————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第43話 ― 東京裁判をめぐって3
昭和天皇免訴の実態
東京裁判における大きな争点の一つは、言うまでもなく昭和天皇の戦争責任ついてです。昭和天皇が東京裁判において起訴されるかどうかは、戦後の日本のその後において甚大な影響があります。
結果はご存知のように、東京裁判において昭和天皇の戦争責任が問われることはありませんでした。米国の主席検察官はジョセフ・キーナンですが、彼は昭和天皇の戦争責任を問うことはなく免訴としました。このことは、彼の1945年12月6日の来日時以前の時点で決定していた模様です。
昭和天皇とマッカーサーとの会見
Wikimedia Commons [Public Domain]
前回に見た「731部隊めぐる日本と米国の密約、ジャーナリストの近藤昭二氏語る」記事の続き部分で、近藤氏は以下のように発言しています。近藤氏が接触した米国の検察官の上司がジョセフ・キーナンだったのでしょう。そして、ジョセフ・キーナン自身も来日前からアメリカ側の支配者たちの意向として、昭和天皇の免訴を命じられていたと思われます。そして、それをマッカーサー元帥と確認したようです。
「以前、極東国際軍事裁判に関わった米国の検察官と接触する機会があった。その検察官は、『東京に来る前に、上司から天皇の責任を追及することはないと告げられた。米国は初めから天皇制を維持することを決めていた』と言っていた」と近藤氏。
昭和天皇の戦争責任は、その立場上から免れることはできないものだったと私は思います。しかしその責任の重大さにについては、個人的には本当は重大ではなかったとも思っています。なぜならば、昭和天皇は個人としては明らかに戦争を嫌悪して、平和を希求していたと思えるからです。この昭和天皇の思いの裏側には、戦争とアジア支配を推進してきた裏天皇に対する嫌悪があったのでは?とも思えます。
ただし、昭和天皇が免訴となった理由は、米国の検察官の調査で昭和天皇の真意が理解されたからというわけではなく、「米国は初めから天皇制を維持することを決めていた」ことがその理由と見て間違いないでしょう。「天皇制の維持」、これは表の天皇が“隠れ蓑”になる体制の維持、裏天皇による支配体制の維持を意味します。
戦後日本の早々から、裏天皇グループとアメリカ側との協力関係・業務提携の姿を前回にも取り上げました。もともと第2次世界大戦は、裏天皇を含む支配者たちの合意のもとに起こされたものであり、裏天皇グループの支配体制の維持は、NWOを進捗させていく上で必要で重要とアメリカ側からも判断されていたのでしょう。“隠れ蓑”の昭和天皇を法廷の場に置いてしまったならば“隠れ蓑”は外されてしまい、過去から現在、そして今後の裏天皇の姿が表に出てしまうことになるでしょう。これは支配体制の崩壊を意味します。
裏天皇グループの支配体制を維持し、業務提携して利用していく、このアメリカ側の姿勢は裏天皇の直接的な部下たちの取り扱い方法にも表れています。
巣鴨プリズンから釈放されたメンバー
東京裁判の被告となったA級戦犯の収監場所となっていたのが巣鴨プリズンでした。公的記録によれば、この巣鴨プリズンにて死刑判決を受けた東條英機ら7名のA級戦犯の絞首刑が執行されたのは1948年の12月23日のことでした。
一方で翌日の12月24日、拘束されていたA級戦犯たちが無罪放免で巣鴨プリズンから釈放されます。この釈放されたメンバーの中にはもう既におなじみの岸信介、笹川良一、児玉誉士夫の名が見えます。
田布施族で堀川辰吉郎の直接の部下であり、戦中時には満洲でアヘン売買を含む満洲経営に辣腕をふるった岸信介。上田サンカの血流であり、八咫烏の五龍会の一角で緑龍会三代目総裁となる笹川良一。笹川良一の部下であり、戦時中は「児玉機関」として「黄金の百合作戦」の一翼を担っていた児玉誉士夫。彼ら堀川辰吉郎の部下のこの三名は、その後の1968年には世界基督統一心霊協会(統一協会)の文鮮明と共に「勝共連合」を結成することになります。文鮮明も堀川辰吉郎の部下です。
また、岸信介らと同様に無罪放免で巣鴨プリズンから釈放されたA級戦犯のメンバーには他にもいますが、大川周明、緒方竹虎、正力松太郎がいます。他のメンバーもいる中で、なぜこの大川周明、緒方竹虎、正力松太郎の名をあげたのか?
それには2点の理由があり、一点目はこの3名については裏天皇グループに所属していた可能生が高いことです。彼らの簡単な概略を見てみます。
大川周明、彼のウィキペディア記事によれば、大川は思想家で満鉄調査部に勤務していたとあります。そして次のように記されています。
その思想は、(中略)...外交面ではアジア主義を唱道した。東京裁判においては、唯一、民間人としてA級戦犯の容疑で起訴された。しかし梅毒による精神障害と診断され、訴追免除となった。なお、晩年はクルアーン全文を翻訳するなどイスラーム研究で優秀な実績を残した。
大川は満鉄調査部に勤務し、アジア主義を唱導している点などから見て裏天皇グループの可能生は高いのです。
緒方竹虎は朝日新聞記者から政治家に転身し、吉田内閣で副総理を勤めた人物で、緒方貞子氏の義父です。彼は玄洋社と縁の深い福岡県立中学修猷館に進学、早稲田大学時には頭山満のもとに通っていたようです。また、玄洋社員・安川敬一郎(安川第五郎の父)の出資でイギリスへ私費留学に出たということですから、緒方竹虎も裏天皇グループであったと見えます。
正力松太郎、言わずとも知れた読売新聞社主読売巨人軍のオーナーだった人物です。彼のウィキペディア記事では、冒頭「日本の内務官僚、警察官、実業家、政治家およびCIAの協力者」とあります。正力松太郎は、黒龍会3代目総裁であった中曽根康弘と共に「日本原子力の父」と呼ばれます。正力の相談役が中曽根元首相であったことなどから見て、正力も裏天皇グループだったと見るのが自然です。
戦後日本を動かすことになった大きな柱
岸信介、笹川良一、児玉誉士夫、大川周明、緒方竹虎、正力松太郎、この6名の名前をあげた理由の2点目、それは、この6名全員に共通しているのがCIA工作員になっているということです。
正力松太郎がCIA工作員だったことはウィキペディア記事にも記されている通りです。有名な正力のCIAコードネームは「PODAM(ポダム)」でした。
また岸、笹川、児玉の3名がCIA工作員だったことも有名です。彼ら3名は裏天皇の部下であると同時にCIA工作員にもなっており、いわばはっきりとした二重スパイです。
そして大川周明、緒方竹虎 もCIA工作員でした。緒方竹虎にはコードネームもつけられており、「POCAPON(ポカポン)」だったようです。
『地球倫理:Global Ethics 地球システム・倫理ニュース』の2018/10/06「日本の中のCIAエージェント」記事などに詳しい情報が出されていますが、米国立公文書館HPにナチスと日本帝国政府のCIAリストが公表されています。複数の情報によれば、日本帝国政府関係者のCIAエージェントリストに29名(正確には31名のようです)の日本人が載っていて、上記の6名の名前が出てきます。
Last Name | First Name | Vol | (補足) | RC Box# |
Location (RC) |
KISHI | NOBUSUKE | 岸信介 | 066 | 230/86/23/03 | |
SASAKAWA | RYOICHI | 笹川良一 | 111 | 230/86/24/02 | |
KODAMA | YOSHIO | 01 | 児玉誉士夫 | 067 | 230/86/23/03 |
KODAMA | YOSHIO | 02 | 067 | 230/86/23/03 | |
OKAWA | SHUMEI | 大川周明 | 096 | 230/86/23/07 | |
OGATA | TAKETORA | 01 | 緒方竹虎 | 095 | 230/86/23/07 |
OGATA | TAKETORA | 02 | 095 | 230/86/23/07 | |
OGATA | TAKETORA | 03 | 096 | 230/86/23/07 | |
OGATA | TAKETORA | 04 | 096 | 230/86/23/07 | |
OGATA | TAKETORA | 05 | 096 | 230/86/23/07 | |
SHORIKI | MATSUTARO | 01 | 正力松太郎 | 119 | 230/86/24/03 |
SHORIKI | MATSUTARO | 02 | 119 | 230/86/24/03 | |
SHORIKI | MATSUTARO | 03 | 120 | 230/86/24/03 | |
HIROHITO | 昭和天皇 | 051 | 230/86/23/01 | ||
HITLER | ADOLF | ヒトラー | 051 | 230/86/23/01 |
(「米国立公文書館」より抜粋)
さらに興味深いのは、このCIAエージェント・リストに昭和天皇、そしてヒトラーの名前も連なっていることでしょう。ただし昭和天皇に関しては、明治以降の表天皇は初めから英国女王の下僕の位置づけであったこと、第33話などで見たように、昭和天皇は弟の西園寺公一と日本の機密情報をアメリカ側に漏らし、ヨハンセングループを仲介し原爆投下に関与していたので、CIAエージェント・リストにその名があっても全く不思議はないです。東京裁判を免訴された一因かも知れません。ヒトラーも結局のところはNWOを目論む連中に協力し、互いに利用していたということになるでしょう。
さて、話を戻しますが、裏天皇グループの中でも戦前、戦中からアメリカ側と提携しているグループもあり、戦後は裏天皇グループの幹部たちがCIA工作員ともなってアメリカ側と提携していくわけです。
こういった裏天皇グループとアメリカ側との提携によって生み出されたものの一つが自由民主党でもあります。裏天皇グループは、戦後に日本の独立を図りながらも対米従属の形態を取っていくわけで、つまりは、これが戦後日本を形成していく大きな柱になっていったことになります。
日本国憲法、特に「戦争放棄」の第9条は「GHQの日本に対する押しつけとして制定された憲法だ」というのが、日本国憲法なし崩しを急ぐ連中の常套句になっています。しかし憲法9条は、GHQによる押しつけではなく、幣原喜重郎首相がGHQ側に提案した結果成立した。そして、そこには昭和天皇の強い意志が働いていたことは、時事ブロク2016年2月28日記事や2016年8月13日記事によって既に明確にされています。
帝国憲法で戦前・戦中における天皇は現人神であり、絶対的な位置づけにありました。その天皇の下で日本の大戦争は行われて多くの悲劇が繰り広げられました。この構図において、昭和天皇の戦争責任を回避するには無理があるのは否めないでしょう。
しかし、物事は表に出ている一部だけ切り取って解釈すると大きな誤りを生み出しもします。戦争の責任を問うのならば、そこにまで至った過程を勘案する必要があります。幾度も示したことですが、日本の場合は、少なくとも幕末には英領になっていた事実から歴史を洗い直すことが必要な作業となるでしょう。
立場はともかく、少なくとも昭和天皇は生身の人間としては戦争を嫌悪し、平和を希求していた、このこと自体は間違いのないところだったと思っています。