元ソ連外交官アレキサンドル・イワノフ氏の講演を振り返る 〜 時事ブログの過去記事で指摘していた「ハザール系ユダヤ人」の歴史

読者の方からの情報です。
 ワクチン接種拒否を言うだけで孤立しているのに加え、ロシア・プーチンを擁護する段階に至っては、世間との埋めがたい隔絶感を感じておられる当ブログ読者は相当数に及んでいるかと推測されます。この機会に、ユニティ・デザイン時代から集めていたロシア・ウクライナ関連の当ブログ掲載記事を読み返してみました。
 その結果、自分の認識が整理されて明確になり、櫻井ジャーナルや竹下氏のコメントの鋭さ・適確性を改めて実感することになりました。
 そこで、読み返した当ブログ掲載記事をできるだけ凝縮し、短時間で読めるようにしました。構成は二つに分け、パート1が外交官「アレキサンドル・イワノフ氏の講演内容の概要」、パート2が「イワノフ氏の講演(1993年)以降」です。ロシアの最新兵器、金本位制を含む金融も並行して取り上げています。時間のある方はじっくりと、時間のない方はさらりと読むことによって認識を新たにし、理論武装していただけたら幸いです。人と議論する場合でも、「ハザール系ユダヤ人=アシュケナジー・ユダヤ人」と「非ハザール系ユダヤ人=スファラディ・ユダヤ人」の区別を最初に確認することが大切です。そうでないと「単なる陰謀論者」にされてしまいます。
(小谷けん)
 小谷様が過去の時事ブログの重要記事を取り上げて下さいました。本来、編集長がやるべき仕事だろ!と自分にツッコミながらも、昔から時事ブログは本当に貴重な情報を上げていたのだなあと振り返りました。かなり大胆に要約されていますが、それでも長編ですので分割して公開します。
 またこれを機に、ぜひseiryuu氏の「ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 第7話 ― ソビエト連邦 大惨事の社会実験」のシリーズ記事もご覧ください。今のウクライナ侵攻への理解を助けてくれるはずです。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌
[パート1] アレキサンドル・イワノフ氏の講演内容の概要

今、世界で最も信頼できる国はロシアだと思います。ロシアが強いのは、ロシア国民が一致団結しているからです。私が思うに、彼らは誰と戦っているのかを知っているのです。おそらく、シリアの国民も知っていると思います。彼らが知っている敵とは、下の記事にある“ハザール系ユダヤ人"です。(竹下雅敏)2016/10/6


──元ソ連外交官が語る「ロシア-ユダヤ闘争史」の全貌──



第1章:ハザール王国 vs ロシア帝国

 強力な民族であるハザール民族が6世紀から8世紀に、カスピ海の北方から黒海にかけてハザール王国を形成し、キエフなどに定着していたロシア人とたびたび衝突。ハザール人はロシア人を支配下におき、奴隷にして安価で売買していた。
  
 8世紀にビザンチン・キリスト教とイスラムの圧迫を受けたハザール民族は、9世紀初めにユダヤ教に改宗し、世界史上、類を見ないユダヤ人以外のユダヤ教国家となって、ユダヤ人と名乗り始める。現在、世界のユダヤ人の大半を占めるアシュケナジー・ユダヤ人は、このハザール人の子孫である。(以降、アシュケナジー・ユダヤ人を「ハザール人」と総称)
  
 数回にわたる戦争後の965年、ついにロシア人がハザール王国を占領し、首都イティルを壊滅させると、ハザール国家は弱体化。13世紀にはタタール(モンゴル)がハザール王国を完全に滅亡させ、ハザール人の多くがロシア領内に逃げ込んでいる。すでに12世紀に陰謀を画策し始めていたロシア領内のハザール人たちは、1174年にロシアの最も有名な皇帝、アンドレイ・ボゴリュプスキー皇帝を暗殺。多くの国々の集合体だったロシアでは、それぞれの国の皇帝が集まって会議が行なわれ、ロシア領内のハザール人の弾圧を決定し、多数のハザール人が殺された。
  
 ロシアから追放されたハザール人のほとんどがポーランドに逃げ込むが、15世紀の終わりから16世紀にかけて、ポーランドのハザール人は、自分たちの政府、国会、教会などをつくり、ポーランド人よりも強大な力を持つ
  
 一方、そのほとんどすべてが聖書でいう本当のユダヤ人、すなわちスファラディ・ユダヤ人は15世紀まではスペイン領内にいたが、1492年にスペイン政府がスファラディ・ユダヤ人を国外に追放したことによって、スペインの中のユダヤ国家は消滅し、スファラディ・ユダヤ人は北アフリカ、オランダ、イギリスなどへ逃げ込む
  
 1772年から3回にわたって分割が行なわれていたポーランドは3つに分けられ、当時強国になっていたロシア帝国はポーランド領の一部を自らの領土内に組み込んだ。ところがそのポーランドにハザール人が「国家内国家」を形成していた。領土とともにユダヤ人政府も取り込み、きわめて危険な毒を飲み込むことになってしまった。こうして18世紀からロシア国家の内部には、再びユダヤ問題が生じるようになった。

アシュケナジー・ユダヤ人(ハザール人)とスファラディ・ユダヤ人の移動地図
画像はシャンティ・フーラがツイートに差し替え

 ロシア対ハザールの確執を含んでいるため、昔からロシアのユダヤ人問題は最も難しい民族問題だった。当時、ロシアに入ったハザール人は300万人ぐらいで、ほとんどがロシアの西側、すなわちウクライナ、西白ロシア、あるいは旧ポーランド領に住んでいた者たち。19世紀末頃からハザール人が革命運動を画策し、国内情勢が深刻化する。ロシア人は本来戦闘的、革命的な要素を持たない民族だが、ハザール王国を崩壊させたロシアに対する復讐の思いがあり、ロシアで革命を起こし、国家を転覆させることは、ハザール人にとって最も重要な課題だった
  

第2章:「ロシア革命」は「ユダヤ革命」だった 

 1904年に始まった日露戦争は、ユダヤ人の画策により、隣同士の2つの国が衝突することになった戦争。日本の資金力はそれほど大きなものではなかったため、主にアメリカの資本が投入された。アメリカの大資本家であり、ハザール人であるヤコブ・シフが、ロシアのアシュケナジー・ユダヤ人の革命家たちに多額の援助を与えた。日露戦争後に第一次ロシア革命の嵐がロシア全土を襲ったが、1906年5月、ロシア政府はストルイピンを首相とする新政府を樹立した。民族主義者・国家主義者のストルイピンは、強固な反ユダヤ的な政策をとって革命運動を鎮圧し、そのためレーニンはジュネーブに亡命。ストルイピンは「強いロシアをつくろう」というスローガンを掲げて、今日のロシアの「改革」とはまったく異なる、ロシア人によるロシア人のための政治・経済改革を進めていった
  
 しかし、ロシア人によるロシア人のための政治・経済改革を進めたストルイピン首相は、ボグロフというユダヤ人に殺された。1911年9月、ストルイピンがキエフに行った際に、ニコライ2世とともに劇場でオペラを見ていたときのことだ。彼の席の近くにボグロフというユダヤ人がいた。彼は反体制派、社会革命党の党員で政府の警察のエージェントでもあった。彼はストルイピンの席近くへやって来るや、ニコライ2世の面前で、ピストルを2発、ストルイピンめがけて撃ったのである。(筆者註:リンカーン暗殺に酷似)
  
 ストルイピン後の革命が1917年11月6日の10月革命。10月革命の前に、トロツキーをリーダーとする70人のハザール人グループが、ニューヨークからやって来ていた。ここでもアメリカのハザール人資本家ヤコブ・シフがこのトロツキーグループを支援し、第一次世界大戦の対戦国ドイツからもレーニングループがロシアに入った。革命は成功し、当時のツアー、ニコライ2世を家族もろとも全員暗殺し、ロシアを完全支配下においた
  
 10月革命後の新政権では、そのメンバーのうち99%をユダヤ人が占めていた。しかし、米独からロシアにやって来たユダヤ人たちは革命家、あるいは共産主義者であり、ほとんどがユダヤ教を信仰していたわけではなかった。その頃のユダヤ運動には2つの流れがあった。1つは共産主義である。共産主義者、革命家たちはユダヤ教を信奉しない。もう1つはシオニズムである。シオニズムとは、ユダヤ教徒が自分たちの宗教本部であるエルサレム(シオン)を中心として、自分たちこそ世界を支配しなければならないとする思想である。そのような人々をシオニストという。
  
 10月革命後、ユダヤ人たちはこの2つの流れでともにロシアを支配していたが、そうしたユダヤ人の中に摩擦が生じ始め、1920~1930年代は、米独からやって来た共産主義ユダヤ人と、ロシアにいた150万人のユダヤ教徒との間に激烈な闘争が巻き起こる。ユダヤ教徒たちはユダヤ教を信仰しない共産主義者を批判し共産主義者と闘うようになった。革命政府の中心にあったレーニン・トロツキーグループメンバーは第二次世界大戦勃発以前にほとんど殺され、ハザール王国再現となった
  

第3章:ハザール王室直系の子孫、カガノビッチの暗躍 

 スターリンは傀儡で、ハザール人たちのロボットであった。すべての実権を握る陰の支配者は、スターリンの片腕といわれたハザール人、ラーザリ・カガノビッチである(カガノビッチはいかにもロシア的な姓のように「ビッチ」を付しているが、祖父の時代にはカガンと名乗っていた)。カガン(可汗)とはハザール人たちの言葉でユダヤ教指導者、皇帝などを意味し、ハザール王国もハザール・カガン国と名乗っていた。カガノビッチの元の姓がカガンであるということは、彼がかつてのハザール王国皇帝の直系の子孫であることを示す。ハザール王国は数世紀前に消滅したが、その皇帝の直系の子孫が生きていたのだ。

スターリンの片腕といわれたユダヤ人ラーザリ・カガノビッチ
画像はシャンティ・フーラがツイートに差し替え

 カガノビッチはただの書記にすぎなかったが、実際にはカガノビッチやカガノビッチの補佐官が、すべての政策を取りし切り、スターリンはただのカガノビッチ政策執行者。「スターリンの独裁」とよくいわれるが、事実はハザール人のハザール王国の指導者による独裁で、この事実は決して触れられることがない。
  
 共産党も表向きの形式にすぎず、実際には裏の組織である国家保安省(後の国家保安委員会=KGB)が支配し、国家保安省の幹部のすべてから中間層・下層に至るまでハザール人だった。国家保安省にはカガノビッチの従兄弟にあたるベリヤというきわめて危険な人物がおり、カガノビッチはベリヤ、すなわち国家保安省を通して、ロシア=ハザール国家を支配。国家保安省の中に「収容所」という新しいシステムが作られ、所長は9割がハザール人で、ロシア人の奴隷が収容された。

カガノビッチの従兄弟であるユダヤ人ベリヤ
画像はシャンティ・フーラがツイートに差し替え


第4章:ロシア文化を徹底的に破壊したハザール系ユダヤ人

 ハザール人の次の目標はロシアの伝統の破壊、それを存続させている貴族の抹殺で、少なくとも300万人の貴族がアメリカやヨーロッパなどに脱出したが、彼らはいわばロシアの頭脳ともいえる人々だったため、革命によってロシアの頭脳が全て国外に流出することになった。もう一方の継承者である農民、個人の農地をもっていた地主も、各地にコルホーズ(集団農場)やソホーズ(国営農場)をつくって破壊。ロシア正教もほとんど壊滅状態まで弾圧された。ロシア正教はロシア人にとって、少なくとも1000年の歴史を持つ最も神聖な宗教だった。
  
 第二次世界大戦が始まる前、ハザール人はロシア軍幹部たちを粛清し、約3万人の将軍・大佐クラスの軍人が殺される。国内を優先するため、ユダヤ人であろうとも、不穏な動きを一掃するためには無差別に殺していた。そのため、第二次世界大戦が始まると、優れた司令官のいないロシア軍は、はじめの1、2年間敗北を重ねたので、モスクワまで撤退して敵を迎え撃つ戦法をとることにした。そして、後のモスクワ戦線では激烈な戦闘の結果、最終的にロシアが勝利を収めたのだが、そのときには、ようやく世代交代がなされ、次世代の優秀な軍人たちが指揮をとっていた。それらの指令官の中でも、最も優れた司令官がジューコフ元帥だった。
  
 1941年10月、ドイツ軍はモスクワ大攻撃を開始した。それに対して、その年の12月、ジューコフ元帥の率いるロシア軍が大反撃。これをロシアでは「モスクワの祖国戦争」という。戦争は1943年2月まで続いたが、ついにドイツ軍は降伏し、ロシア軍の勝利の第一歩が印された。ドイツから勝利を勝ち取り、戦後は急速にロシア人の民族的自覚が高まっていった。危機を感じたハザール人は1948年、ロシア人に対して攻撃を開始した。優秀な政治家たちを次々と裁判に送り、ロシア人知識階級を殺していく
  

第5章:スターリンとジューコフ元帥の反乱

 ユダヤの横暴なやり方に我慢できなくなったスターリンは、1949年から亡くなる1953年までの間、反ユダヤ政策を取り始める。さらに、大都会の全ユダヤ人をシベリアの極東地方ビロビジャンに隔離しようとした。しかし、常にスターリンを監視していたベリヤにより、実行前の1953年3月に暗殺された
  
 この年、カガノビッチはソ連の全権を掌握し、ロシアは本当のユダヤ国家になってしまった。当時、国家保安省のエージェントはあらゆるところに存在し、密告が国民の義務となっていた。しかし奇跡が起こった。第二次世界大戦におけるファシズムとの戦争で勝利をもたらしたジューコフ元帥が、ユダヤとの戦いでも勝利を収めた。1953年6月26日、モスクワ郊外で陸上演習を行なっていたジューコフ元帥は、演習の途中で突然、自ら戦車部隊二個師団を率いてモスクワ市内に入り、国家保安省本部に向かって進撃を始めた。国家保安省はこの動きをまったく感知していなかったため、ジューコフはあっという間に国家保安省本部の占拠に成功。(筆者註:ロシアの救世主がジューコフ元帥だったなんて知りませんでした。無知でした)

カガノビッチとベリアを逮捕したジューコフ元帥
画像はシャンティ・フーラがツイートに差し替え

 ジューコフ元帥は自らの判断でまずベリヤ、続いてカガノビッチらを逮捕し、直ちにモスクワに入って国家保安省本部を掌握。そのときからロシアは新政府となり、ハザール人は少なくとも1960年までほとんどの政府機関から一掃された。一時的ながら明らかにロシア人の勝利だった。1953年から、1985年にゴルバチョフが書記長となり、翌年にペレストロイカ(改革)が始まるまでの間、ロシア国内にハザール国家は存在することがなかった。ブレジネフの時代はロシア人にとって歴史上非常に安定した時代。
  

第6章:ソ連崩壊の舞台裏 (ロシア人とユダヤ人の対立) 

 日本では、共産主義体制崩壊後のロシアを、改革派(民主系)と保守派(旧共産党系)の対立軸でとらえているが、本当の問題はロシア人とユダヤ人の対決。1991年8月、世界を揺るがしたソ連のクーデターはあっけない失敗に終わったが、これはユダヤ人によるクーデターで、過激派のハザールが穏健なゴルバチョフ政権を倒して政権を握ろうとしたもの。クーデター失敗後、エリツィングループが政権を握ったが、エリツィン大統領を取り巻くロシア政府高官のほとんどがハザール人。エリツィンはハザール人の妻を持つが、彼自身は純粋のロシア人である。しかし彼は頭が悪く、しかもアルコール中毒で、ロボットにすぎなかった。ロシア国内のハザール人は、海外のハザール人と呼応してロシア経済を支配下に置こうとし、欧米のユダヤ資本が怒涛のようにロシアになだれ込む。エリツィングループは、急進的な市場開放路線を議会で承認させ、年末の連邦崩壊・CISの形成を経て一気に市場開放、価格自由化を実行
  
 当時のロシアは農業国家で、多くの農民たちは読み書きができなかったが、共産主義時代に受けた教育レベルが非常に高いものであったため、愛国心の高まりとともユダヤ問題を理解し始め、ユダヤ人に反発する行動をとり始めた。ユダヤ人はモスクワやサンクト・ペテルブルグ、キエフなどの大都会では力があるが、農民や労働者の中にはユダヤ人はほとんどいない。さらに、ユダヤ人たちの影響はまだ地方にまでは及んでいない。ロシアの地方には本当のロシアが残っている。ロシア人たちの反発は、ロシア人によるユダヤからの解放運動として、すでに地方に広がりはじめている。ロシア人たちは必ず自分たちのロシア人のリーダーを選ぶだろう
  
 2年前の1991年8月にあった革命も、ユダヤ革命であった。ロシア人たちはユダヤ革命はもう十分だと思っている。我らはもうこれに我慢できない。ロシアのユダヤ人たちは、ロシアにおいて悪質なことをやってきたし、今もやっている。しかしやりすぎだ。今後、ロシア人とユダヤ人との闘いは、もっと激しくなっていくにちがいない。やがてロシア人の解放運動が巻き起こるだろう。私(イワノフ)は固く信じている。(筆者註:まさにその通りのことが起きている)
〈後略〉
  

Comments are closed.