[竹下雅敏氏]貞明皇后の本物と替え玉 〜替え玉の貞明皇后が産んだ昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 大正天皇の后は貞明皇后ですが、彼女には替え玉が居ました。替え玉の貞明皇后の母の名が朱貞明です。したがって、大正天皇の正式な妃は九条節子で、貞明皇后は替え玉の名前と考える方が自然だと思います。しかし混乱を避けるために、ここでは貞明皇后には、本物である九条節子と、替え玉である朱貞明の娘が居たということにします。
 朱貞明の経歴は、2つ目の記事の通りです。この記事では朱貞明=貞明皇后になっていますが、ここの部分だけが誤りで、他の部分は正確です。
 記事では“維新の後、一旦は、中山忠能が預かり”とありますが、これは朱貞明を妻にしたようです。後に貞明皇后(替え玉)となる娘を産みますが、高齢であった夫は死んでしまいます。元々中山家は裕福でなかった上に夫に先立たれたことで、生活は相当に苦しかったのではないかと想像します。
 鬼塚氏が触れているように“貞明皇后(替え玉)は騙されて遊女にさせられた”後、九条節子の替え玉として大正天皇の2人目の后となったのだと思います。
 貞明皇后には昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮の4人の子が居ますが、全員父親が異なるばかりでなく、替え玉の貞明皇后との間に生まれた子たちです。これは大正天皇に子種が無かったことと、彼女が遊女であったことが大きな原因だと思います。しかしそれ以上に、私は関係者が皆フリーメーソンだったのではないかと考えています。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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本記事文章は現在公開を停止しております。 (2016/4/23)
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貞明皇后 三笠宮崇仁親王
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貞明皇后
転載元より抜粋)
貞明皇后(ていめいこうごう、1884年(明治17年)6月25日 - 1951年(昭和26年)5月17日)は、大正天皇の皇后。旧名は、九条節子(くじょう さだこ)。

スクリーンショット 2015-11-12 12.51.22               配偶者 大正天皇
              子女  昭和天皇
                  秩父宮雍仁親王
                  高松宮宣仁親王
                  三笠宮崇仁親王
              父親  九条道孝
              母親  野間幾子

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系図

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