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ユダヤ問題のポイント ― 特別編(黄金の流出から)3 ― 天海の出自 ―

 徳川三代の参謀役であったのが南光坊天海でした。しかし彼はその出自が不明など謎の人物で、明智光秀と同一視されたり様々な噂の絶えぬ人物です。
 ただし、天海でハッキリしているのは、彼が日本を中心としたハルマゲドン計画の中心人物だったことです。具体的には日月神示を降ろしたのが彼だったのです。
 この天海のことを調査していると思いがけないことが浮き彫りとなってきました。筆頭宮家の伏見宮家と水戸徳川の関係です。
 明治維新の最功労者は最後の将軍徳川慶喜であり、慶喜の出自である水戸徳川が維新に向けた大きな働きをしたことは、本編でこれまで見てきたとおりです。
 一方、伏見宮家については言及しないままでいました。2015/11/16の竹下さん記事で、伏見宮家、そしてその伏見宮家の朝彦親王が明治維新の陰謀の中心にあったとの情報は見ていたのですが、私自身が理解・認識できていなかったのです。「意識にないことはたとえ視界に入っていても見えない」ことの典型です。
 今回、天海が伏見宮家の血流との落合氏の説に触れて調査することで、伏見宮家などのこともようやく認識の対象となってきた次第です。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント ― 特別編(黄金の流出から)3 ― 天海の出自 ―


天海は八咫烏か? 〜天海の事業実績


南光坊天海
Wikimedia Commons [Public Domain]

ご隠居、やはり天海が気になって仕方ありやせん。
明智光秀と同一人物だとの説もありやすが、一体どこの出自で何者だったんで? 徳川三代の参謀役だったのは知ってはいやすが。

そうだね。徳川三代の参謀役だったので、実質、初期の徳川幕府の舵取りをしたのが天海だったと言えるかも知れないね。

だがその天海の出自だが、ウィキペディアの彼の記事を読めば分かるように、天海は自分の出自については秘密にしていた様子が窺える。
だから天海の出自は本当のところはハッキリしない。

ご隠居は天海について、天海がオランダに黄金を流出させていないとしても「八咫烏のトップだった可能性は高い」と語っていやしたが、それはどういうわけで?

ウィキペディアの天海の記事には、家康の死後その祭祀を天海は山王一実神道で祭ることを主張した」とあり、金地院崇伝や本多正純と争った結果、天海の主張が通っている。
またこうもある。「江戸の都市計画にも関わり、陰陽道や風水に基づいた江戸鎮護を構想する」と。

ふーむ、風水は陰陽道の一端でやしたね。そして八咫烏と陰陽道はいわば一体の関係にあった。
それに山王一実神道とかいうのも八咫烏と関係が?

そう、天海の記事で山王一実神道をクリックすると「山王神道」の記事になる。
山王一実神道のもとは「山王神道」で、その記事では「比叡山延暦寺で生まれた神道の流派である」とし、概略では「日枝山(比叡山)の山岳信仰、神道、天台宗が融合したのが山王神道である」とする。
そして要は、その山王とは大山咋神(おおやまくいのかみ)としている。現に大山咋神の記事では大山咋神の別名が山王ともある。


えっと、てぇいうことは家康の祭祀は天海が主張した山王一実神道、そのもとは「山王神道」で、これは最澄が始めた大山咋神への信仰を中心した神道になるんでやすね。
大山咋神とはどういう神で?

八幡系の主要な一柱。比叡山の守護神だね。秦氏が祖神として松尾大社で祀っている神でもある。大山咋神の記事では次のようにもある。

『秦氏本系帳』に記載がある丹塗矢の神話によると、上賀茂神社(賀茂別雷神社)の賀茂別雷大神は松尾大社の祭神、すなわち、大山咋神とされるという。

秦氏の祖神? ふーむ、それに賀茂神社といえば八咫烏の本拠だ。
なるほど、天海が山王神道での祭祀を主張していることも陰陽道と併せて八咫烏が重なってきやすね。

そうだね。山王神道とは修験道の一つといえるだろう。修験道といえば役小角で八咫烏と絡んでくる。


ただし、天海の主張した山王一実神道は、もとの山王神道からは結構異端部分もあるようだが。まぁそれは置いておき、天海の出自について落合氏が面白いというか興味深い説を出しているようだ。

豊臣から回収した莫大な黄金を天海がオランダに移したとしている落合氏が?
で、どのような説で?

この参考文献の1つ目に目を通してごらん。

伏見宮から極秘に丹波の郷士安藤家に入った邦茂王(安藤惟実)の息子が天海」?
ん?天海と明智光秀とは同一人物ではない?
それに伏見宮? 伏見宮といえば天皇を輩出する宮家の中でも筆頭の名門では?
それが丹波の郷士安藤家に? そんなことが?
天海の黄金の件もそうでやすが、これは一体本当のことで?

落合史観による天海の系図
編集者註:後で触れる<参考文献2>では、摂津池田氏は楠木正儀の末裔となっていますが、楠木正行の末裔の間違いかもしれません。いずれにしても楠木正成の末裔ということにはなります。

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