドリー」。
識学総研

へえ、台湾の企業なんだ、で、ファウンドリーって?

半導体の製造は、設計専門「ファブレス」と製造専門「ファウンドリー」に分業されている。ファウンドリーは、他社が設計した半導体を製造する半導体受託製造会社。

つまり、ムダな経費の節約ってことか。

TSMCは、Appleをはじめ世界中の注文を受けて、半導体を製造してきた。
一流の「ファブレス」から注文を受けるうちに、彼らはどんどん技術力をアップして、今や、最も優れたコンピュータチップを製造する「ファウンドリー」、「世界の半導体受託生産の半分以上を占める『バケモノ』のような企業」と呼ばれるまでに成長した。
識学総研

Author:李 季霖[CC BY-SA]

そんな「バケモノ」が熊本に来るんだね。
これから、どうなるんだろう?

まず、経済効果と人口増加が見込まれている。
工場で働く約1,700人のために、アパートからマンション、スーパー、コンビニ、飲食業にホテルも新設され、その他の国内企業も集まると予測されている。
NetIB-News


世界的に不足している半導体


コロナで景気がボロボロになった九州にとって、久々の明るい話題かもしれない。
でも、こんなでっかい半導体工場、必要なんだろうか?

世界的に、半導体が不足してるからな。

半導体って、そんなにないと困るもの?

ああ、そこにあるパソコンも、スマホも、デジカメも、テレビも、炊飯器も、エアコンも、洗濯機も、冷蔵庫も、みんな半導体が使われている。
外に出れば、自動車も、銀行ATMも、電車も半導体に支えられている。



半導体なしじゃ、暮らして行けないね。

さらに半導体は、武器や防衛装備品にも使われている。
つまり、国防にも関わってくる。

なのに、そんなに大事なものが不足しているのはどうして?

ひとつは、新型コロナによる影響だ。
外出制限で家に閉じ込められた人々は、リモートワーク、オンライン学習、ネット通販、オンラインゲームの利用が増えた。
それにともなって、パソコン、ゲーム機など、電子機器の需要が増えると同時に、半導体の需要も急増し、工場の生産が間に合わなくなった。


なるほど。


一昔前の半導体「28nm」すら作れない日本


パソコンやゲーム機、家電、自動車などに使われている汎用半導体は「28nm」サイズ。
ところが現在は、高速化や効率化が求められ、iPhone用の「5nm」のように、どんどん微細化する傾向にある。

「28nm」は10年前は「最新技術」だったが、今や時代遅れの代物だ。

Author:Maurizio Pesce[CC BY]

ところが、コロナで需要が急増した。

世界の半導体受託生産の半分以上を占めるTSMC。
生産ラインのメインは「7nm」「5nm」で、これからさらに「3nm」「2nm」に移行しようとしていたところ
に、「28nm」が足りない、って言われてもなあ。

へえ、半導体って「2nm」まで、小さくなってるの?

ああ、そこまで小さい半導体はTSMCしか作れないと言われている。
EETimes

TSMCってすごいんだね。

だが、そんなこと自慢しているバヤイじゃなくなった。
世界中から「28nm」の注文が殺到しているんだ。
微細化に舵を切ったTSMCに、10年前の「28nm」生産ラインなんて、どのくらい残されているのか?

つまり、新しい工場が必要なんだ。

そうだ。
だが、近場でコストの安い中国に工場を作ればいいと思っても、それは難しい。

なんで? 中国ともめてるから?

いや、アメリカがうるさいんだよ。
アメリカは、中国で作られた半導体製品に制裁関税をかけている。
それだけじゃない、中国での技術流出防止策の手続きも複雑だ。

そうか、アメリカは、中国に最新技術を盗まれないよう予防線を張ってるからね。

それで、台湾企業は、工場を中国本土から台湾に呼び戻しはじめている。
WiLL Online
だが、台湾で広大な工場を作る土地を探すのはむずかしい。

てことで、熊本に?

そうだ。
このタイミングで、日本政府と経済産業省が、TSMCに工場誘致の声をかけたんだ。

Author:Dick Thomas Johnson[CC BY]

それは、TSMCにとっても、渡りに船だったね。
日本も「28nm」を、自国で生産してもらえるし。

おかげで、「熊本は半導体産業の一大集積地域になる」「(九州は)再び、日本のシリコンアイランドになる」って、盛り上がってるのよ。
くまもと経済

いいことばっかりじゃん。

ところが、そうでもねえんだ。
人材募集もすでに始まっているが、新卒の初任給は28万円、情報通信業の平均より約4~6万円も高い。NetIB-News

それは、すごくいい。

だが、九州の零細中小企業はどうなる?
優秀な人材をぜんぶ持ってかれるぞ。


あ、そうか。

さらに、工場への投資規模は約1兆1,000億円。
うち約4000億円は、国からの支援だ。


4000億円!?
すごいね、これはもう「一大国家プロジェクト」だ。
NetIB-News

だが、これを見ろ。

1分01秒〜 
「4000億円規模で特定企業に助成をする、と。前代未聞であります。」
「日本経済を根底で支える、385万社の中小企業対策費は、年間でわずか1745億円と。その2.3倍にものぼる額をたった一社にポンと出してやるというものになります。」

ここでも、「中小企業はどうでもいい」と言ってるみたいだ。
それでも、日本国内で半導体が作れるのはありがたいんじゃない?

実は、日本の半導体産業にとって一文の得にもならない。
生産するのは、10年前の「最新技術」の「28nm」。

そんなの、いくら作ってくれても、日本はうれしくねえ。
TSMCの持っている「2nm」「3nm」の世界最先端技術がほしいのに。

そっか!  
じゃあ、日本の半導体企業もがんばればいいんだよ。

・・・おめえなあ、日本は一昔前の「28nm」すら作れねえんだぞ。
それ作るために、台湾から企業を呼んでくるんだぞ。

じゃあ、日本の半導体技術はどうなってるの?


日本の花形だった半導体産業


はあ〜、ため息が出るわ。
これから話すことは、聞くも涙、語るも涙の物語だ。
おめえらの年代は知らんだろが、1980年代、日本の半導体は世界一だったんだ。

へえ!!

だが、1990年代以降、急速に弱体化した、いや、させられた。
1986年に日米政府が締結した「日米半導体協定」のせいだ。


「日米半導体協定」?

「ミスター半導体」こと、牧本次生氏の話を参考に、そこに至るまでの日本の半導体産業の歴史を話してやろう。
牧本氏は日立、ソニーで半導体事業をリードし、1996年に「日米半導体協定」を終わらせた功労者でもある。
日経XTECH

「ミスター半導体」!

日本の半導体産業の始まりは、終戦直後(1947年)にさかのぼる。
真空管より遙かに小さく便利な、トランジスタが発明されたことが始まりだ。

トランジスタ
Author:Gleam[CC BY-SA]

へえ、トランジスタも半導体だったのか。

1950年代半ば、日本でトランジスタの工業生産が本格的に始まった。
電子レンジサイズの真空管ラジオから、弁当箱サイズのトランジスタラジオを開発し、それが大ヒット、日本の花形輸出商品になった。
テレビなどの家電もトランジスタで生まれ変わり、半導体製品は日本の独壇場になり、世界を席巻した。


そんな時代があったのか。

一方のアメリカは、半導体を軍事に活用していた。
真空管ミサイルやロケットをトランジスタに変えて、より遠くへ飛ばせるようになった。(金融ファクシミリ新聞

う〜ん・・・
日本は、科学の恩恵を人々が便利になるために使ったのに、アメリカは人を殺す方に使ってたのか。

だが、それが幸いしてアメリカと日本は家電と軍事で住み分けていたので、貿易摩擦は起こらなかった。
ところが、コンピュータが主流になり、コンピュータの半導体メモリ「DRAM」をアメリカに続いて日本も生産するようになったことで、バランスが崩れた。
1981年は「DRAM」で日本がアメリカを抜き、1986年は半導体全体で日本がアメリカを追い抜いた。

DRAM集積回路
Author:ZeptoBars[CC BY]

それは、アメリカが放っておくとは思えないね。

案の定、アメリカはいろいろと難クセをつけてきた
1985年、日米の政府間協議が始まった。
1986年に締結された「日米半導体協定」によると、
「DRAM」の価格は日本企業が決めるな、アメリカが決める、
日本の半導体市場で、外国メーカーの割合を10%から20%に増やせ、
というように「今から振り返ると、その内容はあまりにも不平等だった。」

日経XTECH

政府間協議の始まった1985年と言えば、プラザ合意でアメリカも貿易赤字を減らそうと必死になっていた頃だ。
当然、日本への風当たりが強いよね。

そのとおり、さらに1985年と言えば、日航機墜落事故の年だ。
ときのアメリカ大統領はレーガン、日本の首相は中曽根康弘。
日航機事故で、中曽根は自分たちの秘密がアメリカにもソ連にもバレていたことを知った。

墜落したJA8119の残骸
Wikimedia_Commons[Public Domain]

なんの秘密?

こっそり、日本で原爆を作ってたんだよ。
原爆の材料を日航機に載せてた話は、時事ブログを読んでくれ。

それがバレて、中曽根さんはアメリカの言いなりにせざるをえなかったのか?

その後バブルも手伝って、日本企業は半導体部門のリストラを迫られた。
リストラされた日本の半導体技術者は、韓国のサムスン電子にヘッドハンティングされていった。(YAHOO!ニュース
1996年、日本側の努力もあって、「日米半導体協定」は解消された。
だがその頃には、とっくに日本の半導体産業は絶滅していた。
こうして、日本の花形産業だった半導体産業は、みごとに潰されてしまった。

ああ、なんてことだ。
かつては、日本の花形だった半導体産業。
今では台湾の半導体工場を誘致するって大騒ぎしてるの、なんかみじめな気分。


おれは、今ごろこんなカネかけて、工場作ってるバヤイかって思うがな。

そうだね。
「これだけ広大な土地に工場なんか作るよりも、一面の芋畑にしときゃ良かった」
なんて時代にならないことを祈るよ。


Writer

ぴょんぴょんDr.

白木 るい子(ぴょんぴょん先生)

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
2014年11月末、クリニック閉院。
現在、豊後高田市で、田舎暮らしをエンジョイしている。
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)

東洋医学セミナー受講者の声

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