翻訳チームからの情報です。
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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金塊の歴史年表
転載元より抜粋翻訳)
Kグループ 15/12/22付け
7.00 ニール・キーナン:この7年間を時系列で
7.01 金融独裁の【実態を知る】前のニール・キーナンの人生
デイヴィッド・ウィルコックの記事「金融独裁」でニールの巨額訴訟が知られる前まで、ニールは世界中を旅しては様々な商売、そして誰も引き受けたがらない構造改革計画の類に携わってきた。アンデスからサントドミンゴに至るまでの複数の発展途上国で国々のトップと仕事をしては、善人・悪人、あらゆる階層の人々と接触を重ねた。【以下要約:彼はどんな人とでも意思疏通できる才能に恵まれている。日々様々な人々とコンタクトをとっている情報の宝庫であり、さらにはその情報を整理して、誰の命をも危険にさらすことなくどこまで公表してよいのか選り分けることが出来るのだ。】

7.02 挑戦とその先に続く道のり
2008年8月 ‐ 全ては、ニール・キーナンにドラゴン・ファミリーが山口アキヒコという名の外交代表を通して接触を図って来たところから始まった。以前キーナンが山口に対して手助けをし、政界への繋がりを紹介したことがあったため、ドラゴン・ファミリーの人道的計画を促進するための国際銀行取引や商取引へ直接の関与をするよう、山口がキーナンに強く求めるようになったのだ。
正式な銀行の承認を得た後に一定の日本の債券と連邦準備制度債券とケネディ債券を「私募発行計画(PPP)」へと移すため、山口は「ドラゴン・ファミリー金融商品(DFFI)」をキーナンに提供した。ドラゴン・ファミリーは、彼らに全体の85%が帰属する国際担保口座群からDFFIを作り出し、それが支える計画やプラットフォームを主導するようキーナンに依頼してきたのだ。
グリーン・ヒルトン・メモリアル合意から数十年が経過しても【欧米に】何の動きも無かった事実を踏まえ、この十年ほどドラゴン・ファミリーの複数の派閥が【自分たちで直接、】多額のアメリカドルを数多の世界的な人道支援活動に充てようとの試みに着手していた。例を挙げれば、米国のハリケン・カトリーナ、ハイチや中国やインドネシアの大地震、チェルノブイリ原発事故など世界中の災害時の救援、グルジア共和国のインフラ再建、ケイマン諸島やバングラディッシュの水およびエネルギー資源提供などである。
7.03 ドラゴン・ファミリーによって法定代理人の地位がニール・キーナンに付与される
2008年10月 ‐ 一種の特別委任状とドラゴン・ファミリーのトップであるハーン将軍の承認により、世界のいかなる経済支援および人道的計画にもDFFIや債券を用立てることの出来る権限を、キーナンはドラゴン・ファミリーから書面で授与された。
【使用可能なDFFIや債券とは:】
「1934年のアメリカ連邦準備券」
・連邦準備券249枚、額面価格はそれぞれ5億【ドル】
・合計の額面価格は1240億
・それぞれ1934年以来、年4%の利札付き
「日本国債」
・日本政府国債2枚―57シリーズ
・額面価格はそれぞれ日本円で5000億【中略】
「ケネディ債券」
・ケネディ債券1枚、額面価格は10億USドル
・この債券は有効かつ適法でいかなる担保物権も付着していない
【以上の】連邦準備券、日本国債、ケネディ債券のPPP化に関する労働の対価として、キーナンは当該PPPの利益配当分から最低でも3割を享受することになっており、それらの利益はインフラ整備と経済開発計画に投資される予定だった。
2009年1月 ‐ キーナンはドラゴン・ファミリーを代表して連邦準備券・日本国債・ケネディ債券をPPPへ投資すべく、これらの債券を所有し管理する任務と、スイスのチューリッヒにおける【代理】責任を直接引き受けた。
2009年5月 ‐ キーナンは利子を含めると今日の価値が1兆ドル以上となる当該DFFIを全て授受したことを書面で追認した。ドラゴン・ファミリーが蓄積してきた富のこの部分は連邦準備制度に登録されており、中期債や長期債に交換されたものだ。

当該DFFI全体に対する特別委任状により、キーナンは最終的な詰めの交渉を担当し、PPP関連の現金の増加および/またはプロジェクト取引を行う権利が与えられた。【中略】このような資産を人道的目的の様々な計画に活用することが、ドラゴン・ファミリーの望みだった。
7.04 キアッソ事件:1345億ドルの盗難
2009年6月 ‐ 1345億ドル価値のケネディ債券が、ドラゴン・ファミリーの“特使”である二人の日本人、‘山口’アキヒコとワタナベ・ミツヨシから盗まれた。スイスとの国境にあるイタリアの町キアッソを通る際に、イタリアの財務警察が直接やって来たのだ。持ち物を検分され、【中略&要約:】二人はスーツケースの中にドラゴン・ファミリーの金融商品、すなわち“申告済みではない米国財務省債券”を隠し持ち、スイスに入国しようとしたとして拘束された。

当局に対して山口は、古いが未だ有効な債券(無署名)を保有しているのだから何かの間違いだと忠告した。その後、二人は釈放された。なぜなら彼らは「何の罪も犯していなかった」からだ。
6月4日には山口がバルセロナからキーナンに無事を知らせるEメールを送信したものの、カリマーテを出発して以来起こった事件については沈黙を貫いた。しかしイタリアのニュースでは両人に依然として嫌疑がかけられ、イタリアのコモ県の検察に2011年5月中の出頭要請が出されているとの誤った報道がなされた。少なくともイタリアの新聞の1つ「ラ・プロヴィンチャ」(奇遇にもベルルスコーニの弟がオーナー)の2011年6月30日かその前後の日付の記事によると、依然として山口とワタナベは偽物の債務証券の密輸を試みたかどで3年半の懲役刑が言い渡されることにされていた。
【※原文の表記Provincaだとイタリア語としても存在しない単語だと思うのでProvincia(県)の打ち間違いかと。後者なら該当する地方紙が複数ありましたので、こちらで訳しています。おそらく「ラ・プロヴィンチャ・ディ・コモ」紙ではないでしょうか。】
2009年6月 ‐ フォックス・ニュースが1340億ドル分の米国債がイタリアの国境で押収されたと報じた。
2009年7月 ‐ キーナンは山口とワタナベが運んで来た債券が本物だと確かめることが出来た【つまり、二人の日本人が海越え山越え国境越えてようやくキーナンの下に辿り着いて、債券を手渡した】。そしてキーナンはキアッソにおける盗難事件が、主にアラン・グリーンスパンとイタリア首相のベルルスコーニの指揮の下に行われたことを突きとめた。そこには、カバールの組織・銀行・政府間の世界に広がるネットワークが関与していたのだ。
参考記事:「金融独裁:後編」デイヴィッド・ウィルコック
参考記事:「ニール・キーナンがキアッソについて語る」アメリカン・ナショナル・ミリシア(アメリカ国民軍)
参考記事:「危機の終結は間近」ピーター・B・メイヤー
翻訳者:Yutika
※【 】内の文字は、訳者が付け加えたものです。
読み易さを重視しましたので、正確な情報は元記事をお確かめください。
この状況を打破するべく、キーナン氏が2008年にドラゴン・ファイミリーの助っ人としてリクルートされる訣なのですが、それまでの仕事っぷりって世界を股に掛けた交渉人とかフィクサーみたいですね(笑)。職業名がどこにも明記されてないから余計に想像の翼が羽ばたいてしまいます。今回話題に上っているキアッソの盗難訴訟のせいで、彼のことを「弁護士」として紹介しているサイトもあるのですが、彼は法律の専門家というよりも法律・経済・政治の世界を縦横無尽に渡り歩いて、利害関係を調整するのに特化しているのではないかと思うのです。で2008年からは、表に出ると西洋の銀行家カバールに暗殺されちゃうドラゴン・ファミリーを対外的に代表する顔になった、と。
あと本文中の経済用語ですが、私のような庶民には「なにそれ?くいもんっすか?」的な「金融商品」とは、株券や国債や為替や金銭など金融取引となるものの総称、なんだそうです(たぶん)。その一部を「私募発行計画」、つまり元々ドラゴン・ファミリーが所有権を持つ国際担保口座群の一部を元手(=担保)として、新たな債券か何かを発行し、出資者から得た資金で世界を救済するプロジェクトを実行するって話だったのではないでしょうか。あるいは、持ってる債券の一部を換金するか移動させて別口座を開設するのかな…うーむ。ま、どっちにせよ最終目標は金融商品を資金源にした世界救済ってことで(←超テキトー)。
そのために、なんと二名の日本人がドラゴン・ファミリーの金融商品の一部を(当時ブルガリアに居を構えていた)キーナン氏の下へ届けようと頑張ってます。←イタリアで一部、”没収”されちゃいますけど。中国や台湾文化のファンであり、第二次世界大戦で日本軍が西洋のパシリとしてアジア諸国から金銀財宝を強奪したことを大変心苦しく思っていた私めとしましては、ドラゴン・ファミリー側にも日本人が採用されていることがなんだか嬉しかったです。