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ー通過儀礼ー リース詐欺の体験 〜第12幕 問題の本質〜
蓋の中
蓋を開けてみれば、本当に分かっていない人達でした。
販売店もリース社も自らの業務の土台に規定されたリースの仕組みもリースが「賃貸借業」である根本さえもが把握できていなかったのです。建前の規定と業務実態がかけ離れており、販売店とリース社は互いが物件売買の相手であることが理解できていません。ユーザーへの「貸し付け証明」の準備も必要性も把握できていないのです。そのため現に販売店とリース社間に物件売買契約書、物件明細領収書が存在しないのです。
NTTリースにはSラムの件も当然証明書を要求したのですが一切書類は皆無でした。物件の購入と所持の証明が存在しないとは同時に貸し付け証明が不能ということになります。リース契約以前の話です。ユーザーへの貸し付け証明が全くの不能。この事実は私の件だけではなく訪問ファイナンスリースの全てがこうなっているでしょう。
販売店とリース社、そこに金銭の授受はあるでしょう。一件カモ(被害者)を捕らえる度に販売店は80万円近く手にするのかもしれません。それでも120万円や150万円のリース料を受け取るならリース社にとっても十分な利益です。しかしその販売店に渡した金銭は「物件代金」ではありません。(「報奨金」かな?)
何しろ販売店からリース社には物件の見積書どころか金額提示もないので物件代金は支払っているわけがないのです。支払ってもいない物件代金を原資とするリース代金の徴収、これは明白な不当利得の詐欺つまり刑事罰相当の犯罪です。無論出資法違反の犯罪でもあります。
そして更に物件代金領収書の不存在は別の違法事実も明らかにさせています。「脱税」です。
リース社は購入所得した物件の固定資産税の申告と納付をする決まりです。徴収するリース代金の中には保険料と固定資産税も計上されているのです。しかし、物件代金としての支払なし領収書なしで税申告しますか?本来は領収書に記された金額から年々の減価償却を計算し税額が決まるのでしょう。税の申告も納付もしているはずがないのです。
更には無資格の違法工事や労災の問題もありますが電話機違法廃棄処理の問題もあります。廃棄処理は電話機の所有者の責任です。しかしリース社は電話機の所有者の自覚さえもありません。間違いなく違法に廃棄しているでしょう。この点はY本さんが詳細に追求されています。
このシリーズでは関わった関係でNTTリースのみをやり玉に挙げてきました。しかし実態は他のリース社全て同じでしょう。リースは電話機のみでありません。市役所などの公的機関の事務機器もほとんどがファイナンスリースです。これら全てがリース社と販売店間での物件売買事実無し、脱税、違法廃棄の可能性があります。実はファイナンスリースの欺瞞の仕組みは電話機リース被害者逹個々人の問題のみでは全くないです。
“誰”だ?
法の網に掛からず野放しで“鵺(ぬえ)”のようにふるまって暴利を得てきた販売店とリース社、しかし彼らがリースのことを自発的に研究熟知し獲得した高い能力でそれを達成してきたのか?というと全く違います。
逆に彼らは無知でありマニュアル業務をこなす以上の能力は獲得していません。その必要が無かったからです。“誰か”によって法の網から除外されているから鵺のように振る舞えたのです。手厚い保護の元、自ら自身は「事の本質を問わず知らず」権威ある“誰か”の「ここまでなら適法だ。安心して実行せよ」とのお墨付きの指令それに基づいたマニュアルを日々こなし利益を得た。それだけです。
そうすると指令を出したのは“誰”か?です。
その“誰”かは、一口で言えば“国”です。明らかに国の多くの部署が関わっています。先ずファイナンスリースの仕組みと稼働の“お墨付き”を与えた部署があります。その許認可等の所轄で首謀者と目される経産省、そして金融庁の行政です。そして無論欺瞞のリースの仕組みをバックアップ保護してきた裁判所、司法。さらにはリース社の脱税の黙認からは国税。廃棄物処理の点からは環境省等も関係するでしょう。まさに“国”が関わっているのです。
リース詐欺の実行犯は販売業者で主犯はNTTではありますが、本当のところは国が共同正犯、いや隠れた真犯人なのです。電話機リース詐欺はNTTの構造改革、大量リストラにセットとして伴うものであり、その構造改革を主導したのは国だからです。NTT自体は受け身です。
更にこの構造改革は国が能動的主体的に始めたのではありません。巨大権限権力を有する国に構造改革を命じたのはグローバリストです。
ここにお馴染みの構図が浮き上がります。巨大企業そのバックに国、さらにその陰にグローバリスト。この構図は過酷凄惨な原発事故を起こし膨大な犠牲者そして無数の被害者を生みだし続けている原発利権構造の構図と同一です。誰が原発を推し進めてきたか?利益を得たか?そしてあの過酷事故で責任者の誰かが法的に罰せられたか?一緒なのです。地球上どこにも繰り広げられてきた世界支配の構図です。
問題の本質
この世界はフラクタル(相似形)と教えられています。リースの問題も詮ずるとこの世界を支配してきた構図がやはり浮き彫りとなるのです。私たち全てが関係する構図です。
ここには被害を受ける大多数と利益を得る少数があり、支配する側と支配される側の構図があります。支配し搾取で暴利を得るものが指弾されるべきは当然で、皆で事実を認識しことを明かすべきです。ただし、支配側への指弾、それだけで良いのかというと、違うと思います。これだけでは支配構造の解決にはならないと思っています。“権威”への依存の問題です。
詐欺トークで一般人を被害者へと嵌め込む販売業者、その働きを利用して安全なところで事務処理を行うリース社、しかし詐欺トークの販売業者逹が特別な人間か?といえばそうでも無く、サイコパスばかりの集団でもないでしょう。その販売業者を利用し都合が悪くなると「しっぽ切り」に転ずるリース社、そこの人間も全く普通の人間です。ある意味彼らは業務、任務とも言えますか、それを普通に執行しているに過ぎません。「それで良し」との権威のお墨付きをもらった業務です。権威から「それを成せ」とされた任務です。その業務は一般的には悪なのですが彼らは悪とは自覚しません。認めたくはないのです。
ただし特に直接被害者と関わる怨嗟の対象である販売業者は気にしています。この自らの行為が「悪だとの気づかされ」、これは下に置かれる者ほど「きつく」上に行けば行くほど直接被害者に触れないよう保護されるので「薄く」なります。それでも皆が心の奥のどこかでは気づいているでしょう。「悪だ」と。
しかしそう認識したくないのです。自分の業務、任務の意味をその根本から問おうとはしない姿勢です。そしてその悪を認識しないようにする自分を支えるもの、それが“権威”への依存です。これが拠り所となっていて、この依存の構図はそれこそ相似形で下から上に、更に下から上に下から上へとどこまでも続いていきます。問題はこの依存の構図が支配層側だけの構図ではなく、支配される側「自分たち」にも同様にあるのではないか?ということです。
少なくとも私たちの業界はこの「権威への依存」は顕著です。組織宗教においてその所属する宗教の開祖や教祖への疑問や批判、ましてや否定言動がなされるはずがなく、開祖や教祖へのひたすらなる崇拝が絶対的な善で美徳とされます。
これは仏教系ではお釈迦さんに対する崇拝以前にその間を取り持つ“権威”その個人に対する依存と崇拝が勧奨されている事実に見られます。また誰が“権威”となるかは教説の真偽によるのではなく端的には宗教を組織化するに都合の良い、また多くの人々に「受ける」、信者に都合の良い言説を編み出す人物が“権威”となるのです。
リース詐欺現場では都合の良い権威のお墨付きに依存して詐欺トークの営業を行い、その上では事務処理をする。この点私たち私たちの業界と変わりません。私が業界の一員としての彼らを招き入れたのも頷けます。少なくとも私は彼らのみを一方的には責められないのです。そしてこの都合の良い権威への依存は程度の差はあってもどこにでもあるように思えるのです。
大切なのは自分を支えるのに誰か権威にすがるのでなく、今日の自分をヤマ・ニヤマの観点から洗い出して認識し続けることなのでしょう。
このシリーズ、予定外の長編となってしまい恐縮しています。記述にあたりもともと個人的な体験談ですから多くの方には「関係ない」ことだろうとは念頭にありました。それでも同じような被害を受けた人への参考、もしくは今後の被害の防止の意味があればとの思いでした。そして実はもう一点。リース詐欺この問題の背景には誰しもが共有しているこの世界の構造の問題点が隠されていること、そしてその中に私たちが「見つめるべき課題が含まれてはいるのではないか」と思いがあり記述してきたのでした。今回と次回で最終となります。