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ぴょんぴょんの「〇〇人て、だれ?」
ボスニア・ヘルツェゴビナでの戦争と平和
う〜ん、おれもよく知らねえんだ。
ボスニア戦争のあったあの頃、おれも仕事が忙しくてさあ、
世界情勢どころか、日本のことすらチンプンカンプンだったわ。
でも、調べてみたぞ。
「ボスニア・ヘルツェゴビナ戦争。
1992年から1995年のデイトン合意まで続いたユーゴ紛争の中でも最も凄惨な死闘が繰り広げられた戦争である。 」( 「ユーゴ空爆」編・第5回 )
ボスニア戦争のあったあの頃、おれも仕事が忙しくてさあ、
世界情勢どころか、日本のことすらチンプンカンプンだったわ。
でも、調べてみたぞ。
「ボスニア・ヘルツェゴビナ戦争。
1992年から1995年のデイトン合意まで続いたユーゴ紛争の中でも最も凄惨な死闘が繰り広げられた戦争である。 」( 「ユーゴ空爆」編・第5回 )
ボスニア・ヘルツェゴビナは、旧ユーゴスラビアの連邦国だった。
旧ユーゴスラビアは、マケドニア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニア、モンテネグロの、6つの国家からなる連邦国家だった。( Wiki )
下の地図の、着色部分がセルビア共和国。
ボスニア・ヘルツェゴビナは、そのとなりにあるだろ?
旧ユーゴスラビアは、マケドニア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニア、モンテネグロの、6つの国家からなる連邦国家だった。( Wiki )
下の地図の、着色部分がセルビア共和国。
ボスニア・ヘルツェゴビナは、そのとなりにあるだろ?
セルビア人は、旧ユーゴスラビアの大多数を占める民族で、セルビア人はセルビア共和国だけじゃなくて、となりのボスニア・ヘルツェゴビナにもクロアチアにも住んでいた。
1990年、スロベニアとクロアチアが旧ユーゴから無理やり独立したときも、連邦側と小競り合いになり、かなりの市民が亡くなってる。
1990年、スロベニアとクロアチアが旧ユーゴから無理やり独立したときも、連邦側と小競り合いになり、かなりの市民が亡くなってる。
話し合いの余地も与えられないまま、多くの死者と難民を出し・・第二次大戦後のヨーロッパで最悪の紛争となってしまった。( Wiki )
その中で、最も世界を敵に回したできごとが、セルビア兵の集団「システマティック・レイプ」。
「民族浄化の手段として多数のボスニアのムスリム女性を強姦してセルビア人の子供を生ませようとした事件である。」 ( 「ユーゴ空爆」編・第5回 )
その中で、最も世界を敵に回したできごとが、セルビア兵の集団「システマティック・レイプ」。
「民族浄化の手段として多数のボスニアのムスリム女性を強姦してセルビア人の子供を生ませようとした事件である。」 ( 「ユーゴ空爆」編・第5回 )
欧米による情報操作
セルビアが、本格的に悪魔デビューしたのはボスニア戦争からだ。
この戦争で、セルビア人による民族浄化、システマティック・レイプ、死の捕虜取容所など、セルビア人の残虐さが、次々と世界中に報道され、セルビア人は徹底的に悪魔化されていった。
「現在、一般人が持つセルビア人に対するネガティブな印象はすべてこの時期に作られたものと言っていい。 」( 「ユーゴ空爆」編・第5回 )
この戦争で、セルビア人による民族浄化、システマティック・レイプ、死の捕虜取容所など、セルビア人の残虐さが、次々と世界中に報道され、セルビア人は徹底的に悪魔化されていった。
「現在、一般人が持つセルビア人に対するネガティブな印象はすべてこの時期に作られたものと言っていい。 」( 「ユーゴ空爆」編・第5回 )
セルビア人は、ユーゴスラビアで最大の勢力だから、欧米にとっては弱体化させたいくらいさ。
しかしだ! 困ったことがある。
ボスニアの独立をあおったまではいいが、そこから始まった内戦を、世界はどんな目で見るだろうか?
自分たちが独立を促したばかりに、ボスニアに悲惨な内戦を引きおこしてしまった。
しかしだ! 困ったことがある。
ボスニアの独立をあおったまではいいが、そこから始まった内戦を、世界はどんな目で見るだろうか?
自分たちが独立を促したばかりに、ボスニアに悲惨な内戦を引きおこしてしまった。
いいか? マスコミはそういうのが、得意中の得意だ。
知ってるよな、湾岸戦争でもブッシュ政権がやってた。
クウェート人少女に、「イラク軍兵士が、病院で赤ん坊を殺していた」って、まことしやかに証言させてただろ?( 「ユーゴ空爆」編・第5回 )
知ってるよな、湾岸戦争でもブッシュ政権がやってた。
クウェート人少女に、「イラク軍兵士が、病院で赤ん坊を殺していた」って、まことしやかに証言させてただろ?( 「ユーゴ空爆」編・第5回 )
おめえ、今ごろ・・・遅えよ!
それから現在に至るまで、イラクでも、アフガニスタンでも、リビアでも、シリアでも、キューバでも、ベネズエラでも・・・・・数え切れねえくらいの偽旗や、フェイクニュースだらけ。
そういう目で、セルビア人がイスラム女性を大量にレイプした話を見てみよう。
それから現在に至るまで、イラクでも、アフガニスタンでも、リビアでも、シリアでも、キューバでも、ベネズエラでも・・・・・数え切れねえくらいの偽旗や、フェイクニュースだらけ。
そういう目で、セルビア人がイスラム女性を大量にレイプした話を見てみよう。
「セルビア人のイメージに決定的なダメージを与えたシステマティック・レイプや死の収容所・・・ガシック(ロンドン在住のセルビア人)は、両方とも情報操作によって作られた虚構に過ぎないと断言する。 」
ガシックは、こう言う。
「もちろん、私はセルビア人兵によるレイプがなかったなどと言うつもりはない。戦争では必ずレイプの犠牲者が出るものだ。が、マスコミによって報道されたような計画的なレイプなどなかったのだ。
国連もボスニアのレイプについて調査しているが、彼らがはじき出した犠牲者数は約3千人。それもセルビア人、クロアチア人、ムスリム人全部含めてだ。この数字だけ見てもシステマティック・レイプの虚構がわかるはずだ。 」( 「ユーゴ空爆」編・第5回 )
ガシックは、こう言う。
「もちろん、私はセルビア人兵によるレイプがなかったなどと言うつもりはない。戦争では必ずレイプの犠牲者が出るものだ。が、マスコミによって報道されたような計画的なレイプなどなかったのだ。
国連もボスニアのレイプについて調査しているが、彼らがはじき出した犠牲者数は約3千人。それもセルビア人、クロアチア人、ムスリム人全部含めてだ。この数字だけ見てもシステマティック・レイプの虚構がわかるはずだ。 」( 「ユーゴ空爆」編・第5回 )
国際調査機関は、システマティック・レイプは実際にあったことが証明されたというが、調査方法がまったくデタラメだったこともわかっている。
例えば、聞き取り調査をした犠牲者は、たったの4人だった。
なのに、調査委員会は「犠牲者2万人」という数字を出してきた。
例えば、聞き取り調査をした犠牲者は、たったの4人だった。
なのに、調査委員会は「犠牲者2万人」という数字を出してきた。
1992年の夏、イギリスのテレビ局がボスニアに入り、「トノポリャ捕虜収容所」を取材した。
「この時、彼らが撮影した1枚の写真は世界中に衝撃を与えた。鉄条網の前に立つ、ガリガリに痩せこけ、肋骨の浮き出ている男の姿は、まさにアウシュビッツを連想させる写真だった。」( 「ユーゴ空爆」編・第5回 )
「この時、彼らが撮影した1枚の写真は世界中に衝撃を与えた。鉄条網の前に立つ、ガリガリに痩せこけ、肋骨の浮き出ている男の姿は、まさにアウシュビッツを連想させる写真だった。」( 「ユーゴ空爆」編・第5回 )
「その時、撮影したビデオを入手し、そのすべてを見てみた。
その中で鉄条網の外側から男たちがリポーターの質問に答えている場面・・彼らは・・こう言っていた。ここは難民キャンプだ、身分証明書を提示すれば自由に出入りできる、外は戦争で危ないからここにいる……。 」( 「ユーゴ空爆」編・第5回 )
その中で鉄条網の外側から男たちがリポーターの質問に答えている場面・・彼らは・・こう言っていた。ここは難民キャンプだ、身分証明書を提示すれば自由に出入りできる、外は戦争で危ないからここにいる……。 」( 「ユーゴ空爆」編・第5回 )
それが、「死の捕虜収容所」に仕立て上げられてしまったわけ。
「笑ってしまったのは、あの肋骨の浮き出た男にリポーターが、なぜあなたはそんなに痩せているのかと聞いた時だ。
彼は、こう答えた。
“いや、俺は太らない体質で、ガキの頃がらこうだった”(大爆笑)」( 「ユーゴ空爆」編・第5回 )
「笑ってしまったのは、あの肋骨の浮き出た男にリポーターが、なぜあなたはそんなに痩せているのかと聞いた時だ。
彼は、こう答えた。
“いや、俺は太らない体質で、ガキの頃がらこうだった”(大爆笑)」( 「ユーゴ空爆」編・第5回 )
元々、コソボはセルビアの一部だったからな。
そこで、「セルビア人 = 悪魔」のプロパガンダ再びだ。
ボスニアでは、〈セルビア人 vs クロアチア人、ムスリム人〉の構図だったが、
コソボでは、〈セルビア人 vs アルバニア人〉。
ここでも、悪魔のセルビア人がアルバニア人をいじめて、大虐殺、拷問、コソボから追い出した、という見方が一般的だ。( 「ユーゴ空爆」編・第5回 )
そこで、「セルビア人 = 悪魔」のプロパガンダ再びだ。
ボスニアでは、〈セルビア人 vs クロアチア人、ムスリム人〉の構図だったが、
コソボでは、〈セルビア人 vs アルバニア人〉。
ここでも、悪魔のセルビア人がアルバニア人をいじめて、大虐殺、拷問、コソボから追い出した、という見方が一般的だ。( 「ユーゴ空爆」編・第5回 )
ボスニアと言えば、戦争のイメージしかありませんでしたが、モスタルはとても美しい街でした。
戦時中は姿を消したネコたちも、今は戻って来て、平和な街になっています。