通過儀礼はそれだけではないのですが成人式を指す場合が多いです。ただご存知のように日本の成人式は現在では単なる形だけの式典ともいえない会合です。しかし、昔は違っていて共同体で大人と認められるため「自力で乗り越えなくてはいけない」決め事を果たすのがその儀式となっていました。現代でもインディオなどの通過儀礼は厳しいものでその儀礼で命を落とす場合も稀ではないようです。私にとってリース詐欺の体験は自分のカルマが招いたものではありましたが対応を誤れば奈落に沈む危険に満ちていました。しかし危険だった反面この体験は私にとって必要なものでまた有益な体験でもありました。私がこうやってこの記事を掲載しているのは勿論ですが、この後起きあがった「天界の改革」に立ち会い目撃者となれたのはこの体験があったからだと認識しています。
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ー通過儀礼ー リース詐欺の体験 〜終幕 通過儀礼〜
終戦の儀式
2005年12月初旬、その日私の寺にNTTリースのO担当者、トラストコミュニケーションズのK課長が来訪してきました。そして彼らの事前了解を得て知人司法書士も来てもらい立ち会ってもらっていました。私を含めて4名が私の寺の本堂で同座しました。
2005年8月に「回答要求書」を送付して以来、実際のところ一方的な展開になっていました。結局彼らが私にリース料金の支払い要求できたのは5月末の代理人弁護士による「支払催告書」のみでした。それから後彼らが契約内容の正当性を主張できたのは皆無だったのです。
私がNTTリースにリースの根本的欠陥点をついて回答を求めたのに対してまともに答えられず、支離滅裂な回答をしては私がその矛盾点を指摘し、それに苦しんであらぬ回答を返して、彼らにとっての絶望的な傷を深めていく、これを繰り返す展開となっていました。文書では10月上旬でのやり取りが最終でした。
もう彼らは私の指摘に対する反論はおろか回答しうる気力さえも失っているようで、彼らはNTTリース、トラストコミュニケーションズ、私の三者での会合の場設定を幾度も求めてくるようになっていたのです。簡単に言えば降伏の条件をどう折り合いをつけるか、落としどころを決めていかに決着させるかという段階になっていたのです。彼らの求めに応じてその話し合いの場、場合によっては決着の場にへと設定したのがこの日だったのです。
事前にO担当者とK課長は打ち合わせ両社間の落としどころは決めて今日に臨んだのでしょう。私の寺の本堂に着座した両者とも落ち着いた様子でした。両者の表情を見て私はこの二人が私に攻撃の意志や欲求はないことはすぐに見て取れました。
簡単な自己紹介などの後K課長が切り出します「電話の主装置を確認させてもらえますか?」。これは終戦調印のため最後の儀式です。私が案内しK課長がスロット確認します。VOIPユニットの装着を確認するものです。「この電話機にVOIPユニットの装着はありません。」K課長が静かに言いました。
本堂に戻り改めて4者が向き合いました。「私のところ(トラストコミュニケーションズ)の契約を取り消します。」K課長が静かに宣言しました。その言葉に私は「トラストと契約したわけではないが、まあこれはこれで良しとして後Sラムの分を・・・」と考えていたところ、隣の知人司法書士があっけにとられたような表情をします。リースのO担当者も何か言ったようです。
「早く返答してやりな」隣の知人司法書士がアイコンタクトします。「ああ、まあ、それはそれでいいでしょう」私のこの言葉の瞬間、心底ほっと安堵した満面の笑みをK課長とO担当者が浮かべます。隣の知人司法書士も嬉しそうです。何か成し遂げたかのような清々しい笑顔のK課長とO担当者の二人、その顔をみて私は二の句が継げなくなっていました。何か私もヘナヘナと力が抜けてしまったのです。「まあいいか」と。それで「前のSラムの件・・・」の言葉が宙に浮いて流れてしまったのです。
「・・・と言うわけで住職には現在の電話機を今後無料リースして頂くのと所有物にして頂く選択ができますがどうしますか?」K課長が尋ねます。NTTリースは残債権の放棄を宣言していたようです。「それなら所有物にしましょう。」と私。これで決着です。いみじくも「電話機のリースは終了し所有物」となったのでした。
宿題提出
2002年3月に始まり、気づかず過ごし2005年1月末にやっと認識し対応に走った電話機リース詐欺問題、ようやく解決となりました。
結果的には既に払い込んだ料金返却までは至りませんでした。その意味では十二分な結果ではなかったかもしれません。しかし今見ても「残債権の放棄」は販売店とリース社の裁量では限界の満額回答です。既に年度も変わり会計報告も済んでいるリース料金の返却にはリース社だけの裁定では無理であり別存在の決裁が必要の筈です。訪問した彼らは自分たちの分については無条件降伏したうえで「私からの追求がここで止まるように」との決意と緊迫感をもって私の所に来訪したであろうことは理解できます。受け持ち部署としての精一杯の誠意、彼らの清々しい笑顔の意味でした。
終わってみれば・・・前述のとおり「リースは終了し所有物」となりました。図らずも日本システムラインのS秀作の言葉が、そのまま実現していました。
Y口にしてもS秀作にしても私を嵌めるために来訪してきた鬼のはずです。しかし見方を変えればその彼らは何も気づかずにいた私に救済のため来訪し警告を発してくれた、とも取ることもできます。現実に彼らによって私が認識を得たとき“こと”はその流れが確かに変化しました。そして私が誰かに依存することをやめ「自力で乗り越えなくてはいけない」となった時“こと”は大きく展開を変えると共にその意味という質も変貌していたように思えます。
この意味で私にとってのこの体験は「通過儀礼」だったと言っても間違いはないでしょう。満点とはいきませんが無事に通過を果たすことには成功しました。決断し向かっていったのは私一人でしたが、いつしか周囲が必要な援助もしてくれました。そして何よりもY本さんのこともそうですが、全体を通じては問題解決に必要なことが次々にジャストタイムで起きてくれたのです。不思議としか表現できません。何かの大いなる存在の大いなる働きに感謝する以外にはありません。
こうやって終了した電話機リース詐欺体験でした。ただし私にはもしかすると未提出のままで現在までの10年以上を済ませてきてしまった宿題も残っていたのかもしれません。
2005年3月4日某掲示板で老コメンテーターが「社会の公正をひたすら信じ、恐れず対処を。そうしたら大概の場合は悪徳業者側のほうが裁判直前に降りてしまうものなのです。」とのアドバイス(終わってみれば本当にその通りになりました)。それに対する私はコメントの最後に「何か変化があれば報告します。」としながら、それができないまま10年以上の時が経ち今日に至ってしまっていたのでした。この報告が私に課せられていた宿題だったのかもしれません。
NTTリース、販売店の彼らには「10年以上も前の話だから、もう時効だよね?ごめん。」です。白旗をあげ最後には彼らなりの精一杯の誠意を示してくれた、その彼らに「むち打ちする」ことになるのでネットでの報告は「よう、せんわ、そんなこと」で過ごしてきたのではあったのでした。しかし「ごめん。時効だろうし、情報公開のこの時代には多分必要なことだったので全容を明かしました。」です。
某掲示板はもうすでに無くなってしまったので違う形での報告しかなかったのでしたが、この記事掲載の報告にて宿題提出にはなったかな?と思っています。肩の荷を下ろした気分にはなっているのです。
長い長いこのシリーズ最後まで読者の皆様お付き合いして読んで頂きありがとうございました。
12月初旬のその日、話の決着はつき、彼らは私の寺の本堂から出ました。見送りに外へ出た私。ふと気づけば庭にそっと目立たぬように若い男性がたたずんでいました。
「えっと?君は?」私の言葉に若い男性はぺこりと頭を下げ照れくさそうに「Y口です。その節は・・・」。
「えっ?」担当者である彼も来ていたのです。しかし毒気の抜けたその顔は私の記憶にあるY口新介の顔とは全く違った印象だったのです。首を傾げた私の「そんな顔だったっけ?」の言葉に彼は気恥ずかしげにはにかんだ笑顔を浮かべました。
・・・午後の穏やかな日差しが降りていました。