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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第33話 ― 原爆投下、天皇への告発
終戦工作として原爆による第二総軍壊滅
ヒロシマ原爆にて広島市民14万人以上が亡くなったとされますが、ただし、この14万人には軍関係者は含まれておらず、それを含めるとヒロシマ原爆の死者は20万人との説があると紹介しました。こうだとすると、ヒロシマ原爆一発で軍人たちが6万人も亡くなったことになります。
なぜこのような多数の軍人たちが一度に犠牲になったのか?
1945(昭和20)年に創設された第二総軍が広島を本拠として陣取っていたのです。その第二総軍が広島原爆によって、「総司令部以下全組織は壊滅的な被害を受けた。総軍の中枢部が崩壊し諸部隊も全滅に近い状態となり、命令系統不全となる」のでした。
当時、大本営は国土決戦に備えて狂奔していました。本土を二分して、東部を第一総軍(杉山元元帥)、西部を第二総軍(畑俊六元帥)を担当として、米国軍上陸による本土決戦の備えとしていたのです。第二総軍司令官の畑俊六元帥は、天皇の侍従武官長を勤めた経験もある数少ない天皇の側近としての陸軍司令官であり、昭和天皇のお気に入りの将軍でした。
畑俊六元帥
Wikimedia Commons [Public Domain]
原爆によって第二総軍は壊滅的な被害を受けたのですが、司令官である畑元帥は無傷で原爆の災禍を潜り抜けています。このことについての事情やからくりを結論として、鬼塚英昭氏は『原爆の秘密[国内編]』p24に次のように記しています。
私は第二総軍は最初から、すなわち鈴木内閣ができたときから、終戦工作の一環としてつくられたものと思っている。終戦工作とは何か。簡単明瞭に書くならば、原爆誘導および処理のために、天皇が畑を呼びよせつくったものである、と書いておく。
これについては「これから書いていくことを読者が読めば納得すると思っている」とも記し、ここからその証拠となるものを次々延々とあげていくことで本書は構成されています。鬼塚氏が本書の本文最初部に記したこの結論は強烈です。
整理すれば次のことを鬼塚氏は読者に伝えています。
①第二総軍は、終戦工作として昭和天皇の意図によって創設。
②創設された第二総軍は、原爆によって壊滅させられることが決定していた。
③終戦工作として原爆による第二総軍壊滅に協力したのが、昭和天皇の意図を受けた畑元帥。
なぜ第二総軍が終戦工作の一環として原爆によって壊滅、軍人たちが犠牲にさせられたのか?
同書p101にその理由となる事実が記されています。
ここに第二総軍の配下の上級指揮官のほぼ全員が死んでしまうのだ。その結果はどうなるのか? 日本の国土の西半分から「終戦反対、徹底抗戦」の声が消えていくのである。神の名のもとに戦争を始めた日本は、神の名のもとに終戦を迎えねばならない。皇軍の旗を振り続けた上級指揮官が消えてしまえば、なんと都合のいいことであろうか。
原爆投下への昭和天皇の積極的関与
2018/04/11、ぴょんぴょん先生が記事として鬼塚英昭氏の『日本の一番醜い日』を紹介されています。
そこで、日本側のヨハンセン・グループが米国に日本機密情報を流し、逆に米国の元駐日大使・グルーと陸軍長官・スティムソンから情報を得ており、彼らから1945年の6月には原爆投下が知らされており、このことは昭和天皇にも伝えられていたことが記されています。8月6日、第二総軍の軍人たちのみならず出動させられていた義勇隊、学徒隊の多くが犠牲とされています。
ヨハンセン・グループの中核の3名
記事の中にジョセフ・グルーが出てきますが、彼こそ当時の日本の支配者で、今で言うジャパン・ハンドラーのマイケル・グリーンのような存在だったのではないかと見ています。事実上、彼を通して送られてくる命令に日本は従うよりなかったと思います。
(2014/12/25 時事ブログ)
ぴょんぴょん先生の記事では、その理由を既に次のように明かされていました。
その予防策として、本土に残された全軍の2分の1に当たる、第二総軍を壊滅させた。
軍の反乱を恐れた支配層について、2015/08/15の竹下さんの記事のリンク先元記事「心に青雲」は、『日本の一番醜い日』の主張をまとめ、次のように明瞭に記しています。
昭和天皇は20年6月にスティムソン側から、原爆投下の場所と日時を決めるよう要請を受けた。そして広島に、8月6日午前8時頃と回答したのは、天皇一派であったのだ。その仲介をしたのがヨハンセングループであった。
鬼塚氏が告発したのは、昭和天皇が原爆投下の情報を知っておりながら、ヒロシマ・ナガサキの無辜の民たちが悲惨な運命をたどるのを見てみぬふりで見殺しにした、です。
しかしこれだけではなく、昭和天皇はヨハンセン・グループを通じてスティムソンたち米国側とやり取りをし、原爆投下の場所と日時を指定したということです。つまり、日本への原爆投下に対し、昭和天皇は能動的に振る舞ったということです。
それも、昭和天皇は日本敗戦後の軍事クーデターの恐れという自身の保身のための行動であり、それに畑元帥など昭和天皇の側近も協力した。これが鬼塚氏の告発した内容です。
鬼塚氏の告発は、原爆によって被害を受けた一人ひとりの側にたってのものであり、火の出るような憤りがほとばしるものです。この鬼塚氏の告発を否定できる要素を、私は持ち合わせていません。ヨハンセン・グループを抜きにしても、昭和天皇が英米側と通じていたのは事実です。
このことについては、2014/12/03の記事で竹下さんが次のように述べられてもいます。
国家機密がアメリカに筒抜けだったわけです。情報を漏らしていたのは、昭和天皇と、ゾルゲ事件の西園寺公一だろうと思います。この2人は兄弟です。
昭和天皇の系図
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スパイのベラスコからの原爆投下の情報は日本軍部に発せられてもおり、英米に通じていた昭和天皇が原爆投下の情報を入手していたとの見方は、現在ではある意味で常識的なものなのです。また、2.26事件に現れるように、昭和天皇が国内軍事クーデターを非常に恐れていたのも事実です。
鬼塚氏の告発は否定しようもないのです。ただし、鬼塚氏の視点とは違った要素もあるのも事実です。
裏天皇が原爆投下の日本側主犯
視点としてハルマゲドン計画や秘密の宇宙プログラムがないのは当然として、鬼塚氏の視点で表されていない原爆投下の検討すべき大きな要素は八咫烏、裏天皇の存在でしょう。
改めてですが、冒頭で取り上げた «昭和天皇がスティムソンと「あるルート」を通して秘密交渉を続けた» という「あるルート」とはヨハンセン・グループです。「吉田(吉田茂)反戦」から「ヨハンセン」と名付けられた重要な役割を担ったこのグループの中核は、牧野伸顕、吉田茂、樺山愛輔の3名とのことです。
大正編 第12話で見たように、日本が陸軍の暴走という体を取りながら満洲、中国、アジアへと軍事侵略していくのは、八咫烏・裏天皇の意図によるものでした。
このお先棒を担ぎ満洲浸出への道を開いた一人が、大正末期に奉天の総領事であった吉田茂です。黒龍会現総裁の麻生太郎の祖父で後の首相である吉田茂は、裏天皇の部下であったと見るのが自然です。
また、ヨハンセン・グループのリーダーとされる牧野伸顕、牧野伸顕の娘と吉田茂は結婚しているのですが、牧野伸顕は薩摩藩の大久保利通の息子です。もうひとりの樺山愛輔も薩摩藩武士の子息です。薩摩の下級武士たちによって薩英戦争後の幕末に結成されたのが「薩摩ワンワールド」です。共に薩摩の武家の出身である牧野伸顕、樺山愛輔は「薩摩ワンワールド」に所属していた可能性は非常に高いのです。
落合莞爾氏からの情報では、薩摩の武家の出身であった赤龍会初代総裁の上原勇作は「薩摩ワンワールド」第3代総長であり、「薩摩ワンワールド」を統括していたのは、玄洋社の社主であり島津家の血統の白龍会初代総裁の杉山茂丸とのことです。
要は、ヨハンセン・グループの中核である牧野伸顕、吉田茂、樺山愛輔の3名は全て裏天皇の部下であったと見るのが自然です。だからこそぴょんぴょん先生の記事にあるように、ヨハンセン・グループは裏天皇の直属の部下である岸信介らと連携していくのです。
ヨハンセン・グループは、昭和天皇と米国側との仲介役となる以前に裏天皇の名代として米国側と交渉し、裏天皇の日本本土への原爆投下のゴーサインを受けていたでしょう。この上でヨハンセン・グループは昭和天皇と米国の仲介役となったはずです。
そもそも第2次世界大戦の背景には「1921年国家間条約」があったのです。これは第2次世界大戦のあらましについて日本と英国、米国が裏で「握った」条約であり、これをサインしたのは日本側では昭和天皇でした。しかし、それは裏天皇の堀川辰吉郎の代理人としてのものです。
1921年、イギリスの首相ロイド・ジョージらと会う皇太子裕仁親王
Wikimedia Commons [Public Domain]
実際の「1921年国家間条約」は、彼らの背後にいたウォルター・ロスチャイルド、エドゥアール・ド・ロチルド、ジョン・ロックフェラー、そして堀川辰吉郎との間の合意だったと思います。おそらく、堀川辰吉郎はロスチャイルド家の血が入っており、合意に従って、金塊を略奪することが戦争の目的だったはずです。
(2019/12/16 時事ブログ)
要は、原爆投下の日本側の主犯は昭和天皇その人であると鬼塚氏は告発したのですが、原爆投下の日本側の真の主犯は堀川辰吉郎ということです。
既に鬼籍にある鬼塚氏ですが、鬼塚氏が裏天皇の堀川辰吉郎の像をその視野にはっきり捉えていたならば、彼の烈火の如き義憤の告発の対象は、天皇は天皇でも裏天皇の堀川辰吉郎となっていたと思えます。
「原爆と昭和天皇の関わり」、これについて最も詳細を明らかにして告発した人物が鬼塚英昭氏でしょう。彼の著書『日本の一番醜い日』『原爆の秘密[国内編]』がそれであり、その告発の内容は、日本への原爆投下には戦後工作のため、昭和天皇の積極関与があったというものです。
『原爆の秘密[国内編]』の前書きでは、原爆投下の米国側の総指揮は時の陸軍長官のヘンリー・スティムソンで、スティムソンはモルガン財閥の一員、つまり国際金融家の代理人だと明かし、このスティムソンと「あるルート」を通して秘密交渉を続けたのが昭和天皇としています。同書では、秘密交渉で原爆投下の日時・場所を指定したのが昭和天皇だと明かしていくのです。日本への原爆投下の日本側の主犯は昭和天皇だったということで、これは目を背けてはならない重要な内容だと思います。
ただし、この裏には更に「黄金の百合」と同じ構造があると思います。アジアから莫大な黄金をかき集めた「黄金の百合」、これを暴いた方々は、「黄金の百合」は昭和天皇の指示によって行われたとしています。しかし、「黄金の百合」は裏天皇の指示によるものです。原爆投下も同じ構造だと見ています。