日本の道徳教科書に毛ば部とる子さんが鋭いツッコミ 〜 唐突な「武士道」やゆがんだ「権利と義務」から見える「愛国」

 ユーモラスで切れ味の良い指摘をされる「毛ば部とる子」さんが今の日本の道徳教科書について突っ込まれていました。かつてお子さんを育てる過程で手に取った小学生用の教科書が、すでに「愛国」や「全体主義」を思わせる内容だったそうですが、現在の中学生用の道徳教科書は、さらに「愛国心」へ直球パワーアップだそうです。まず「日本のいいところを考えさせる課題が何度も出てくる」という構成からして、どこが道徳なのかと思われますが、唐突に「サムライ」や「武士道」が登場し、「強くて、やさしくて、かっこいい」と軽薄な賛美をしているそうです。時代劇大好きなとる子さんでさえあっけにとられ、しかも内容は「お年寄りに席を譲るべきか」「アフリカの恵まれない子供への募金について」というおよそ武士道とは無関係のテーマなのにと「ズッコケて」おられます。
 とる子さんの印象では「道徳の教科書というより思想の教科書」とありました。闇雲にサムライを持ち上げておいて、その矢先に出たのが例の、自民党キャンペーンのとんでも画像です。こちらが恥ずかしさのあまり見て見ぬ振りをしているのに、まさか子供達はこれをあべぴょんだと洗脳されてしまうのか!?
 歯の浮くような「武士道」だけでなく、他にも見逃せないツッコミどころとして「権利と義務」を考えさせる内容を取り上げておられました。クラス対抗リレーで選手に選ばれた子が、自分の都合で選手を断る、という設定が与えられ「個人のことが大事か、クラス全体のことが大事か」という非常に気持ちの悪い選択に誘導しているようです。国のために都合の良い人間を作ろうとしていることがあからさまに分かるお粗末な内容に、これを教材にする教師はどうするのだろうと心配になりました。
 与えられた設定に対して、改めてヤマ・ニヤマを据えて考えてみると、自分とクラスの非暴力、正直、不盗、禁欲、不貪を見直す、全く異なる学習ができそうです。そこから隣人愛を深めることもできそうです。非難や卑屈ではない、幸せな心を育む道徳教科書はできないものかな。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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配信元)







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道徳とサムライと安倍晋三
(前略)
教科書内には、いろんな短編読み物を読ませた後に、「日本のよさを考えよう」「日本の大切な文化を考えよう」など、日本について「いいところ」を考えさせる課題が何度も出てくる
(中略)

そして挙句には、「サムライ」とか「武士道」という言葉を持ち出し、これを「日本独特」「素晴らしい」という前提で、紹介するのだ

『どうして、サムライは愛され、尊敬されるようになったのでしょうか。それは、サムライの心を持った人たちが武士道という生き方をつらぬいたからです。』(中略)
『困ったとき、悩んだとき、サムライはどうやって自分の行動を決めていたのか。彼らが歩いてきた道は、今も私たちの行動のヒントになるはずです。強くて、やさしくて、かっこいい生き方を、これから菊千代(文中の登場人物)と学んでいきましょう。』(東京書籍・新しい道徳2より引用)
ちょっと信じられない人もいると思うが、これが教科書にママ書いてあるのだ

「愛され、尊敬される」サムライとは、いったいどんなサムライを想定しているのか?

(中略)

これでは、道徳の教科書というより、思想の教科書という方が実態が近く、しかも筆者が現実とフィクションをかなり混同しているという点で、危うさを感じる

「サムライが、武士道が、強くて、カッコイイ、優しい」なんて、フィクションを教科書に書いて、いったい子供をどう教育しようとしているのか。
そんな矢先に、自民党が、こういう新キャンペーンを打ち出した
こんな画像で。

画像はシャンティ・フーラがツイートに差し替え

安倍晋三がサムライになっている。
強くて、やさしくて、かっこいい、サムライに。

これをヤベーと言わず、なにをヤベーと言うか
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道徳教科書が示す「権利と義務」
(前略)
いったん選挙で選ばれた以上、クラス全員の代表として出場する義務がある。自分の都合で出るのがいやだと勝手なことを言ったって、そんなことは許されない。出ないということはA君のエゴではないか。勉強は個人のことで、体育祭はみんなの行事だ。個人のことがだいじか、クラス全体のことがだいじか、どっちなんだ


ヤベエよ、なんだよこのクラス
自分の成績がだいじに決まってるじゃんかよ。
「許されない」とか言ってるが、いったい誰が「許さない」んだよ。
エゴイズムというのは、「他人の不利益を省みない」利己主義のことを言うが、A君がリレーに出ないと、「クラスのみんな」はどんな不利益を被るというのだろう。
(中略)

そしてこの物語を踏まえて、考える課題が、こちら。

《集団生活の中で、権利か義務のどちらがだいじか、悩んだり困ったりしたことはあるか。》

そもそもこの物語から、「権利」と「義務」を抽出することに無理がある。

(中略)
では出題者の立場に立って、話の流れから「正しそうな答」を忖度してみよう。
A君が「選手になる義務」と「断る権利」を天秤にかける、というあたりの考え方が模範的なのだろうか

しかしそういう「模範的な」考え方を無理にすると、「権利を主張することが、集団生活のイベントに水を差す」という後味の悪さだけが残る
まさか「後味の悪さ」を感じさせることこそが、キモなのか?

もしそうだとしたら、教育としてやり方があまりにえげつない

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