ぴょんぴょんの「〇〇人て、だれ?」

 先日、「岩合光昭の世界ネコ歩き」で、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルという街を見ました。
 ボスニアと言えば、戦争のイメージしかありませんでしたが、モスタルはとても美しい街でした。
 戦時中は姿を消したネコたちも、今は戻って来て、平和な街になっています。
(ぴょんぴょん)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
ぴょんぴょんの「〇〇人て、だれ?」


ボスニア・ヘルツェゴビナでの戦争と平和


ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル、ネコもゆったり、人もゆったりで、
とても美しいところ
だった。

ネコは平和の象徴だな。

ボスニア・ヘルツェゴビナ、あそこは結局、何がどうして戦争になったの?

う〜ん、おれもよく知らねえんだ。
ボスニア戦争のあったあの頃、おれも仕事が忙しくてさあ、
世界情勢どころか、日本のことすらチンプンカンプンだったわ。
でも、調べてみたぞ。
ボスニア・ヘルツェゴビナ戦争。
1992年から1995年のデイトン合意まで続いたユーゴ紛争の中でも最も凄惨な死闘が繰り広げられた戦争
である。 」( 「ユーゴ空爆」編・第5回

ボスニア・ヘルツェゴビナ戦争
Author:エフスタフィエフ[CC BY-SA]


最も凄惨な死闘・・・・・。

そう言えば、ボスニア戦争中の集団レイプで訴えられた、セルビア兵の裁判をドキュメンタリーで見たことあるな。

集団レイプ・・・・戦争には必ずそういう悲劇がつきまとうね。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、旧ユーゴスラビアの連邦国だった。

旧ユーゴスラビア(ユーゴスラビア・社会主義連邦共和国)
Author:maix[CC BY-SA]


旧ユーゴスラビアは、マケドニア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニア、モンテネグロの、6つの国家からなる連邦国家だった。( Wiki
下の地図の、着色部分がセルビア共和国。
ボスニア・ヘルツェゴビナは、そのとなり
にあるだろ?



うん、おとなり同士だね。

かつてのボスニア・ヘルツェゴビナ (ボスニア)では、クロアチア人(カトリック教徒)、セルビア人(セルビア正教徒)、ムスリム人(イスラム教徒)の3民族が、平和に暮らしていたそうだ。

ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗
Wikimedia_Commons[Public Domain]


3つの民族がそれぞれ、宗教がちがう?

セルビア人は、旧ユーゴスラビアの大多数を占める民族で、セルビア人はセルビア共和国だけじゃなくて、となりのボスニア・ヘルツェゴビナにもクロアチアにも住んでいた。
1990年、スロベニアとクロアチアが旧ユーゴから無理やり独立したときも、連邦側と小競り合いになり、かなりの市民が亡くなってる。

なんで、スロベニアとクロアチアは独立したの?

ヨーロッパ、特にドイツがバルカン半島に興味を持っていて、貧しかったスロベニアとクロアチアに、独立をそそのかしたらしい。
続いて、ボスニアも独立するかというとき、セルビアから「待った!」がかかった。

みんな、いなくならないでよ〜ってこと?

アホ! 
ボスニアが独立国になれば、ボスニアに住んでるセルビア人が切り離されてしまう。

そうか、親戚や友人がいても、気軽に行き来できない、外国になっちゃうもんね。

それでもボスニアは、一方的に独立を推し進めたので、セルビアと軍事衝突に発展してしまった。


話し合いとか、できなかったのかなあ?

話し合いの余地も与えられないまま、多くの死者と難民を出し・・第二次大戦後のヨーロッパで最悪の紛争となってしまった。Wiki
その中で、最も世界を敵に回したできごとが、セルビア兵の集団「システマティック・レイプ」。
「民族浄化の手段として多数のボスニアのムスリム女性を強姦してセルビア人の子供を生ませようとした事件である。」 ( 「ユーゴ空爆」編・第5回

ひどい!!
イスラム女性は、主人以外と交わったら、姦通罪で死刑になるそうだよ。
それを知ってて、わざとイスラム女性を襲い、セルビア人の子供を産ませるなんて!

「ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦・・・戦時下でレイプされた女性のほとんどはムスリムで、その数は2万人以上と推定される。」( AFP

2万人以上だって? すごい数だね?

現地NGO・・が行った調査によると、戦時下のレイプによって生まれ、捨てられた子供として記録されているのはわずか61人。実際は、はるかに多いと考えられている。」( AFP

おかしいな? 被害者が、表に出さなかったからかな。

レイプによって生まれた子供には、世間の冷たい目が待っている。
周りから、僕の体にはセルビア人の血が流れているから、大きくなったら親たちを殺すだろうといわれた。」( AFP

だから、戦争なんて大キライなんだよ。
そして、セルビア人も、大キライ。

Wikimedia_Commons[Public Domain]


ちょっと・・・・・おめえなぁ、「〇〇人キライ」ってゆうけど、その「〇〇人」てだれのことだ?
おめえとおれ、日本人だが、「日本人は勤勉です。」って言われても、おれたちに全然当てはまらねえじゃねえか。

おれたち・・・って、ぼくは勤勉だよ、くろちゃんと一緒にしないでくれる?

それを、「〇〇人」で十把一絡げに呼ぶのは、おかしいんじゃねえかって言ってるんだ。  
竹下先生も、そうおっしゃってただろ?

あ・・・・そうだった。 そういうの、偏見ていうんだよね。

自分で調べたんか? セルビア人のこと?
調べもしねえで、テレビや新聞、ネットの言うまま信じるんかい?

じゃ、知りたいよ、なんで、セルビア人はこんなに悪魔みたいに言われてるの?


欧米による情報操作


おれも最初のうち、「セルビア人て、悪魔みてえなヤツらだ」と思ってた。
だけど、ある記事、「《迷走のアメリカ》第4部『ユーゴ空爆』編」に出会って、ハッと目が覚めた。

これは、「週刊プレイボーイ」に連載された記事だね。

セルビアが、本格的に悪魔デビューしたのはボスニア戦争からだ。
この戦争で、セルビア人による民族浄化、システマティック・レイプ、死の捕虜取容所など、セルビア人の残虐さが、次々と世界中に報道され、セルビア人は徹底的に悪魔化されていった。
「現在、一般人が持つセルビア人に対するネガティブな印象はすべてこの時期に作られたものと言っていい。 」( 「ユーゴ空爆」編・第5回

「作られた」?
いったいだれが、セルビア人のネガティブな印象を作ったの?

「ボスニアでは、その後のユーゴ情勢に大きな影響を与えるひとつの変化があった。アメリカの本格的介入である。( 「ユーゴ空爆」編・第5回

pixabay[CC0]


それが、セルビア人悪魔化計画の始まりだって言いたいの?
てことは、アメリカが?!

なんで、スロベニア、クロアチアは、次々とユーゴスラビアから独立したんだろう?
なんでボスニアは、それに続こうと思ったんだろう?

ユーゴスラビア時代、社会主義で窮屈な思いをしたから、ヨーロッパに近づきたかったんじゃない?

ユーゴスラビアの社会主義は、ソ連とはちがい、弾圧もなく、民主的だった。
それなのになぜ、欧米は彼らの独立をあと押ししたんだろうか?

経済的に発展させてあげたかった?

資本主義むき出しの欧米が、求めるものは何か?
それは、金儲けのエサだ!

エサ?

旧ユーゴ、つまりバルカン半島には、資源や人材やらエサがいっぱいある。
自分たちの金儲けのために、少しばかりのカネを出して独立させてやるから、うちらも儲けさせろって。

なんか、若い女性におカネ出してる、スケベなおっさんの構図に似てるよ。

そうゆうスケベなヤツらなの、欧米は。
で、ボスニアに、独立を援助してやるとかうまいこと言って、独立の方向に向かわせた。その動きに、元同僚のセルビアは納得がいかねえ。

セルビアには、独立援助の話は来ないんだね。

セルビアの国旗 Wikipedia[Public Domain]


セルビア人は、ユーゴスラビアで最大の勢力だから、欧米にとっては弱体化させたいくらいさ。
しかしだ! 困ったことがある。
ボスニアの独立をあおったまではいいが、そこから始まった内戦を、世界はどんな目で見るだろうか?
自分たちが独立を促したばかりに、ボスニアに悲惨な内戦を引きおこしてしまった。

わかった! 内戦がおきたこと、自分たちのせいにされたら、マズい。
だから、ボスニアの独立に反対する彼らが内戦を引きおこした、セルビア人が悪いって言いたいんだね。( 「ユーゴ空爆」編・第5回

「てえへんだ、てえへんだ! 
セルビアがボスニアを占領したら、ソ連みてえな全体主義国家『大セルビア国』を作っちまうぞ! セルビア人はコワいから、ヤバイぞ!」
って、ブロパガンダを流し始めた。

第二のソ連ができたら困る。早くボスニアを助けなきゃって、ことになる。

しかも、「セルビア人を悪魔化し、自分たち(クロアチア人、ムスリム人)はその悪魔から逃げ出そうとしている哀れな犠牲者という体裁をとろうとしたのだ。」( 「ユーゴ空爆」編・第5回

にゃあるほどっ!

いいか? マスコミはそういうのが、得意中の得意だ。
知ってるよな、湾岸戦争でもブッシュ政権がやってた。
クウェート人少女に、「イラク軍兵士が、病院で赤ん坊を殺していた」って、まことしやかに証言させてただろ?( 「ユーゴ空爆」編・第5回

湾岸戦争
Wikimedia_Commons[Public Domain]


あった、あった・・・って、あれ、ウソだったの?

おめえ、今ごろ・・・遅えよ!
それから現在に至るまで、イラクでも、アフガニスタンでも、リビアでも、シリアでも、キューバでも、ベネズエラでも・・・・・数え切れねえくらいの偽旗や、フェイクニュースだらけ。
そういう目で、セルビア人がイスラム女性を大量にレイプした話を見てみよう。

まさか、それも情報操作だったとか?

セルビア人のイメージに決定的なダメージを与えたシステマティック・レイプや死の収容所・・・ガシック(ロンドン在住のセルビア人)は、両方とも情報操作によって作られた虚構に過ぎないと断言する。 」
ガシックは、こう言う。
「もちろん、私はセルビア人兵によるレイプがなかったなどと言うつもりはない。戦争では必ずレイプの犠牲者が出るものだ。が、マスコミによって報道されたような計画的なレイプなどなかったのだ。
 国連もボスニアのレイプについて調査しているが、彼らがはじき出した犠牲者数は約3千人。それもセルビア人、クロアチア人、ムスリム人全部含めてだ。この数字だけ見てもシステマティック・レイプの虚構がわかるはずだ。 」( 「ユーゴ空爆」編・第5回

国連 pixabay[CC0]


ぬあんとぉ!! どっかで、2万人て言ってなかった?

国際調査機関は、システマティック・レイプは実際にあったことが証明されたというが、調査方法がまったくデタラメだったこともわかっている。
例えば、聞き取り調査をした犠牲者は、たったの4人だった。
なのに、調査委員会は「犠牲者2万人」という数字を出してきた。

似てる、日本政府の統計不正。

しかも、クロアチア女性からしか事情聴取してねえ。

セルビア女性からは、聞いてないんだ。

つまり、調査委員会が調査を「許された」のは、セルビア人にレイプされた犠牲者のみだった。( 「ユーゴ空爆」編・第5回

調査を「許された」? だれが許すわけ?

もうひとつ、「セルビア人 = 悪魔」を決定的にしたのが、「死の捕虜収容所」。

セルビア人が、クロアチア人捕虜をぶち込んで、拷問したり、殺したりしてた場所?

1992年の夏、イギリスのテレビ局がボスニアに入り、「トノポリャ捕虜収容所」を取材した。
「この時、彼らが撮影した1枚の写真は世界中に衝撃を与えた。鉄条網の前に立つ、ガリガリに痩せこけ、肋骨の浮き出ている男の姿は、まさにアウシュビッツを連想させる写真だった。」( 「ユーゴ空爆」編・第5回


なんと! セルビア人は捕虜にひどい扱いをしてたんだ!

だが、これは完全な偽物だったのである。」

これもかい???

「その時、撮影したビデオを入手し、そのすべてを見てみた。
その中で鉄条網の外側から男たちがリポーターの質問に答えている場面・・彼らは・・こう言っていた。ここは難民キャンプだ、身分証明書を提示すれば自由に出入りできる、外は戦争で危ないからここにいる……。 」( 「ユーゴ空爆」編・第5回

戦争で行き場を失った人たちを、収容していた難民キャンプだった?!

それが、「死の捕虜収容所」に仕立て上げられてしまったわけ。
「笑ってしまったのは、あの肋骨の浮き出た男にリポーターが、なぜあなたはそんなに痩せているのかと聞いた時だ。
彼は、こう答えた。
“いや、俺は太らない体質で、ガキの頃がらこうだった”(大爆笑)」( 「ユーゴ空爆」編・第5回

ひどい! ちっとも、アウシュビッツじゃないじゃん?!

セルビア側にも、残虐行為はあったかもしれない。
だけど、欧米のプロパガンダを差し引いて見ねえと、大きなまちがいをしでかしちまう。

「セルビア人 = 悪魔」は、欧米がマスコミを使って、バラまいたものだったんだね。

ユーゴスラビアでは、ボスニア戦争が収まると今度は、コソボ戦争につづく。
現在のコソボ共和国は、下の地図の着色部分の国だ。


コソボはセルビアの下にあるね。

元々、コソボはセルビアの一部だったからな。
そこで、「セルビア人 = 悪魔」のプロパガンダ再びだ。
ボスニアでは、〈セルビア人 vs クロアチア人、ムスリム人〉の構図だったが、
コソボでは、〈セルビア人 vs アルバニア人〉。
ここでも、悪魔のセルビア人がアルバニア人をいじめて、大虐殺、拷問、コソボから追い出した、という見方が一般的だ。( 「ユーゴ空爆」編・第5回

セルビア人、いつも悪魔。

おれも最初は、セルビア人はオオカミ、アルバニア人は哀れなウサギだと思った。
しかし、調べていくうちに、やってることはどっちもどっち、お互いさま、というよりも、
アルバニアって相当ヤバイ、と思った。

かつては仲良く暮らしてたんでしょ? セルビア人とアルバニア人。

彼らの間に、亀裂をつくったのはだれか。
そこを見ねえと、まちがうぜ。


Writer

ぴょんぴょんDr.

白木 るい子(ぴょんぴょん先生)

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
2014年11月末、クリニック閉院。
現在、豊後高田市で、田舎暮らしをエンジョイしている。
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)

東洋医学セミナー受講者の声

Comments are closed.