「人は負の感情を長く溜め込むことはできません。蓄積されたネガティブな『感情のはけ口』は多くの場合、子どもたちです」
警察庁によると、児童虐待やその疑いがあるとして、昨年1年間で全国の警察から児童相談所に通告された子どもの数は、12万2806人に上った。
前年比6.1%の増加で、統計を取り始めた2004年以降、19年連続で増えている。
約74%が「心理的虐待」で、うち6割は子どもの目の前で家庭内暴力を行う「面前DV」だった。他にも身体的虐待、ネグレクト、性的虐待などがある。
親が自分の子どもを傷つけるのはなぜか? スプートニクは児童虐待問題に詳しい、露ファミリー医療センター「パンゲア」の心理学者、ナデジダ・リャビチキナ氏に話を聞いた。
「まず、昔は体罰がある程度一般的でしたが、今では多くの国で暴力と同じだとみなされています。次に、社会の情報化に伴い、発覚するケースが増えました。かつては家族が 『表に出さないように』していたのに対し、今は助けを求める場所があります。主に思春期の子どもたちが、虐待を訴えることができるようになりました。
虐待の原因は、社会的・心理的なものです。ストレスや失業、家庭内の不和、さらには睡眠不足といった問題は、人々の精神状態に悪影響を与えます。そして、蓄積されたネガティブな感情を家族にぶつけてしまいます。
日本では悩みや愚痴をはっきりと言ったり、感情を露にすることは一般的ではないかもしれませんが、人は負の感情を長く溜め込んでおくことはできません。『感情のはけ口』は多くの場合、子どもたちです。特に反抗期の子どもに親は苛立ち、体罰などで子どもを従わせようとします。これは常時見守りが必要なほど精神的に不安定な人だけの話ではないのです」
ナデジダ・リャビチキナ氏
露ファミリー医療センター「パンゲア」の心理学者
また、社会団体「子どもの権利」の代表であるボリス・アルトシュラー氏は次のように語る。
「こうした問題に注目が集まっていることは、むしろ非常に良いことだと思います。作家ミハイル・ブルガーコフの書いた言葉に『今日、私はぐっすり眠れた。なぜなら、隣の部屋で掃除員の母親にいつも殴られている子どもの悲鳴が聞こえなかったからだ』というのがあります。これは1930年代の話ですが、当時のロシアでは、子どもを殴るのは当たり前でした。日本でも、かつてはしつけに体罰が含まれていたはずです。
ですが今、子どもの前で行われるDVさえも、子どもに対する『心理的虐待』と見なされるようになったとすれば、これは大きな前進です。社会がこのことに警鐘を鳴らし始めたこと、この類のケースが認知されるようになったことは、評価すべきことです。たとえそれが体罰ではなく、心理的な圧力であったとしても議論の対象となり、非難されるようになったのですから」
ボリス・アルトシュラー氏
社会団体「子どもの権利」の代表
元都民ファーストの会事務総長の小島敏郎氏は、“カイロ大学から(2020年12月21日の)カイロ大学サイエンスデイの講演があるので、「卒業生としておいでいただけないか」という手紙がありました。ここに「1972年10月入学、1976年10月卒業」ということがわざわざ書いてあるので、「これで卒業証明になるんじゃないか」と、こういう相談だったんですね(3分57秒)。…小池さんには、「まず卒業証明書をちゃんとした手続きでもらって」「はい、これが卒業証明書です」と言えばいいんじゃないかと。これには時間がかかるので、もう出馬会見が迫っていたから、それ(卒業証明書)が出されるまでの間に、「カイロ大学から卒業した」というものをPDFかなんかでもらって、「当面はそれで凌げばいいんじゃないか」、こういうアドバイスをしたんですね。これが「カイロ大学声明」の発端ということになります(5分55秒)”と話しています。
ところが、こちらのYouTubeの23分55秒のところで元朝日新聞記者の佐藤章氏は、“小島さんがね、後で 確認したところですよ、カイロ大学のホームページを見る限りはですね、この年の12月21日ね、つまり招待状の日付ですけどもね、その日付の時にですね、何かのイベントが開かれた形跡はないんですよ。小池さんも、もちろんカイロには行ってないわけです。なので小島さんはね、強く推測しているんだけれども、「あの招待状は小池さんが誰かに持ちかけて作ったものかもしれない、と今では思っています」ということなんですよ”と話しています。
私は昨日、2020年6月の記事『「学歴詐称疑惑」再燃の小池百合子…その「虚飾の物語」を検証する』を読んでいたのですが、石井妙子氏の著者『女帝 小池百合子』(文藝春秋刊)を読んだ元政治記者の近藤大介氏の言葉、“小池百合子氏は、生まれてこの方、一体いくつのウソをつき続けてきたのだろうと、石井さんの本を読みながら数えていったものの、50くらいまで来てやめました。「嘘八百」という言葉があるけれど、本当にこの本には800くらいのエピソードが詰め込まれているかもしれません。まさに「虚飾の政治家」です”が印象に残りました。
「緑のタヌキ」とはよく言ったものだと感心します。女狐ならぬ女狸ですね。