注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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災害に興味のない内閣
引用元)
ツイッターじゃ言い切れないこと 毛ば部とる子 19/9/12
(前略)
そして思わず笑ってしまいそうになるのが、新内閣の基本方針に「復興・国土強靱化の推進」を掲げていることだ。
なにを寝ぼけたことを言っているのであろう。
安倍首相というのは、本当にあきれるほど「災害」に興味がない。
(中略)
安倍首相の悲願である改憲の中には、緊急事態条項という案がある。
そもそもこの案に関する安倍首相の言い分は、大災害が起きたときに、首相の一声でどんな法律も効力停止することができ、既成の法制度に妨げられることなく、自由・迅速な救済活動が出来るようにするとかいうものだ。
しかし、ここまで災害に興味のない権力者が、そんな良心的なことをするだろうか?
(中略)
それはそうと、今年の9月1日防災の日には、安倍首相は皮肉にも千葉県の訓練に参加するために、船橋市までヘリコプターで乗り付けたそうだ。
テレビ電話で千葉県の森田健作知事から被害状況の報告を受けるなんていう、模擬訓練もしたそうで。
使えよそれを。
(中略)
とにかく現政権は、国民のことを「消費税を納めてくれる民」くらいにか思っていないのではないか。
復興が全部民間任せなら、そもそも政府なんてなんの為にあるのかわからない。
国政選挙では投票率がほぼ毎回全国ワーストに近い千葉県民には、ここでいろいろ考えてほしい。
いざという時きちんと国民を守ってくれそうな議員を選べば、世の中はもう少しよくなるはずだ。
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千葉県富津市で被災した「被災者」が想うこと
引用元)
YUGALOG 19/9/11
(前略)
(中略)
被災者は「知ってほしい」
実際に被災者になって思ったことは、被災者は、被災者以外の少しでも多くの人に、この現状を「知ってほしい」という気持ちがあるということです。
(中略)
(中略)殊に「災害」という単位で助けを求めるとなると、その声がもっと多くの人に届かなければなりません。
その声を、多くの人に届けるために、「報道して、知ってもらう」ということは非常に重要なことなのです。
こんな簡単なことが、僕は自分が被災者になるまで、理解することができませんでした。
本当に自分のことを恥ずかしく思っています。
「日常」は偉大である
今回の台風で「日常」があるということは本当に偉大だなと改めて思いました。
電気がない中で生活することによって、明かりもつかないし、スマホも充電できない、温かいお湯も出ない、温かいご飯が食べれない、など当たり前のことが当たり前にできなくなりました。
住んでいた家もなくなったので、思い出のつまったあのシェアハウスで、みんなと朝を迎えることも、もうできません。
しかも、たった一晩の台風で、です。
(中略)
キャッシュレスな社会も考えもの
現在、世間的にはキャッシュレスな社会の実現に向けて、現金をなるべく使わないで決済を行うことを善とするような流れがありますよね。
しかし、今回の災害を経験して、すべてキャッシュレスな社会にしてしまうのも考えものだなと感じました。
キャッシュレス社会は、電気がなければ成立しません。
つまり、停電の状況下では、どれだけ電子マネーを持っていようと、モノを買うことができなくなってしまいます。
(中略)
災害対策は最悪を想像しておくべき
(中略)
当事者ではない人に何をして欲しいか (中略)
何が起きているか知り、状況を理解することが出来たなら、まず少しでもいいので、お金や物資の面で自分にできることはないか考えてみてください。
おそらくこれから、房総半島を中心に、金銭面で支援を求める人がたくさん出てくると思います。
(以下略)
匠の粋な計らいにより、自室が吹き抜けになりました。#台風15号 pic.twitter.com/HgSNY0Y2Zw
— 渡辺智基@素晴らしい童貞 (@twokk1994) 2019年9月10日
(中略)
被災者は「知ってほしい」
実際に被災者になって思ったことは、被災者は、被災者以外の少しでも多くの人に、この現状を「知ってほしい」という気持ちがあるということです。
(中略)
(中略)殊に「災害」という単位で助けを求めるとなると、その声がもっと多くの人に届かなければなりません。
その声を、多くの人に届けるために、「報道して、知ってもらう」ということは非常に重要なことなのです。
こんな簡単なことが、僕は自分が被災者になるまで、理解することができませんでした。
本当に自分のことを恥ずかしく思っています。
「日常」は偉大である
今回の台風で「日常」があるということは本当に偉大だなと改めて思いました。
電気がない中で生活することによって、明かりもつかないし、スマホも充電できない、温かいお湯も出ない、温かいご飯が食べれない、など当たり前のことが当たり前にできなくなりました。
住んでいた家もなくなったので、思い出のつまったあのシェアハウスで、みんなと朝を迎えることも、もうできません。
しかも、たった一晩の台風で、です。
(中略)
キャッシュレスな社会も考えもの
現在、世間的にはキャッシュレスな社会の実現に向けて、現金をなるべく使わないで決済を行うことを善とするような流れがありますよね。
しかし、今回の災害を経験して、すべてキャッシュレスな社会にしてしまうのも考えものだなと感じました。
キャッシュレス社会は、電気がなければ成立しません。
つまり、停電の状況下では、どれだけ電子マネーを持っていようと、モノを買うことができなくなってしまいます。
(中略)
災害対策は最悪を想像しておくべき
(中略)
当事者ではない人に何をして欲しいか (中略)
何が起きているか知り、状況を理解することが出来たなら、まず少しでもいいので、お金や物資の面で自分にできることはないか考えてみてください。
おそらくこれから、房総半島を中心に、金銭面で支援を求める人がたくさん出てくると思います。
(以下略)
今回の災害を言い得ていると思えたブログを2つ取り上げました。
一つは、毛ば部とる子さんのシャープな批判と、もう一つは、今回の災害で深刻に被災した若い方のレポートです。
毛ば部さんは、今回も被災者を助けようとしない安倍新内閣の基本方針「復興・国土強靭化の推進」に「寝ぼけるな」とお見舞いしています。かつての度々の災害時の不作為を思えば当然ですが、今回も重大な被災が明らかになってきた9日にも組閣騒動に明け暮れ、11日も6時半にはさっさと帰宅して「国民の命を守る気なんてこれっぽちもない」安倍首相。これほど災害に全く興味のない安倍首相が、「自由・迅速な救済活動ができる」緊急事態条項のための改憲となると、いきなり国民を守るなど誰が信じられようか。その気持ちを見事に代弁して下さっていました。
そして「復興が民間任せなら、そもそも政府なんてなんの為にあるのかわからない」と、最も大事な指摘をされていました。どちらでも良いことは民間任せでも良い、しかし、命や生活に直に関わるようなことは政府が責任を持たねばならないことを安倍政権は忘れています。
房総の海沿いに住んでいたWebライターの方は、まさか自分が被災者になるなど夢にも思わなかった当事者です。一晩の台風で屋根が飛び、床は浸水し、その家屋には二度と住めなくなってしまいました。これまでは災害報道などにも全く関心がなかったそうですが、いざ被災すると、状況を広く知ってもらうことがいかに重要か、助けを求めるにも救援にも情報が肝心だと痛感されていました。それを思うと、マスコミが被災状況をなかなか報じなかったのは罪深いことでした。
さらに印象的だったのは、停電になると「キャッシュレス決済は使えない」ということです。当面、貨幣が必要となり、場合によっては物々交換も起こり得ることを示唆されました。
今後、房総半島を中心に金銭面での支援を求める人がたくさん出てくることを予想され、もしもできるならば10円でも100円でも助けてあげてほしい、「明日は我が身です」と訴えておられました。
この訴えはもっともですし、周りの我々ももちろん協力するでしょう。しかし、毛ば部さんも述べておられたように、これは民間の互助や自助で立ち行くものではなく、国が本気で取り組むべき事態だと、やはり思うのです。