注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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【第105回】百田尚樹『日本国紀』をどう読むか 斎藤美奈子
引用元)
WEBちくま 世の中ラボ 19/1/29
11月に発売された百田尚樹『日本国紀』が話題である。
(中略)
となれば、読むっきゃないでしょう。なにしろ著者は(中略)問題発言をくり返してき右派論壇のスターである。どんな通史なのさ、え?
同じような物見高さで手にした読者も多かったのだろう。案の定発売直後から、ネット上には批判の山が築かれた。ただし、その多くは事実関係の単純な誤認を指摘したものとか、ウィキペディアと同じ文章だったとか、これこれの本の丸写しだったとかいう「コピペ疑惑」で、重箱の隅をつついている感は否めない。つまり批判に迫力がない。そりゃあウィキペディアの丸写しも褒められた話ではないだろう。しかし、いま検証し、追及すべきは「コピペ疑惑」だけなのか。
もっと重要な論点があるんじゃない?
自讃史観(歴史修正主義)の進化(劣化?)の産物
(中略)
要は「自虐史観」ならぬ、わかりやすい「自讃史観」である。
しかし、ではどれほど素晴らしい自讃で読者を楽しませてくれるかというと、じつは期待したほどでもない。(中略)
(中略)
同じ自讃史観系の通史なら、二〇年近く前に出た西尾幹二『国民の歴史』のほうがおもしろかったぞ。
そう、『日本国紀』は2018年に突然ポッと出た自讃史観本ではないのである。90年代からじわじわ力をつけてきた歴史修正主義本の延長線上にある本で、その意味では自讃史観(歴史修正主義)の進化(劣化?)を体現した物件ともいえる。
(中略)
「下からの革命/上からの革命」とは、昭和初期の日本資本主義論争の争点にもなった有名な命題だが、歴史家がフランス革命を絶対視する理由は〈マルクス主義の歴史解釈が、日本の学会を呪縛したからである〉と西尾はいう。これは一面では事実である。
『国民の歴史』は論争的だし、挑発的なのだ。
『日本国紀』にその種のアクチュアリティはない。この本に「画期的」な部分があるとしたら、(中略)教科書などに見られる「自虐史観」の発祥を敗戦後のGHQによる「洗脳」に求めた点だろう。
(中略)
日本の歴史教育はどこへ行く
(中略)
歴史修正主義が台頭して約二〇年。歴史家が(とあえていうけど)批判を怠ってきた結果が、自民党が推奨する育鵬社の教科書の採択率上昇であり、『日本国紀』のベストセラー化現象だと思うと、どうにも腹立たしい。この先、日本の歴史教育はどこへ行くのだろう。
嘆いてばかりいても仕方がない。『日本国紀』のワクチンとして、別の本を紹介しておこう。灘中学が採用したことで話題になった学び舎の中学歴史教科書『ともに学ぶ人間の歴史』である。この教科書は他の歴史教科書とは一味も二味も異なる。(中略)
(中略)
(中略)
となれば、読むっきゃないでしょう。なにしろ著者は(中略)問題発言をくり返してき右派論壇のスターである。どんな通史なのさ、え?
同じような物見高さで手にした読者も多かったのだろう。案の定発売直後から、ネット上には批判の山が築かれた。ただし、その多くは事実関係の単純な誤認を指摘したものとか、ウィキペディアと同じ文章だったとか、これこれの本の丸写しだったとかいう「コピペ疑惑」で、重箱の隅をつついている感は否めない。つまり批判に迫力がない。そりゃあウィキペディアの丸写しも褒められた話ではないだろう。しかし、いま検証し、追及すべきは「コピペ疑惑」だけなのか。
もっと重要な論点があるんじゃない?
自讃史観(歴史修正主義)の進化(劣化?)の産物
(中略)
要は「自虐史観」ならぬ、わかりやすい「自讃史観」である。
しかし、ではどれほど素晴らしい自讃で読者を楽しませてくれるかというと、じつは期待したほどでもない。(中略)
(中略)
同じ自讃史観系の通史なら、二〇年近く前に出た西尾幹二『国民の歴史』のほうがおもしろかったぞ。
そう、『日本国紀』は2018年に突然ポッと出た自讃史観本ではないのである。90年代からじわじわ力をつけてきた歴史修正主義本の延長線上にある本で、その意味では自讃史観(歴史修正主義)の進化(劣化?)を体現した物件ともいえる。
(中略)
「下からの革命/上からの革命」とは、昭和初期の日本資本主義論争の争点にもなった有名な命題だが、歴史家がフランス革命を絶対視する理由は〈マルクス主義の歴史解釈が、日本の学会を呪縛したからである〉と西尾はいう。これは一面では事実である。
『国民の歴史』は論争的だし、挑発的なのだ。
『日本国紀』にその種のアクチュアリティはない。この本に「画期的」な部分があるとしたら、(中略)教科書などに見られる「自虐史観」の発祥を敗戦後のGHQによる「洗脳」に求めた点だろう。
(中略)
日本の歴史教育はどこへ行く
(中略)
歴史修正主義が台頭して約二〇年。歴史家が(とあえていうけど)批判を怠ってきた結果が、自民党が推奨する育鵬社の教科書の採択率上昇であり、『日本国紀』のベストセラー化現象だと思うと、どうにも腹立たしい。この先、日本の歴史教育はどこへ行くのだろう。
嘆いてばかりいても仕方がない。『日本国紀』のワクチンとして、別の本を紹介しておこう。灘中学が採用したことで話題になった学び舎の中学歴史教科書『ともに学ぶ人間の歴史』である。この教科書は他の歴史教科書とは一味も二味も異なる。(中略)
(中略)
そんな折、「どんな通史なのさ、え?」と斎藤氏が頼もしく切り込んでいかれました。
百田氏については、これまでベストセラーになった本の数々、また攻撃的な発言の数々から「右派論壇のスター」と認識しておられたようで、内容に関して「事実誤認」「コピペ」「引用wiki」ばかりが話題になることに物足りなさを感じておられたようでした。
斎藤氏は、著作で語られる本質に論点を置きました。
氏の読後の感想はあっさりと「わかりやすい自賛史観、しかし期待したほどではない」、むしろ同じ自賛史観系の通史であれば西尾幹二「国民の歴史」の方が「おもしろかったぞ」と評されて愉快です。
ベストセラーとなった「国民の歴史」は刊行後20年とあって、そう言えば、先ごろ西尾氏の記念インタビューを見たばかり。それも踏まえて斎藤氏は、90年代から表面化してきた歴史修正主義本を振り返り、「新しい歴史教科書をつくる会」に代表される自虐史観批判、日本会議の活動、嫌韓感情、山積みされるヘイト本の延長線上にあるものとして、この「日本国紀」を(劣化版として)据えました。
斎藤氏は「論争的だし、挑発的」な「国民の歴史」に比べ、「日本国紀」に特徴があるとすれば、GHQによる「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」という洗脳を自虐史観の発祥と主張している点だとしています。
しかし、この認識に対して斎藤氏は、説得力のある考察をして否定的です。むしろこれまで、こうした歴史修正主義に対して、きちんと批判をしてこなかったことが、現在のこの「日本国紀」ベストセラーという現象を生んだのではないかと指摘しています。
そして斎藤氏は新たに、「日本国紀」のワクチンとして(って、もうインフルエンザ扱いですね)、もう一つの歴史教科書を紹介されました。
それが学び舎の中学歴史教科書「ともに学ぶ人間の歴史」です。灘中学が採用したことで話題になったそうですが、氏曰く「すげえ斬新。かつ正しい!」ですって!
日本国の為政者を中心とした歴史ではなく、「北海道」「本州」「沖縄」などを並列で俯瞰し、アイヌ文化や琉球王国も同時に学べるようです。その複眼を持つと「もはや自虐史観も自賛史観もない」と言われる通り、本州の動きすらも客観的に見ることができそうです。面白そう。
お値段2,400円也ですが、つ、つい買ってしまいました。